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亡き父に背中を押されながら、新しい商品が生まれて、新しい命が産まれる。父が生きられなかった時間を生きるということ。

私事なのだけど、10月20日に子どもが産まれた。37歳にして初めての子だ。48cm、2932gの男の子。妻が入院している病院は立ち会いも面会も不可なので、自宅に帰ってくるまで対面で会うことが叶わない。いまは画像や映像でしか見れないけど、やっぱりかわいい。実感が全然なくてどうしたものかとずっと思っていた。出産をした後に超特急で父になるという実感が僕の体を貫いてきた。

僕には父がいない。正確には僕が産まれた頃には入院していた。僕の出生地である東京から遠く離れた父の出生地である宮城県で癌の治療を受けていた。そして半年後に亡くなった。だから僕は父の背中を見たことがなく、父とキャッチボールをしたこともないし、成人した後にビールを酌み交わしたこともない。そもそも父の顔を見た記憶すらない。半年だけ同じ世にいたけど父はずっと宮城で入院生活をしていて直接会ったのは2回程度だったらしい。

がしかし、父の不在は僕の教育や人格形成には何の影響も及ぼしてこなかった。ザ・ノンフィクションじゃないけど父がいないことによってグレて不良になることもなかった。父の不在を思春期に影響を受けなかった僕が父親としてどう我が息子と接していくか、自分自身とても興味がある。

僕が父親に初めて影響を受けたのは36歳になったその日だ。父は35歳で亡くなった。早すぎる死だけど癌という病気はどこまでも残酷だ。僕が36歳のときに思った。あ、俺はもう父よりも歳を取っているんだなと。自分の人生はもう父を超えているんだと。俺は父に「あんたが生きられなかった人生はすげー充実してるぞ」と胸をはって言えるのかと悶々と考えて始めた。きっと父は悔しかっただろう。死期は自分で選ぶことはできない。もっと色々やりたいことがあったに違いない。そんな志半ばで亡くなった父が生きられなかった時間を僕はいま生きている。その時の僕はサラリーマンとしての仕事に言いようのない飢餓感を覚えていた。自分の本当にやりたいことをやるべきなんじゃないかと考えた自分に背中を押してくれたのはもうこの世にはいない物言わぬ父だった。そして37歳になる直前で起業した。2022年1月11日のことだった。

父の背中は見えない。でも父の存在は感じる。

そして2022年9月8日にかねてから開発を進めていた男性肌用のオーダーメイド洗顔料BespokeWashを発売した。ある意味、我が子である。このブランドは購入するまでにスキンケア診断をする必要がある。多くの男性の肌質や肌悩みにあった洗顔料を提供できるが、購入するまでに面倒な手順を踏まないといけない。商品には絶対の自信があるけど皆様の手に届くまで、いや、正確に言えばちゃんと売れるまで非常に時間のかかる手間のかかる子だ。でも、ゆっくりと育てていこうと思っている(もちろん、資金の続く限り・・!)。男性の清潔感と自信をあげるという大義を持ったこの商品をもっと多くの人に届けていきたい。

35歳で父は亡くなった。
36歳で僕は起業して、
37歳で商品が生まれ、そして息子が産まれた。

不思議な巡り合わせを感じざるを得ない。亡き父に自分の背中を押されながら、今の僕は生きている。不在が実在を超えることがある。産まれたばかりの我が子を見ながら、僕が産まれてすぐに志半ばで亡くなった父を想う。

いつか僕も息子に背中を見せることができるだろうか。