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上野ラプソディ:GLOBALCITYの凱歌─多様性溢れる都会のオアシスか、将又カオス極める下町人情の町か─

 このまち上野はなんたるまちか。都市文化の集大成、山の手と下町の邂逅点、或いは無秩序の極北ともいえるだろうか。まさに私たちがつねに愛してやまないこの上野にこそ、現代日本を紐解く重大なヒントが眠る、まさにそういった一帯であろう。

 上野はまた江戸東京の歴史をそのまま反映した時代の鏡でもあっただろう。江戸初期、東叡山寛永寺が江戸城の鬼門、すなわち東北にあたる上野の台地に建立されてから、近世史とともに徳川時代を代表する象徴としてこんにちに至るまで400年のあゆみを続けてきた。幕末の上野戦争で荒廃後、明治に入ってから大部分が上野恩賜公園となり、勧業博覧会の会場になるなど我が国の近代化を支えてきた。公園内にはいまも燦然と輝く世界遺産にもなったあの国立西洋美術館はじめ、各美術館博物館の賑わいをみれば、上野が近現代の文化史を支えてきたといえるだろう。

 さて上野の山を降りると、大ターミナル上野ステイションが街場とすでに一体になりながら文化を形成しているのがわかるだろう。アメ横周辺の賑わいは高架ガード下のアングラな商業文化を創り出しながら、また上野らしさ、下町文化を象徴してきた。いまなお戦後昭和さながらの光景は昔日の日本社会の繁栄そのものであり、いよいよ新鮮な前世紀のらしさをここにみることができる。平成も過去のものになったというのに、令和のなかに昭和が残存しているから矢張り驚きだ。

 上野の街はまだまだ趣深いが、ここでステイションのなかを再確認したい。上野は長らく北の玄関口として知られてきた。東北や北陸への出発点として、またそこからの到着点として、大いに栄えた面影は、やや持て余した地平ホームのコンコースにも見い出せるだろう。夜行寝台も発着しなくなり、日中は閑古鳥の暗がりにみえるのは、ただ往時を語るあの石川啄木の碑のみだろう。

 ─ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみのなかにそを聴きにゆく─

 東北人啄木の想いはここにいまも伝わっている。

 上野駅はなにもJR在来線だけの駅ではない。地下に降りれば、東洋初の地下鉄・銀座線の乗場がすぐそこに。浅草まで地下鉄道を通したのはいまから一世紀も前のことだ。昭和初年から動き続けてきたジオフロントは都心部を連結し、下町浅草から山の手渋谷までを繋ぐ最重要路線だ。

 上野はまた人びとの集積地として繁栄を続けてきた。やはり交通結節点としての役目はなお現役で、成田空港へ直通する空港特急スカイライナーや、東北上越北陸ほか各新幹線が発着し、東京スカイツリーなど <イースト・トーキョー> の入口としても機能しているといえるだろう。このように、そこかしこから多様な人びとをあつめ、そしてそれらが創り出す唯一無二の文化があるからこそ、上野はいまもその輝きを失うどころか、寧ろいま一度多くの注目を浴びる観光都市へと進化したのだろう。

 大都市東京にあって、いまも他と異なる独特の魅力を放ってきたまち上野。ここから発せられるエネルギーには古今東西の人びとが魅了され、千客万来の上野はいまも独自の上野たりえるのだろう。まだまだ奥深いこのまちを、隅々まで探訪したいとまさにそう思わせてくれる不思議な文化都市を愛す。

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