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非常勤講師をしていた時に大切にしていた事

昨年の1年間、私は定時制課程の高校で地歴公民科の非常勤講師をしていました。担当させていただいていた科目は世界史Aと現代社会。教職課程在籍中から日本史を専門として学んでいたので、世界史を教えるのは少し不安要素もありましたが、世界から見た日本史、日本からみた世界史といった観点は今後非常に重要になってくるため、教師としての良い学びを得られた機会になっていました。受け持っていたのは1年生。昼の授業だけでなく夜間の授業も受け持つ事ができました。

定時制高校は、様々な事情があって通学している生徒達が多く、全日制高校で教育実習をしていた私にとっては非常に得るものが多くありました。今後教育の現場で生きていきたいという望みを考えると、仕事として教壇に立った一番最初が定時制高校で非常に良かったと思っています。

授業などで生徒と接するときに特に拘って大切にしていたことは”性善説で考え、肯定的に生徒のことを捉え、しっかり承認する”ことでした。

性善説とは、人間の本性は元来先天的に善であるという孟子に由来する言葉です。努力を惜しまなければどんな人でも立派な人間になれるという考え方ですね。定時制高校には勉強が苦手だったり、毎日学校に通うのは身体的、心理的に負担が大きいといった理由や、集団が苦手といった様々な理由で進学してきた生徒などがいます。しかし、そうした理由に対して引け目を感じている生徒もいます。引け目に感じていることは決してネガティブなことではなく、一つのライフスタイルとしての通学であると考える事ができるよ、多様性溢れる社会だからこそ、むしろ全日制高校に通っていた場合とは異なった学びが得られるよと、発想を膨らませるようにコミュニケーションをとっていました。

そして、肯定的に生徒のことを捉えるということは何かというと、例えば生徒が授業中に寝ていた時、「昨日はアルバイトが忙しかったのかな」「体調でも悪いのかな」と考えて声を掛けることです。勤務校の校則では生徒のアルバイトは許可されており、生徒たちはそれぞれのライフスタイルや将来の目標のためにアルバイトで収入を得ています。もちろん、高校生として授業が疎かになってはいけませんが、年間を通していつも授業に集中し切れるわけではありません。時には身体的にも精神的にもしんどい時はあるはずで、まずは「どうしたの?昨日は大変やったん?」と聞くところから会話を始めていくようにしていました。

初めから「授業中に寝ているなんてダメな生徒だ!」と決めてかかり、いきなり注意から入ると、注意を受ける生徒も素直に注意を受け入れにくいでしょう。いきなり「喋るな!」といったように注意から入ると、”選択の自由が奪われたという認識から拒否反応が生じる”ことによって、注意が通らないともいわれるそうです。また、よく事情を聞けばそれぞれの生徒ごとに何かしら大変な課題をクリアしようとした上で学校に来ている場合が多く、まずは聞くことから初めて会話を通して授業中起きていられるように促すことが大切なのではないかと思っています。

最後に承認です。こちらはよく様々な書籍でも重要性が語られている事ですね。「今日はよくノート書いたね」「今のは良い考えだね」など、一つ一つの生徒の頑張りを承認する事は、自己肯定感を高めるだけでなく信頼関係を築く上でも大切だと思います。

褒めることと承認することは異なります。褒めることも大切ですが、適切に褒めないとむしろ「この人は本当に褒めてくれているのだろうか」と疑念を持つことにつながります。褒め上手になる必要はありますが、適切なタイミングと場面で褒めるように意識する必要もあります。

それに対し、承認は生徒一人一人をしっかり観察しているよという教師の態度を伝える事ができます。生徒一人一人は自分なりの頑張りがあります。それはいわゆる受講態度や習熟度など成績評価の範囲の外にある場合もあります。例えば積極的に周りに関わっていく事が苦手な生徒に、「困ったことはない?」といった声かけをした生徒の行動はとても素敵なことです。そんな時は「気にかけてあげていたね。ありがとう。」と一言コミュニケーションをとります。この会話を通して、良いことしたんだな、困っている人の手助けを今後もやってみようと思うようになってくれれば良いですね。

誰しもに「ここを認めて欲しい!」といった欲求はあります。そしてそれはパターン化されているわけではなく、100人の生徒がいたら100通りあります。そう上手く生徒の欲求に対してチャンネルが合うような承認は出来ませんが、日々の観察を通して生徒をよく理解することを怠らないようにして置くことは大事です。

私は教師としてこの3点を軸にして接するようにしていました。そして、モットーとして”指導をする者と指導を受ける者”という関係ではなく”一個人と一個人”として接することを重要視しました。教師と生徒という属性はそれだけでも上下の力関係が生じますが、「今からあなた達を指導します」といったニュアンスだとさらに暗黙下で力関係が生まれます。若いからこそ、出来る限り対等な目線で接していくように心がけました。そして私が”一個人”として表現したことにも拘りがあり、人の自律性は”自律した人として相手に接せられることで育まれる”という考えがあってこの表現を使っています。

言い換えると”大人として接せられるからこそ大人になる”といったところでしょうか。大学生が就職して社会人らしい雰囲気に変わるのも、社会人として接せられるようになって社会人の雰囲気が身につくと解釈する事が出来ると思います。子ども扱いではなく、1人の人として対等に接し、教師として成長の”手助け”をしているという捉え方が私の持論です。

こうした教師としての私の態度が良いのか悪いのかは判別は出来ないかもしれません。課題もありますし、常に”より良い”あり方を模索し続ける事が最も大切です。様々な経験と知識を統合していく事で、最善を探し続ける旅をしているのが教育者と言えるものだろうと考えるようになった教師生活でした。

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