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それを踊りと呼べるまで⑥ 「ケア」を踊りと呼べるまで 前編

障害者が「障がい者」と表記されるようになってから久しい。
「害」という字が相応しくないという理由で、全国の地方自治体が表記の変更をし始めたのは2000年代初頭。
果たして私たちの意識は、この20年で、どう変わったのだろうか?

いきなりシリアスな書き出しになってしまったが、今回から前、後編2回にわたって、最近、私が関わりを持つようになった、障がい者施設での話を書いてみようと思う。

その中で、近年、様々な場面で使われ、その意味の範疇を広げている「ケア」という言葉にも触れてみたい。

というのも最近、自分のやっている事の中に「ケア」という言葉が含まれているかもしれないと思うようになったからだ。
しかし、この言葉を安易に使いすぎるのにも若干の抵抗がある。
それはかつて、私自身がこの「ケア」に失敗した経験があるからだ。
それは溯る事、十数年前、私の中に残っている「苦い記憶」である。

<初めての「ケア」の経験>

私はかつてALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を患う方の、日々のケアのバイトをしていたことがある。
まだ駆け出しのダンサー・振付家だった私は、コンビニでバイトするよりも、少しでも身体に関わる学びのあるバイトをしたいと思い、知人の紹介で、その人の自宅に通うようになった。

だがハッキリ言って当時の私には、この仕事は辛かった。
肉体的な辛さではない。その人と「ただ一緒にいる」ということが辛かったのだ。

当時私は20代で、とにかくエネルギーに溢れていて、身体的に何不自由なく動ける自分が、四肢はおろか表情や目線しか動かせないその人のケアをすることに、どこか後ろめたさを感じていた。

更にその人のケアをすることで身体的な学びを得つつ、収入も得ようという私の打算が、その人に見透かされているような気持ちに勝手になったり、自分の中に、その人に対して失礼な態度が無いだろうか?と自問すること自体に疲れ、最終的には、他者の命に携わるという、その仕事の重圧に耐えきれず、私はそのバイトを辞めてしまった。

食事も排泄も、痰の吸引も自力ではままならないその人の目を見て、その目線から文字盤を通してコミュニケーションをとる時の、あの緊張感と身体の重さ。私はその人の目を、今でも忘れることが出来ない。

「大切なことが、きっとココにはある」

そう頭では分かっていたのに、若い私は「ココではないどこか」を求めて、逃げるようにその場を去ってしまった。正直、怖かったのだと思う。
そして何より、動ける自分と動けないその人の「身体のトーン」のギャップが辛かったのだ。

その当時、ダンス業界では「ダンスと障がい者」というトピックが多く取り上げられ、数々の舞台作品が創作されていたが、この「苦い記憶」と、どこか「自分はそっちじゃない」という思いから、その頃私は障がい者と関わることを避けていたように思う。

その後、何回か障がい者施設でのダンスワークショップのアシスタントの仕事を受けたことはあったが、少なくとも自分から積極的に、障がい者と関わろうとはしてこなかった。

<あすか会との出会い>

そんな私が、兵庫県 揖保郡 太子町にある障がい者施設、社会福祉法人 あすか会と関わるようになったのは、兵庫に移住して二年、まだ世界がコロナを知らない2019年の穏やかな冬のことだった。

あすか会は、入所者(そこに住む人)と、通所者(そこに通ってくる人)のいる障がい者施設で、設立は1999年。
障がい者の子を持つ親たちによって創設された社会福祉法人で、様々な障がいを持つ方々の、日々の生活の支援や就労支援だけでなく、カフェの運営や、社会との繋がりを生み出すイベントの企画など、様々な取り組みをされている団体だ。

そんな あすか会のブランディングに携わる株式会社OFFICE KAJIYANOの山口さんが、「あすか会と京極さんが出会ったら、何か生まれるのではないか」という思いで声を掛けてくれたのが、私とあすか会との出会いの始まりだった。
実は山口さんは、今、私が住んでいる兵庫県神河町のご近所さんで、家族ぐるみでもお付き合いさせてもらっている、移住の先輩でもある。

そんな先輩のありがたい提案を受けて、私はあすか会を訪れてみることにした。

あすか会 公式HPより

あすか会では障がい者の事を、あすか会を利用する「利用者さん」と呼ぶ。
福祉業界では当たり前の事なのかもしれないが、私にとっては新鮮で、障害者を「障がい者」と書き換えるよりも、思いのこもった呼び名だなと思った。
そして、そこで働く職員が「我々を利用する者」として、障がい者と向き合うための初めの一歩が、その呼び名には込められているような気がした。

更にそこで出会ったあすか会 施設長の岡本さんの言葉には、より大きな思いがこもっていた。

「利用者さんが楽しめるダンスクラスもいいけど、利用者さんが輝けるアートプロジェクトをしませんか?」

私はダンス作品を創作したり、ダンスフェスティバルをプロデュースしたりした経験はあったが「アートプロジェクト」と呼ばれるものを、主体的にやったこともなければ、何をもってアートプロジェクトと呼ぶのか?その定義すらも曖昧だった。

