見出し画像

ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』(若島正訳、新潮文庫)の感想

タクソヴィチ氏や、ラムズデール校の学級名簿、「防水よ」と言うシャーロット、ハンバートの贈物に向かってスローモーションで進んでいくロリータ、ガストン・ゴダンの型どおりの屋根裏部屋を飾っている写真、カスビームの床屋(彼を描くのに一カ月かかった)、テニスをするロリータ、エルフィンストーンの病院、青白く、妊娠して、愛しく、不帰の人となるドリー・スキラーがグレイ・スター(本書の首都)で死にかけている姿、谷間の町の鈴を鳴らすような音が山道(略)まで立ち上がってくるところ、といったイメージである。これらはこの小説の中枢神経なのだ。これらは秘密の点であり、意識下の座標であって、それを基にして本書は構成されている
(p562-563「ロリータと題する書物について」)

 本作の秘密とは。ナボコフは自作に寄せた文章で本書をポルノグラフィとして読むことも、思想の表明として読むこともしりぞけてこう書いている。読者は読了後その意味を思い知らされることになる。とはいえ、「発見の喜びを削ぐ」(p612若島正のあとがきの文章)ためにその意味はいささか曖昧にしか語られていない印象もある。ここでは、それをざっくりと書きたい。

 この物語はハンバート・ハンバートの手記として、彼がアメリカにわたり下宿先の娘ドロレスと出会い偶然や事故によって彼らが二人きりとなる第一部、アメリカを横断する放浪がはじまり、不意にその放浪がおわりを告げ、ふたたび彷徨がはじまるが意想外な展開を迎える第二部で構成されている。スクロールして読める以下で、作品の中枢について触れていこう。










 本作に何か仕かけがあるとは感じていつつも、「細心なる読者ならとうの昔にご明察の名前」(p483)をラストで明かされて、「え、このひと誰?」となった鈍な読者の私でも、後から読んで作品の中心を理解することはできます。それでも読みたい人は、さらにスクロールしてお読みください。




















 本当にいいですか?
















 この作品は話者ハンバートがドロレスと関係するデーモニッシュな物語と同時進行で、さらにひどい、他のもうひとりによるドロレスやおおくの少年少女を巻き込むサタニックな物語が隠れている、という構成をもつ。叙述ミステリとして圧巻の記述ですが、さらにスクロールした以下に、ナボコフが言及している箇所についてだけコメントを追加します。















タクソヴィチ氏(p51):アメリカに来る前に妻が重婚しているくだりで登場する。じつは他の人間が主でハンバートが影のような扱い。本作の全体と共通する構成をもつ。
ラムズデール校の学級名簿(p91):注にあるように父母も含め本作に彼らはちりばめられ登場している。全ての伏線はとても追えていないが、私が深刻だと思うのは、ちがうキャンプに行く同級生たちと溝が生じている話。
「防水よ」(p160):アワーグラス湖での言葉。みずうみが「砂時計」を意味することを印象づけながら、ドロレスに破滅の瞬間が近づくことが示唆されている。注釈参照のこと。
スローモーションで進んでいくロリータ(p215):贈物のベストは失ったセーターと対になる。そのいきさつを想像させるのと、直後のせっけんを使う場面もいたましく感じる。
ガストン・ゴダンの~屋根裏部屋を飾っている写真(p321):飾られた写真は単純にセクシャリティを示唆するが、彼は「地下室」に少年が好きそうな宝物を持つことで、本作のもうひとりと同様の暴力的存在と知らされる。
カスビームの床屋(p376):記述を注意して読むと、床屋は号泣しているとわかる。号泣に無関心でおどろくことができないハンバートの語りの構造を暴く。彼の自己中心性を哲学者リチャード・ローティは『偶然性・アイロニー・連帯』で本作の要として論じている。これはすごく格好いい読解です(号泣の理由はひょっとしたらハンバートが息子に似ていたからかも)。
テニスをするロリータ(p414):ハンバートが彼女をめでる記述がつづくなかもうひとりの「女優」が登場している。2つの暴力の物語のせめぎあい。
エルフィンストーンの病院(p425):看護婦(の姉)がもうひとりとのつながりを示唆されている。同上。ただし純粋に相手を想う心は増している。
グレイ・スター(序):言及すると完全なネタバレ箇所だが、序で読める。そこでの幸せを祈るハンバートは、自己中心性の外にいる。自分が影な存在を介してやっと自分の暴力を認めた彼にいら立つが、改悛に感動もする。
谷間の町の鈴を鳴らすような音が山道まで立ち上がってくる(p549):愛するものの当たり前の生活や生存をねがう箇所。ラストの境位にふさわしい。

 あとは雑感を。

 展開がずっとつらいのと、ラストに明かされる構図がダークすぎて私はひどくうちのめされました。ハンバートの語りがハイテンションで滑稽な悲哀もあるだけに余計にそう感じます。西尾維新氏や浦賀和宏氏のバッドエンドものがお好きな人はドハマりできるかもしれません。そんな私でも、本作の細部の意味をおそるおそる再読で確かめたい衝動にかられる大傑作です。

 ミステリ作家の名前を挙げましたが、本作が叙述ミステリと異なる点は「細部が両義的でない」という点です。Aと思ったらBだった、にとまらず、Cかもしれない、あるいはDかと細部がつねにみずみずしくたち現われます。読みの先達たちがその豊かさを読み取った好例が、p9の注とp550の注釈でしょう。そんな話なの? と再読したい欲が湧きます。20世紀文学の極北です。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?