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優しい嘘

 こんにちは、仙台の真田鰯です。
 前回に引き続き、東日本大震災直後の2011年3月に被災地で出会った人の話をしていきます。

 うちの劇団のホームページでは、「明日も生きてくための優しい嘘」を劇団のテーマにしてると紹介しています。このテーマは、今からお話しする、わずか1時間弱の出会いをもとに生まれました。
 人は、現実を受け入れ乗り越えるために嘘(フィクション)を必要とする。
 そのようなことを、私は4歳の女の子から教わりました。


 4歳のYは、女性に連れられて、部屋に入ってきた。
「ご家族の方からのご依頼でないと、この子をお預かりできないんです。申し訳ございません」
 背後で同僚のスタッフがそのように断っているのが聞こえる。Yを連れてきた女性は不服そうに文句を言いながら帰っていく。
 避難所となっている小学校の校内には、子どもが遊べる安全な遊び場がない。校庭は汚泥と瓦礫。校舎内の教室は生活スペースとなっている。我々の仕事は、校舎内の教室を借りて、子どもたちのために一時的に安全・安心な遊び場を提供することである。とはいえ、子どもを預かってくれる場所など他にどこにもない。避難所で生活している大人たちは、幼い子どもを我々に預けることによって、役場や銀行に行ったり、被災した自宅に必要な物資を取りに行ったりする貴重な時間を捻出することができる。「預かれない」と言われても困るのだ。
 5分後、Yは父親を名乗る男性に連れられて入ってくる。男性は明らかにふてくされている。
 手続きの書類を書き始めた男性は、Yの名前を書くのにケータイの電話帳をひらいて漢字を確認している。
 娘の名前(しかも名字)を書くのに、漢字がわからないなんてことある?仮に、離婚した妻の旧姓だとしても漢字は書けるんじゃね?母親はどこ?
 様々な疑問をすべて飲み込んで、にこやかに書類を受け取る。
「お預かりします」

 Yは他の子どもたちには目もくれず、部屋中のおもちゃを眺めまわしている。
私 「なにして遊ぶ?お絵描きする?」
 Yは紙と茶色のクレヨンをもぎ取り、一心不乱に人物を描き始める。
私 「じょうずだね、だれ?」
Y 「おとうさん」
私 「おとうさんやさしい?」
Y 「こわい」
 それまで描かれていた普通のおとうさんは、わずか5秒でおぞましい目つきのギザギザしたおとうさんに変わる。

 なんだろう。嵐のような何かが、彼女の小さい身体の中で渦巻いている。

Y 「あれとって」
 ビーズのたっぷり入った、アクリルのケースを指さす。
私 「はいどうぞ、きれいだね」
 バシャー。受け取ったその手で、Yはビーズを床にぶちまける。
私 「わーお。すごいねー」
Y 「あれもとって」
 今度は、おはじきのたっぷり入ったケースを指さす。
私 「うーん。いいけど、これ片付けてからね」
 Yはおとなしく、床一面のビーズを片付け始める。
 片付け終わると、もはやおはじきに興味はない。
Y 「上みえない。だっこして」
 私はYを抱き上げ、高いところのおもちゃをみせる。
 熱心に何かを探しているようだが、彼女自身にも自分が何を探しているのか、わかっていないようだ。
Y 「あれほしい、おうち。とって」
 彼女はドールハウスを指さす。それから、どこかからリカちゃん人形をだしてくる。
Y 「女の子が要るの。女の子探して」
 言われた通り探すが、女の子の人形は無い。
私 「えー、ないよ。スヌーピーじゃだめ?」
Y 「だめ」
私(スヌーピー) 『えーさみしいよ。いっしょにあそんでほしいよ、えーんえーん』
 Yは私の目を覗き込み、口の端をわずかに持ち上げて笑う。
Y 「じゃいいよ」

 冒頭でえがかれるのは、母親と娘の幸せな家庭の様子だ。母親(リカちゃん)をYが演じ、娘(スヌーピー)を私が演じる。
私(娘) 『ただいまー』
Y(母) 『おかえりなさい、きょうのおやつはクッキーよ』
私(娘) 『わーいやったー、むしゃむしゃ』
Y(母) 『きょうはさむいから、お布団かけてあったかくしてねるのよ』
私(娘) 『はーい、おかあさん、おやすみー』
 こんな感じだ。余裕だ。
 ここまでは。
Y 「おかあさんは台所でねてるの。おこして」
私(娘) 『おかあさん、おきてー、ねえおきてー』
Y 「もっと」
私(娘) 『ねえ、おかあさん、おきてよーおきておきておきて、ねえ、おきてってばー、おきておきておきて…』
Y 「おかあさんはぜったいにおきないの」

