見出し画像

水のなかにいること/空気に触れること(成熟とか世界観とか言葉やなんか)

(220703)まや
こんなに暑い6月末は記憶にある限り初めてだった。
暑くて散歩に行けないし家での遊びもネタが尽きるので毎日おうちのプール出して遊んでる。


赤ちゃんと大人ちゃん(と安心で安全な水のなか)

ジムでやってるベビースイミングのクラスにも週に1回通ってるのだけど、お嬢(娘)は歩き始める前から習ってて、わけわからないうちから水に沈められたり散々してきたの。だから周りの2、3歳の子が水に顔つけられなくて怖くて泣いてるなか、何もせず平然と潜っててびっくりする。
「顔に水をつける」っていうのが最初の大きな壁らしく、ほんとーに小さい赤ちゃんの時から始めると違うんだなって驚いてる。子供の吸収力はすごい。

もうひとつ最近感動したこと。
お嬢はおしゃべりで動物の真似とか結構するのだけど、かなり前から「ライオン」って言うと「がーおがーお」ってライオンの吠える真似をしてたのだけど、昨日なにげなく「lion」って英語発音で言ってみたら、それでも吠えるではないですか。それで今朝は「cat」って言ったら「にゃー」だって。英語、そんなに真剣に教えてなかったのに、驚いちゃったよね。
こちらが思ってるよりいろんなことをわかってるんだなあと。そんな朝でした。

アマヤドリで3人芝居を2つ作ることになりました。
キャンセル・カルチャーにまつわる連作だそうで、8月と9月に本番。
とりあえず先日広田さんはYouTuberより沢山喋ってた。

干城さんは最近いろいろと、どうですか?


(220707)干城
僕、小さいころから水というか嫌いで。
お風呂でゴボゴボゴボってなったり、プールでゴボゴボゴボってなったりで嫌いになってて。
目は痛いし、飲んじゃったらむせるし、耳に水入ったら抜けないし、すぐ中耳炎になるしで。
学校のプールって、(僕のところは当時)、ゴーグルも耳栓もしちゃ駄目だったから、どうしようもなくて。
で、浮かないし、息継ぎできないし、泳げないし。

そんなだったんだけど、一昨年に、泳ぎたいなって。
全身運動がしたいって思って選んだんだけど、ずっと、泳げるといいなとは思ってたから。

で、ゴーグルと耳栓と、がっつりして。
おっさんが一人、25mプールで足ついてゲホゲホいいながら見よう見まねでクロールして。
そんなことしてたら、素人なりに泳げるようになった。

そうなってから知ったことなんだけど、僕、水のなかにいるの、好きだわ。
ゴーグルと耳栓がなきゃ駄目だし、海とか、きっとプールでも、足つかないとかだったら全然怖いんだけど。
だから、なんだろう、環境を整えてもらえてないときついんだけど、
安心で安全だって身体で感じられていると、こんなに心地のよいものなのかって。

もしそういう環境が整っていたら、子どものころにちゃんと習っていたかったな。
子どものころにちゃんと習っていたかったと言えば、いま振り返ると、水泳のほかに、ピアノ(楽器/音楽)とバレエ(身体操作/姿勢)と英語(語学)とか、なんか色々と出てくるんだけど、
実は少し習っていた英語は全然モノにならなかったし、習字もしたけど書くの苦手だし、サッカーも下手なままだったし。
結局そのときの好きとか興味とかが強いんだなぁ。あと、単に楽なほうに流れるってのもあるけど。

好きなものとか楽しいものって、僕は結構移り変わっていて。あと、深くなかったりして。
なんか周りを見ると、ずっとこれが好きとかって強くもっている人が多くいるような、そしてそれがなんとなく格好良く映って。
それで僕はとても自信を失くすようなことがあったのだけど、
いつからだか、まぁ移り変わるものよね、って思えてからは、ちょっと気が軽くなった。

大人になってからの、あのときああだったらって、あてにならないんだねぇ。

6月はたまたま、大学のサークル仲間との飲み会と、中学の同級生との飲み会があって、
その友人たちとの再開が、懐かしいっていうのもあったけど、ちょっとした人数での飲み会ってものが変に懐かしいふうに感じて、ふわふわした感じだった。


(220706)まや
大人になってから泳ぎを習得したの凄いね。
全身運動として水泳はとてもいいよね。身体に変な負荷がかかりにくいから怪我しにくいし、左右の偏りも少ないし、と、ゴールデンウィークに受けた足ツボの先生が言ってたよ。

