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なんで僕は起業したんだろうVol.2〜想像を超える騒々しい日々〜

みなさま、こんにちは。
株式会社Mr. Wanderlustという会社を
今年1月11日に立ち上げた佐々木史彦と申します。
本日9月8日(木)に自社で製作したスキンケア商品を売り出します。
広告代理店という全然違う業種にいた僕がなぜ起業したのか、
なぜ商品をつくることにしたのか。
徒然なるままに思い立ったことなどを書き記していきたいと思います。
まずは起業したきっかけである前職時代の話から。
どうぞよろしくお願いします。

ここからは「ですます」調ではなく「である」調に改めます。
あらかじめご了承ください。

電通のクリエーティブ局を早々にクビになり営業局に異動した。
何の結果もでずに営業局に異動したわけだが、異動先である営業局の担当クライアントは大手アパレル会社で、電通が独占してTVCMや新聞広告を扱っているとのこと。扱う金額もかなり大きいので人数も多く、僕のような制作担当だけではなくメディアやプロモーション担当など全部で40人ぐらいの大所帯だった。制作担当の部署に挨拶にいくと、みんな疲れ切った顔をみせていた。朝から寝ているひともいる。今までとは明らかに違う雰囲気に嫌な予感しかしなかった。そして想像をはるかに超える慌ただしい毎日が僕を待っていた。

ジェットコースターは落ちる直前が一番怖い。

異動して初めて外にある制作会社※に行ったときのこと。午後3時ぐらいに会社を出た僕に直属の先輩がひと言。「今日の打ち合わせは5時ぐらいまでだな」え〜2時間もやるのか、長い打ち合わせだなぁ、、嫌だなとか思っていた自分が甘かった。その日の打ち合わせが終わったのは翌日の朝5時。そう、14時間。先輩は確かにあっていた。
その間、僕は空気のようにただいるだけ。ひとことも喋らず、がしかし帰ることは許されない。別に必要とされているわけではない。ただ会議室の中にただいるだけ。いや、最後に出来上がったクライアントに提案するためのポスターの出力を持って帰ったので「ポスターを受け取る」という仕事はしたか。そんな生活が毎日続いた。いや毎日どころか毎週毎月毎年続くことになる。

毎日毎日やることは山のようにあった。朝から夜から朝までずっと仕事の日々だった。その大手アパレル会社は朝7時から勤務時間なので、ほとんど寝ずに朝イチのプレゼンに行く。そして撃沈。プレゼンは通らず、またプレゼン準備を進める。通常、広告提案はマーケティング部や宣伝部に提案して、宣伝担当役員に提案して、最後に社長に提案することが多い。このアパレル会社もそうだったのだが、この社長プレゼンが最大の鬼門だった。時間はだいたい10分。はやいときは3分。ダメな場合は容赦がない。オリエンや納期は関係なく問答無用でやり直しとなる。

あるときのキャンペーンでジーンズを商材にTVCMとグラフィックをつくることになった。グラフィックは著名なイギリス人カメラマンに撮影してもらうためにロンドンで撮影することが決まっていた。そのうち、このカメラマンにTVCMも撮ってもらおうという話になった。ところがどんなTVCMにするのかが全く決まらない。何を提案してもダメ。うんともすんとも響かない。どんどんロンドンに行く日が迫ってきている。次第に電通側もクライアント側も焦ってくるのだけど、相変わらず社長の首は縦に動かない。5日前、4日前、3日前、2日前・・ついには前日になっても決まらない。異常事態である。僕の経験では他のクライアントだとだいたい撮影1ヶ月前には撮影する内容は決まっているものだ。
そして当日。ついに何を撮影するのか決まらないまま成田空港に着いてしまった。チーム一同、何日も寝ていないからか目が真っ赤だった。結局、ロンドンについてからようやく撮影する内容が決まったのだけど、その辺の記憶はあまりない。プレッシャーと寝不足と安堵とロンドンの雨が僕の記憶も流したのだろうか。ロンドンのご飯は噂通り美味しくなく、出張最終日にみんなで食べた一風堂のラーメンが涙がでるぐらい美味しかったことだけは覚えている。

ロンドンの空も僕の心も曇り模様

こんな感じで毎回毎回事件だらけで騒々しい毎日だった。仕事が大変すぎるが故にチームメンバーはとても仲が良かった。よく0時をまわったあとに残っているメンバーで飲みに行った。毎日とんでもない長時間残業をしていたけど、ちゃんと給料に反映されていたのだからすごく誠実な会社だと思う。

そして、チームに異動してから数年後。上司に呼ばれて言われた。
「おい、次のクライアントへの出向なんだけど、佐々木が行ってくれないか?」

僕の中で歴史が動いた瞬間だった。

※制作会社・・基本的に広告代理店は自社ですべての仕事を完結することはできません。ポスターや新聞原稿などをレイアウトするデザイン会社やCMをつくるプロダクションなど数多くの会社と連携をしながら広告はつくられていきます。