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喜怒哀楽がわからない子どもたち



二学期が始まって、約ひと月。
一年が半分終わったというのに、わたしはまだ、職場に慣れずにいる。管理職面談で素直に伝えたら、「今後、慣れる見込みはありそうですか…?」とまで言われる始末。

わたしの勤務校は偏差値40を下回る、いわゆる教育困難校で、4月、半ばSOSのようなnoteを書いた。

そして、その現状は未だにあまり変わっていない。いくらか、わたしの心は落ち着いたけれど。
わたしにできることは何か。彼らのこれからのためにも、自分の心が死なないためにも、日々模索し続けている。


喜怒哀楽がわからない子どもたち

2学期が始まってすぐ、「夏休みの思い出を”喜怒哀楽”に分類して、報告してみましょう」というワークシートをやってみた。(着想を得たのは、夏に参加したHERO MAKERSの合宿から。プロジェクトに着手できていないのだけれど、その話はまた今度。)

"楽しかったことと嬉しかったことは、分類できなければどちらでも良いです。
イライラしたことと悲しかったことは、覚えている範囲で。"


1学期の様子から、感情のコントロールやアウトプットが苦手だなということがわかっていたので、まずは自分の感情を自分で理解する・自覚するワークをやろうかな、と企んでいた。


この夏、恩師に会う機会があって、そこでオススメされた『Freedom Writers』という映画の影響も大きい。

『Freedom Writers』(2007)
アメリカでの実話を基にしたノンフィクション映画。
1994年、ロサンゼルス郊外の公立高校に赴任した新人教師のエリンは、荒れ放題のクラスを受け持つことになる。人種ごとにいがみ合い、授業を受ける気など更々ない生徒たちを相手に、エリンは授業の進め方に苦心する。
ギャングの連帯意識や人種差別、大人への不信感を持つ様々な問題を抱えた子どもたちに、何でもいいから毎日日記を書くように一冊ずつノートを配る。生徒たちは次第に、「自分の言葉で語る」ようになっていき…。


誰しもが語る言葉を持っている。自分の気持ちを自覚していなくても、苦しくてもがいていても、書くことで何か整理される感情があればいいな、日記感覚で書いてくれればいいな、くらいの気持ちだった。"書くことはセラピー"と塩谷舞さんも仰っていたし、わたしもそう思う。


喜怒哀楽は、人間の根本的な感情だ。そう思って、疑ったことはなかった。
しかし、わたしはそこで驚くべき言葉を耳にする。

「先生、(感情が)”無”っていう欄ないんですか?」

これは、どういうことなんだろう。感情が1ミリも動いていない時間がそんなにたくさんあるのだろうか。
聞いてみると、夏休みは「自分で計画を立てないといけないから辛い」らしいのだ。
無限にある時間を、持て余している。


おそるおそる聞いてみると、何となく起きて、何となくご飯を食べて、何となくゲームをして、何となく寝る、生活だったらしい。
"ご飯を食べることも、ゲームをすることも、別に楽しいことではないので、感情は動いていない"ということらしかった。


一概に括ることはできないが、彼らにとってゲームは「壮大な暇つぶし」であり、「楽しくてやっているものではない」らしい。一人でやっていても全く楽しくないけれど、他にできることもないので、仕方なくやっているとのこと。

ゲームが楽しくない、それなのに続けているということが、ゲームを全くやらないわたしにとって本当に衝撃だった。
これが"中毒性"なのだろうか。
他に熱中できるコンテンツがあれば、そちらにハマるのだろうか。


この間、友人と話していて気づいたことがある。彼女は、平日がむしゃらに働いて、土日はまるでアメーバのような生活をしているらしく、「感情が"無"になる時間」が割と長いらしい。
わたしには、"無"という時間がほとんどない、本当にない。
常に、取りとめもないことを考え続けていて、良く言えば「いつも考えている」、悪く言えば「答えの出ないことでいつも悩んでいる」
とにかく鈍感なので、もしかしたら、"無の時間がある"ということに対しての自覚が持てていないだけなのかもしれないけれど…



"女は金"と思い込んでいる男の子

「じゃあさ、例えば夏休みみたいな自由時間が無限にあったとして、使えるお金が無限にあったとして、何がしたい?」

と聞いてみた。

彼らから帰ってきた答えは、集約すると3つに分かれた。

・そんな生活、すぐ飽きるよ
・別に買いたいものもないしな~
・「奢ってやるよ」って言えば、だいたい人ついてくるじゃん!