安心で安全だって身体で感じること、大事だよね。
小学生くらいから普通に泳げる程度だけど、そんな私でも足がつかないところは流石に怖い。
すぐにつかまれるプールのふちがあればいいけど、でも遠泳はいつかやってみたい。海の波に抗って泳ぐの、とても大変そうだよね。
いつかやってみたいけどその日は来ないだろうな。

ダイビング、実は今年の夏にも1回だけ、すごい短い時間やりました。
あまりに久しぶりで、最初怖くてしばらく潜れなかった。パニックになっちゃいそうな気がして。
それこそ、安心で安全だってなかなか身体が感じられなくて。
今日はだめかな?って諦めそうになったのだけど、インストラクターさんの適度に強引なリードのおかげで、えいっと海の中に入って。
海の中ではひたすら深呼吸を繰り返す感じなのだけど、どのくらい息を吐いてどのくらい吸うのかのコントロールが慣れるまで難しい。
段々コツが掴めてきて、なんとか潜り続けることができた。ほっ。

酸素ボンベに頼って呼吸している自分と、何にも頼らず悠々と泳ぐ海の生き物たちとを比べると圧倒的に自分が無力で、
陸上では、ついうっかり最強の生き物・人間として暮らしているつもりだけど、実は非力だと気付かされた。
広大な海の世界。
地球上で、海の面積の方がよっぽど広いもんね。

好きなもの楽しいもの、ずっと続いてるのは演劇くらいかなあ。
旅とかキャンプとかも好きだけど、しょっちゅうは行けないしさー。
よく考えると、私つくづくアウトドア派なんだよね。
だから学問とか机の上でやることは向いてない。
人に会うのも大人数集まるのも好きだし。
もっと早く気づいていれば、無理して読みたくもない本読んだり学術っぽいこと言えるようにって見栄張って勉強する時間で、外国とかもっともっと行けたかもな。若いうちにしかできない旅がいっぱいあったのに。

大人になってからの、あのときああだったら。
私はまだ少しあてにしちゃうっていうか、言い訳にしちゃうっていうか、干城さんより流石にガキなんだろうね。
でも確かに、大学卒業するくらいまでずっとそういうことばっかり考えていたけど、今はそんなこと考えてもしょうがないとは心から思う。笑
そう考えると少しは円熟しはじめてるのかしら。とも思う。

成熟とか世界観とか言葉やなんかのこと

私、人として成熟するのがとても遅かったという自覚なのだけど、干城さんはどう?
可愛い話で言えばサンタさん中2まで本気で信じてたし、なんだろう、物事を深く考え始めたのは高2くらい。
それ以前は、何かを深掘りすることは一切なかった。
ある意味、高2まで無垢(という綺麗な形容詞でいいのかわからないけど)だったんだよね。悩みとかも寝たら忘れてたし。
最近やっと、全能感からの脱却をできたというか。
自分を凡庸だって心から認めて、そんな自分でもそんな人生でもいいやって前向きに受け入れることができたんだよね。32歳。
だから、やっと少しだけ大人になれたのは最近。
干城さんは大分違う世界観で生きてそうだけど、どうなんだろう。


(220710)干城
ダイビングやってみたいな。前は怖くて無理だったけど、今はちょっと興味ある。
僕はインドアかアウトドアか、どっちかわからないけど、(たぶんインドア寄りなんだろうけど、)何より、思い立ったら派だからな。いつになるんだろうな。
やりたいことをザーッと書き出して、それを1つずつやっていくって決めたら、実現できるのかな。
割とぼんやり生きてるよな、僕。

人として成熟するのがとても遅かった、か。人として成熟するってどういうことなんだろうね。

まやの文脈に乗ると、僕は僕で、人として成熟するのがとても遅かった、っていうふうに自分では思う。
サンタクロースは小3くらいでもう、親でしょ、ってなってたけど。何かを深く考え始めるみたいののきっかけは、僕は高3だったし。

でも成熟って、しようと思ってできるものじゃないのかもね。
お肉が、おれ成熟するわって言って熟成肉になれるわけじゃないし。
その肉の素質と周りの環境とによって、どのくらいのスピードで深さで、熟成されていくかが決まっていくような感じだよね。
(半分言葉遊びだけど、ちょっと本質的じゃない?笑)

成熟っていうのと、どんな世界観で生きてるのかっていうのとが、どう関係してくるのかはわからないし、僕はそれを観察しようとも思わないのだけど、
ときどき言われるその、違う世界観で生きてそう、みたいなことって、何なのかなと思ったりはする。
例えばまやは、どんな世界観で生きてるってことになるの? 価値観とはまたちょっと違う? (まぁ世界の見方と、何に価値をもつかはちょっとレイヤーが違うか。)
ずいぶん大きな問いを放り投げてみる。