 おかあさんは台所でねている。
 ぜったいにおきない。
 なんだろう、嫌な予感がする。

Y 「おかあさんは、オバケのくにに連れ去られちゃうの。たすけにきて」
 彼女は私の目を挑戦的に覗き込み、口の端だけで笑う。

 わかってきた。
 これはお人形遊びなんかじゃない。
 現実の話だ。
 現実のおかあさんは、現実問題としていま、「オバケのくに」にいるのだ。
 失敗は許されない。
 やるぞ。

私(娘) 『おかあさん、たすけにきたよ!』
Y 「これ持って、オバケもやって」
私(オバケ) 『オバケだーぞぅ』
Y 「もっと怖く」
私(オバケ) 『ドゥハハハハハ!貴様ごときに、なにができるというのだ!おかあさんはもらった!かえしてほしければ、俺様を倒してみろ!!』
Y(母親) 『えい、わるいオバケめ、えい、やあ、とりゃー!』
私(オバケ) 『ぐああ、やられたぁ!!』
 …え?おかあさんつよくね?
Y 「これオバケのおやぶんね、はい」
私(オバケのおやぶん) 『おんどりゃあ、よくもワシの部下をひどいめにあわせてくれたな!!生きて帰れるとおもうなよ!!』
Y(母親) 『よくもよくも、えい!えい!バシッ!』
私(オバケのおやぶん) 『ぐはぁ!やられたぁ!!』
 …や、だから、おかあさんつよすぎじゃね?
Y 「おかあさんにあやまって」
私(オバケ) 『ごめんなさい、もうしませんゆるしてください』
Y(母親) 『しょうがないなぁ、ゆるしてあげよう。じゃあ、みんなでおうちに帰りましょう』

 こうしておかあさんと女の子はオバケたちと友達になり、オバケたちを引き連れて、おうちへ帰る。そして、オバケたちとともに再び家庭生活が始まる。
 …でも、いいのだろうか?
 現実の世界では、現実問題として母親はいまだ、「オバケのくに」にいる。
 現実の世界では、オバケと友達になり、みんなで楽しく暮らせるわけではない。

Y 「光に弱いから、朝になると、オバケは消えちゃうのね」
私 「え?」
Y 「朝だよ」
私(オバケたち) 『うあああああ、溶けるううううう、身体が溶けちまうよう、助けてくれええええ』
Y(母親) 『オバケは人間の世界では生きられないの。だからおかあさんは、オバケたちのためにオバケのくにに帰るね』
私(娘) 『うん』
Y 「こうして、おかあさんとオバケたちは、ずっとオバケのくにで幸せにくらすの」
私 「そっか、よかったね」
Y 「…」
私 「…」
 スヌーピーがひとり、ドールハウスの中でころがっている。
Y 「Yもオバケのくににいく」
 そういって彼女は、オバケのくにという名の、おもちゃがつまった衣装ケースに4歳の身体をぎゅうぎゅう押し込める。衣装ケースは、ふくらみ、はち切れそうになっている。
私 「まってまってまって。だめだよ。はいれないから」

 どうしてなのだろうか。
 遠くで幸せにしているとわかっていても、残された側が苦しいのは。

 Yが膝に乗ってくる。
Y 「ねえ、なにかおはなしして」
 どんな母親だったのだろう。
 いつも眠る前にお話ししてくれる母親だったのだろうか。
 どうして自分には、この子にあげられるお話のひとつもないのだろうか。
私 「むかしむかしあるところに、おかあさんと女の子がいました」
 私は先ほどふたりで創ったお話を、初めからもう一度きかせる。

 優しいおかあさんは、オバケたちのためにオバケのくににいる。優しいからいっしょにはいられない。おかあさんは、オバケたちと幸せにくらしている。
 この子は、わずか4歳で、受け入れられない現実をかみ砕き、幸せな物語へと書き換えたのだ。どれほど厳しい現実も突き崩すことのできない、強靭な優しい嘘を生み出したのだ。
 非情な現実を、愛に満ちた幸せな嘘で上書きできる。
 そしてその嘘を信じて、現実に立ち向かい、歩み続けることができる。
 人間は強いと思った。
 美しいと思った。

 そのときだった。
「おかしをくれなきゃいたずらするぞ!」
 そういって、ハロウィーンの衣装をまとった、たくさんのオバケたちが教室に駆け込んできた。隣の教室にハロウィーンの衣装があったらしい。Yは目をきらきらさせてオバケたちに駆け寄る。
Y 「いいなーわたしも着たい」
女の子 「こっちにまだあるよ、おいで」
 Yはオバケたちとともに、笑いながら部屋を駆けだしていく。



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https://note.com/beyond_it_all/m/me0d65267d180


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