夢への一本道を踏み外した

小学1年生の頃、僕は夢を持った。

それは、特撮番組や特撮映画を作りたいというものだった。

小学校の6年間、その夢に対する熱は一時も冷めることなく、小さな僕の胸の内で燃え続けていた。

中学に上がると、特撮を作りたいということ自体が何だか恥ずかしくなってきて、周りにその趣味や夢を話すことはなくなった。

でも、自分の中では何も変わることはなかった。

だから、早く大人になりたかった。

大人になりさえすれば、自由に自分の好きな仕事をして生きていけるようになる。学校に通う子供時代は我慢の時期。僕の認識はそんな感じだった。

僕の人生はつまるところ、その夢を叶えるためだけにある一本道であると感じていた。

ターニングポイントは高校時代だった。

僕は下手クソのくせにバスケットボール部に入り、年がら年中練習漬けの日々を送るようになった。

練習は苛酷だった。

体力の限界に迫る。精神の限界に近付く。

人間は子供であれ大人であれ、社会に出ている時は自分自身に多少なりともキャラクター性を被せて生きている。

落ち着きがあるタイプとか、動じないとか、シュッとしているとか、度胸があるとか。

周りの人間から見える印象は、実際のところその人自身がある程度無意識にでも演じているキャラクターがあるからだ。

でも、体力や精神の限界に近付けば、そんなふうに自分のキャラクターを取り繕う余裕は無い。

僕の場合、部活では自分の素の部分というか、ダサくて頼りない部分がこれでもかというくらい露見した。

泣き言や弱音なんか何千回と口にしただろう。

格好つけることなど、とても出来ない世界がそこにあった。

教室で、帰宅部の生徒がスカしていたり余裕そうな様子をしたりしていると、うちの部で練習すりゃそんな態度取ってる余地ねぇぞ、と内心で思い、勝手に冷めた目で見ていた。

もちろん練習が必要以上に苛酷に思えたのは、僕のバスケセンスの無さにも大きな原因があっただろう。

後輩も含めて、部で一番下手クソだったのだから。

それでもなぜ引退まで続けられたのかというと、部のメンバーのことが結構好きだったからだ。

何だかんだで高1の春から高3の春までの2年間、死物狂いでキツイことを一緒にする関係というのは、人生において特殊である。

僕は学校にいる間、教室では素が出せなくても、部室なら素に近いものが出せた。

そんな空間が、少しありがたかった。

バスケ部の一員だったからこそ出来た友達もいた。

もしバスケ部に入らず帰宅部になっていたら、根暗な自分にはほとんど友達なんて出来なかっただろう。

高校の頃に出来た友達や、部活の仲間は、僕みたいなオタクではなかった。

お洒落な人もいたし、人好きのする人もいたし、コミュニケーション力抜群の人もいた。

そういう友達が出来たことは、たぶんバスケ部に入ったからなのだ。

学校から強化部に一応指定されている運動部に入っていたことで、ほんの少しだけ他の部の生徒にも、自分の存在が認められているような変な感じがあった。

おかげで高校3年間を、そこまで悲惨な思いをすることもなく終えることが僕は出来たのだ。

と同時に、そんな3年間、僕はオタクな世界とは少し距離があった。

オタクな同級生と親好もあったけど、それは教室や廊下で会話する程度のフラットな内容であって、オタクな話題を口にしたりすることはなかった。

そもそも、僕はアニメやゲームには疎い。

特撮の話なんか出来る相手はいなかったと思われる。

もしいたとしても、学校でそんな話をすることがとても恥ずかしかったろうし、ダサいと思ったからしなかっただろう。

だから、自分でも気付かぬうちに、自分の中のテンションが、一般社会に寄っていた。

昔ほどの情熱が消え始めていた。

オタクモードから、一般人モードに、自分自身が切り替わってしまっていた。


高3の頃、進路指導があった。

志望進路先を書いて、担任に出さねばならない。

本来なら、特撮の業界に進む最善の道を探すべき時だ。

しかし僕は担任にすら、「特撮をやりたい」とは恥ずかしくて言えなかった。

代わりに、「映画を撮りたい」と言った。

当たらずといえども遠からずだ。

担任はそれを信じて、僕にある学校を提示した。

それは、日本映画界に進むなら一番とも言える、専門学校だった。

もし僕が、黒沢明や今村昌平、小津安二郎に憧れている人間だったら、その学校はまたとない進路先となっただろう。

しかし現実はそうではない。

僕は変な羞恥心から担任にまで素直な進路希望を伝えず、そのせいで自分が一番求めている進路とほんの少しずれた道に進むことになったのだ。

結果として、僕は入学から1年も経たずに中退することになる。

子供の頃から夢に向かって一本道を歩いてきたつもりだったけれど、僕は羞恥心という感情によってその夢から知らず知らず離れていき、重大な岐路で致命的にずれた道を進んでしまった。

小学生時代の自分が見たら失望するだろう。

僕の人生は、専門時代を境にして、その前後でまったく別のものとなった。

18歳までの自分と、20歳以降の自分は、結構別人だ。

見た目が老けたとかそういうのは勿論だけど、そういうことではなくて、内面がガラリと変わっている。

周りから見たら分からないものかもしれないけれど、本当に別の人間になった。

信念を踏み外した人間は、その後苦戦する。

もう一度、望むべき道を歩めるようになるには、それ相応の努力と戦いが必要だ。

それが新たな道だとしても、その大変さは変わらない。

楽ではない。

でも、やる価値が無いものでもない。

僕は今も人生の目標に向けて書き物をしている。

結果に結びつくかは分からない。

でも、この苦戦を乗り越えないと、自分自身が納得出来る道に再び乗ることは出来ない。

だから、しんどくてもやっている。

最大のモチベーションというかケツを叩いてくれるのは、一本道を信じていた、あの子供時代の自分から向けられている見張りの目である。

過去の自分に胸を張れるようにするためっていうのは、何だかとても後ろ向きな心構えに感じるけど、それもそれでひとつのプライドだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?