(220714)まや
大きな問いの前に思考停止してしまった。
自分で書いておいて非常に答えづらい問いだと気づかされたよ、笑
それでも無理矢理書いてみるならば

どんな世界観で生きてるか。
価値観って書いた方が正確なのかもしれない。
私結構言葉の扱い方自体にあまり興味がないというか、多少意味がずれても好きな言葉を感覚的に選んで使う部分が強いから(誰でも多かれ少なかれそうとも思うけど)、単純に「世界観」って言葉を好きで使いたかったのかも。
そういう意味で、使った言葉に責任あまり持ててないな。
相手に伝えるための言葉を選ぶよりか、自分が使いたい言葉を選んでるんだろうね、ここのやりとりでは特に。
そんなことに気づかされました。

だから、どんな世界観で生きてるか/どんな価値観で生きてるか。
私にとって、完璧主義を捨てられたってことが価値観の大きな変更だったんだよね。
妥協できるようになった/中途半端を受け入れられるようになった/中途半端なまま一旦放置できるようになった、
以前は全くできなくて、終わるまでやりきるか、できなかったときはストレスで軽くパニック、っていうか爆発したりしてた(とても迷惑、笑)

そんな価値観の変更で、ああ、成熟してきたなって自分に対してにやにや思ってる。
人から言われたのもあるのかも。「成熟してきてるってことですね」って。
今までは、例えばクリアで澄んだ曇りのない湖のような世界観を目指しちゃってたの。
だけど今は全然、池。
水もそこそこ濁ってるし、謎の魚が泳いでたり、端っこにゴミとかもちょっとくらい放置されてるかもしれないけど、それでも、美しさとか楽しさ、良い部分があるって思えるようになった。
そんな、世界観/価値観かな。

「干城さんは全然違う世界観で生きてそう」って書いたのは、まず完璧主義ではなさそう。極端ではなさそう。
そこそこだったり、中途半端だったりすることもいい感じに受け入れて、うまいことバランス取れてそう。と、想像して。書いてみた。
(や、干城さんのアンバランスなとこはものすごくそうなんだろうけど、ね。)

確かに、お肉の熟成を考えると、成熟するってちょっとだけ腐るってことなのかもしれない。


(220715)干城
なるほどねぇ。面白いね。

僕は僕で、相手が理解しやすいような、伝えるための言葉を、あんまり選んではいないように思う。
自分の感覚を、できるだけ正確に描写するような言葉を選ぼうとしてる。
で、そのときに、本来的な言葉の意味と自分の感覚とを、僕はなんとか擦り合わせようというか、自分のなかでは、どちらもできるだけ正確にしたいっていうふうに思ってる。

たぶんちょろっと哲学なんかかじったからってのもあるんだろうな。
その高3の、何かを深く考え始めるきっかけってのがあってから『ソフィーの世界』とか読んで、
何がどのように考えられてきたか、みたいなのを勉強しようとしたりして、実際大学1年のときは哲学専修に行くつもりで授業取ってたりしてた。
歯が立たなくてドロップアウトしちゃったけど、言葉で世界を解き明かそうみたいな一滴がきっと僕のなかにあるんだろうと思う。

なんて言いながら、全然あやふやなことも喋るけど。
僕は三国志から(特に曹操孟徳から)影響を受けてて、あとたぶん道家(老荘思想)と法家的な思想にも影響受けてると思う。
これ、ちゃんと勉強したわけじゃないし、ほぼ漫画から受け取ったものなんだけど、僕の世界観とか価値観とかって、この辺から来てるような気がしてる。
たぶんこれが、「全然違う世界観で生きてそう」ってのに繋がってるのだと思う。
まやの想像はだから、それなりに合ってるんだろうな。

誰かの世界観とか価値観とか、僕はたぶんほとんど考えたことがないのかもしれない。
そういう意味で、他者への想像力みたいなものが欠けているのかなと思うときはある。

私とあなたは違う、別にそんなに理解しようとも思わない、でもその存在を認め合っている、ってのが僕は、いいなぁと思う。


アマヤドリの3人芝居は、キャンセル・カルチャーにまつわる連作だとのことだけど、この次は、アマヤドリの稽古とか作品とか、そこでのテーマなんかの話をしていこうか。



小角まや、干城の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/m5e18eb4b7f06


読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteの詳細や書き手の紹介はこちらから。 https://note.com/beyond_it_all/n/n8b56f8f9b69b これからもこのnoteを読みたいなと思ってくださっていたら、ぜひサポートをお願いします。