しかし、「利用者さんが余暇活動で描いた絵を活用して何かできないか?」ということで見せて頂いた絵や文字たちを見ているうちに、私の中で「もしかしたら何かできるかもしれない」という思いが芽生え始めたのだった。

利用者さんが壁紙に書かれた絵
利用者さんが壁紙に書かれた絵

ひとまず絵の事に関しては素人なので、数年ぶりに芸大時代の友人に声をかけてみたところ、さっそく興味を持ち、この行く先の分からないプロジェクトへの参加を快く承諾してくれたのが、つじの ちさ さんだった。
彼女の参加によって、一気にアートプロジェクトの構想は進み始め、今ある絵だけでなく、更に素材を増やすべく、絵のワークショップをして、展示会をしようというところまで話は進んだ。

当初は、あすか会が運営する就労支援B型 拠点、 カフェ&フリースペース「ちゃのきカフェ」で展示する予定だったが、OFFICE KAJIYANOさんのコーディネートにより、姫路のアパレル企業koezukaさんとのコラボレーションへと発展。
利用者さんの描いた素材をつじのさんがアレンジし、壁画やモービルにしたものを、店内にインスタレーションとして展示させていただくことになった。
それが「あすか会 アール・ブリュット展」である。

つじのさんデザインのチラシ

こえづか三代目社長、副社長ブラザーズのYouTubeチャンネル「こえちゃんねる【播盛~ハリモリ~】」にアップされているインスタライブに、私もプロジェクトの参加アーティストとして登場させていただいた。

利用者さんの保護者の方々からは「自分の子どもの作品をこんな風に見てもらえるなんて」と驚きと喜びの声が聞かれ、全国紙や地元新聞、ケーブルテレビ等のメディアでも紹介されるなど、この試みは大成功を収めた。

朝日新聞掲載記事 あすか会 HPより


しかしその裏で、私はある課題を抱えることになった。

実は、つじのさんの絵を描くワークショップの直前、利用者さんに向けたアイスブレイクとして、私が簡単なストレッチをしたり、少し踊って見せたりしたのだが、それがハッキリ言って、全く利用者さんに、響かなかったのである。

原因は明確だった。絵のように分かりやすいモノではなく、コミュニケーションという目に見えない繊細なモノを扱う上での下地となる「私と利用者さんとの関係性」がまだ出来上がっていなかったのだ。

私の脳裏に一瞬、あの「苦い記憶」が蘇りそうになった。
しかし移住してからの二年、今までのダンスが通用しない様々な現場で踏ん張ってきた私は、「ま、はじめはこんなもんでしょ」という、20代前半の私にはなかった図太さを身に付けていた。

それに加えて30代になる頃、私は東京で発達障がい児の療育者として、多くの子供たちと共に運動療育を行ってきた。今考えれば私は、そうすることで無意識に、あの「苦い記憶」を払拭しようとしていたのかもしれない。

同じ「障がい」でも、身体障がいや知的障がいとは違って、目に見えにくい発達障がいの世界を生きる子供たちとの過酷で豊かな現場を経て、私は多くを学び、昔よりも少しだけハートが強くなった。

そんな発達障がい児の運動療育の現場の事をまとめた記事が、過去の私のnoteにあるので、ぜひ読んでもらえればと思う。
「グレーゾーン」発達障がい児とダンサーの交流から見えた世界|TOMOHIKO KYOGOKU|note

そして改めてあすか会のアイスブレイクを振り返ってみた時、私はあることに気が付いた。
それは「私と利用者さんとの関係性」を作るにはまず、「私と職員さんとの関係性」を作らなければならないということだ。

人は信頼する人の話を聞く。そして身近にいる人が拒絶するものを、受け入れようとはしない。
利用者さんの隣にいる職員さんが安心して笑っていなければ、利用者さんが笑顔になることは無いのだ。

利用者ワークショップでの利用者さんと、それに寄り添う職員さん

この気付きから私は、利用者さんとのワークショップよりも先に、「職員さん向けのワークショップ」の開催を施設長の岡本さん、プロジェクト・マネージャーの山口さんに提案することとなる。

そして、この考え方はやがて私の中で、「ケアをする人のケア」という言葉と結びつき、更に広く、私のやっている踊り、芸術、生き方そのものに影響を与えるようになっていくのだが、今回はここまで。

次回<後編>では、かくして始まった、あすか会「アートの時間」ワークショップについて、更に詳しく書いていきたいと思う。お楽しみに。



京極朋彦の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/mf4d89e6e7111


読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteの詳細や書き手の紹介はこちらから。 https://note.com/beyond_it_all/n/n8b56f8f9b69b これからもこのnoteを読みたいなと思ってくださっていたら、ぜひサポートをお願いします。