この最後の「金で人がついてくる」という発想が、非常に危険だなと思った。確かにお金は大事だし、生活するためには必要だ。けれど、信用や信頼、友情を築くためのツールとしてはそぐわない。そんな奢り/奢られの関係性が、健全に続くとは到底考えられないからだ。

この思想が特に強かった一人の男子が、「結局、女は金だよ。金のある男についていくんだよ」と吐き捨てるように言っていたのが、一番引っかかった。



感情のコントロールができない子どもたち

この、「女は金」と言っていた生徒をはじめとして、「常にイライラしている」生徒が非常に多いなと感じる。
「だるい」「ウザい」「帰りたい」と言うだけならまだしも、「イライラする!」と言って突然叫び出したり、「あいつほんと早く年欠(一年間で定められている欠席日数。これを超えると進級できなくなる)切れねーかな」と、平気で悪口を言う。それも、相手に聞かせるように。


彼らは、情報を溜めておくことができない。黙っていることができない。生まれた感情は全て口にする、「秘密」なんて通用しない。一人に話したら、次の日には全て広まっている。


常にフラストレーションを溜めていて、けれどもそれを発散・昇華する手段を持たず、悪口がある種の娯楽になっていて、突然叫び出し、自傷行為に及ぶ者も少なくない。リスカや異常なまでのピアス穴の数、タトゥー、抜毛…
特にこれらの自傷行為は、どちらかというと女の子に多いように思う。
そうすることでしか、自分の中に湧き上がる気持ちを昇華することができないのかもしれない。



この間、友人の勧めもあって『タロウのバカ』という映画を観た。

『タロウのバカ』(2019)
主人公の「タロウ」は学校に行ったことのない15歳の少年で、半グレの高校生二人とともに非行を繰り返している。ある日、一丁の拳銃を手に入れたことから、三人は過酷な現実に身を投じることになる…


感情のコントロールができない、フラストレーションを暴力によって発散してしまう子どもたちが主要な登場人物で、見るに耐えなかった。ずっと苦しかった。
彼らの「怒り」の源がどこにあるのか、破壊衝動の源は何なのか、知りたいと思った。
きっと、それすら自覚できていないのだろうと思う。
主人公役のYOSHIくんと、半グレ高校生の二人(菅田将暉さんと太賀さん)の演技が凄まじいので、皆さん良ければ観てみてください。(暴力耐性がないとちょっと苦しいかも…)



そしてちょうどこの映画を観る少し前に、話題になっていた『ケーキの切れない非行少年たち』という新書を読んだ。元々、Twitterでよんてんごpさんの記事がバズっていたことから興味を持ち、この本は絶対に読まなくてはと思っていたのだった。

著者の宮口さんは、精神科医として少年院で非行少年たちへのカウンセリングを担当されていた方だ。その中で感じた「非行少年たちはどうして生まれるのか?」その課題の背景を紐解く形で、綴られている。

タイトルの「ケーキが切れない」というのは、「ケーキを3等分することができない」という意味で使われている。冗談抜きで、「真ん中に中心を置いて120度ずつ角度をつけて切る」という方法が思い浮かばないのだ。(※リンクの画像参照)


宮口さんは、知的障害や発達障害を持っている子どもたちの障害が、幼少期の段階で認知・発見されないことを問題視されている。
その結果、教員から「サボっている、ダメな子ども」というレッテルを貼られてしまい、子どもたちなりに頑張っていてもうまくいかない…ということが何度も続いてしまい、非行に走るという流れがある。そして、警察に捕まって初めて知能検査を受け、そこで初めて障害を持っていたことが発覚するらしいのだ。


わたしの勤務校にも、ADHDをはじめとする様々な障害を持っている生徒や、診断は出ていないけれどグレーゾーンの生徒がたくさん在籍している。
一括りにはできないけれど、この映画や本の内容と照らし合わせて考えても、「学校に来れていて」「診断が出ているor診断が出ていなくても、受診したことがある」というのは、少なからず保護者の関心が子どもに向いていて、未だ状況が良くなる見込みがあるということなのだな、と思った。公的な教育機関に属することが、こんなにも重要な意味を持つのか、と初めて腑に落ちた。


終わりに

教員生活を始めて5年になるけれど、未だに知らないことがたくさんあって、勉強の毎日だ。
教科の専門性ももちろん大事だけれど、障害や自立支援・非行に走る原因や心理に関する知識を持っていないと、後々大変なことになるな、という事の深刻さを、肌で感じている。

飲酒や喫煙だけならまだしも(これも本当にいけないことなのだけど)、万引きや自傷行為、自覚がないまま運び屋をさせられていたり、性犯罪に巻き込まれていたり、いつ非行に走ってもおかしくない状態の子どもたちも多数いる。

だからこそ、自分の感情をコントロールしたり、最低限自分のことを自分でコントロールできるようになってほしいと思うのだ。わたしは、国語科として、言語化の手助けをすることで少しでも役に立てればと日々思っている。

話が冒頭に戻るけれど、この話に近いことをHERO MAKERSの合宿で話したところ、私立勤務の先生方の中にはこのような困難校の現状を知らない方も多かった。(わたし自身も、周りにこのような環境で育った友人がいないため、現任校に赴任するまで全く知らなかった)
解決策は見つけられていないし、問題提起ばかりのnoteになってしまったのだけど、少しでもたくさんの大人に、このような現状があること・支援が必要な生徒がいること・合理的配慮が必要な生徒がいること等を知ってもらいたいと思った。


(※まだまだ知識が足りていないので、間違っていることや、これとこれは混同して考えない方が良い、などのご指摘がありましたら遠慮なくお願い致します。遠慮は要りません、配慮だけお願いします)




ちなみに余談だけど、この記事(下記参照)で挙げていた男子たちには妙に懐かれてしまい、「先生の悪口言うクラス、俺らが潰しに行くからな!」などと言われている…。頼もしいやら、ちょっと怖いやら…。
(彼らは最近、わたしに対して敬語を使うようになりました…進歩…!)


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