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経営も育児も本気にさせた亡き父の実在を超える不在の存在とは。父が遺したものを僕も息子に残したい。

毎日真剣に子育てをしている。亡き父親の想いが僕を通して息子に注がれている。父親からは起業も子育ても大きな影響をもらった。息子の寝顔を見ながら思う。父が僕に想いを遺してくれたように僕は息子に何を残せるだろうか。

子どもが生まれて早1ヶ月半がたった。毎日があっという間に過ぎていく。赤ちゃんの子育ては、人間とは何かを考える人間学と、家族の在り方とは何かを考える家族学の究極の結晶だと思う。日々学び、日々実践し、日々失敗する。そんな毎日を他の家族と同じように繰り返している。

子育てを本気でやると子どもが生まれる前から決めていた。毎日、在宅ワークで打ち合わせは基本的にすべてリモート会議。だから洗濯・掃除・買い物などの家事からミルクやり・沐浴・寝付けなどの育児までできる限り奥さんと分担してやっていけている。仕事ができる時間が減った分は集中力で補うようにしている。

何故、ここまで本気でやりたいのか?それは自分が父親に子育てをしてもらったことがないからだ。経験したことがないことだからこそ、誰よりもまして自分が子育てをしたい。父は生まれて半年後に癌で亡くなった。僕は東京で生まれたが、父は仙台で闘病していたので会ったこともままならない。肩車をしてもらったことも夕暮れにキャッチボールをしたことも馴染みの居酒屋で酒を酌み交わしたことも一度もない。

子どもを見ていると驚きの連続である。毎日成長する、どんどん肥えていく。入院先から我が家に初めて来た日、あまりの小ささに抱く手が震えたものだけど、今やかなり重い。もちもちしている。顔なんてクレヨンしんちゃんのしんちゃんの顔とまったく同じ形をしている。あの造形はフィクションじゃなかったんだ・・と衝撃を受けた。

あらゆる行動に理由がある、ということにも驚いた。赤ちゃんなので当然ながらよく泣く。でも泣くには理由が必ずある。お腹が空いているのか、おむつが気持ち悪いのか、抱っこの姿勢が気に入らないのか。世の中の森羅万象には理由があるという当たり前の命題に気がつく。

赤ちゃんは朝でも夜でも3時間に一度、必ずお腹が空いてぐずるので体力的には結構きついけど、精神的にはとても豊かになった。息子が見せる毎日の変化は感動を覚える。昨日より今日のほうが確実に成長している。そして今日より明日のほうが確実に重い。

父親の不在は僕にとって実在をはるかに超えて影響を受けている。起業したのも父親の存在が大きかった。いま販売している商品のアイデアを思いついたのが35歳のとき。父親は35歳で亡くなった。父親が生きられなかった時間を考えた時、新しい挑戦を猛烈に身を投じたくなった。今、この刹那は父親が生きたくても生きられなかった時間なんだよなと考えると時間の貴重さや大切さが身に沁みる。Time is Money.なんて嘘だ。お金よりも時間のほうがずっと大切だ。一度過ぎたら戻ってこないのだから。

すやすや寝る息子を見ながら、僕は息子に何を残せるのかと考える。父親は35歳という若さで死んでしまってさぞや悔しかったろう。いま、僕がこんなことを考えているという事実を父親は把握することができない。死とは圧倒的な断絶であり、同時に永遠の定着でもある。父には一生会えないけど、一生僕の中に居続ける。どちらが良いかと言われれば、もちろん出来るだけ生きて息子と一緒の時間を過ごしたい。

父は意図しようがしまいが僕に色々なものを遺してくれた。そのすべては無形なもので消えないものだ。僕も息子には有形なモノよりも無形の想いを残してあげたい。