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精神を身体にひっつけて。

今日から共通テスト本番です。

これまでのすべての自分が出る日ですから,結果がどうであれ受け止めて,次につなげていってほしいと願っています。


前回までで主に試験におけるメンタル面の話をしてきましたが,「あまりこういった話を聞く機会がないので役立った」という感想を伝えてくれる生徒さんもいました。

少しでも役に立てたということで,話している身としてはありがたい限りです。


こういう話ができるのは,おそらく私自身が精神的に弱いからでしょう。
強い人はこんなことを考えなくても前に進んでいけると思いますので,あまり意識がいかないかもしれません。
うらやましい限りですが。

また,こういったことはやや話しにくい社会的風潮もありました。
「精神的」という言葉を使ってはいますが,私としては脳や身体のことを考えれば自然なことを話しているつもりではあります。

しかし,「精神論」になってしまうので,こういった考えに慣れていないと受け入れにくい気持ちもわかります。
精神論は嫌われやすいですから。


こういう話をする時に気を付けたいと思うのは,あくまでも脳や身体の観点から話しているという印象を持ってもらうために,実体験と結び付けてあげることです。

この実体験は,多くの人が体験してきたであろうことを想起させて共感を呼ぶ場合もありますし,その場で体験させることもあります。


そして話した「結果」にこだわらないことです。

一人一人違うのだから,全員が同じ反応になる方がおかしいと思っておいた方が良い。

同じ話をしていても,聞いている人は一人一人違います。

それぞれがそれぞれの関心をもって聞いており,その場にいる動機も違います。
このnoteも同じで,じっくり読んでくださっている方もいれば,飛ばし読みをする方もいるかもしれない。

何か得ようと読んでくださっている方もいれば,時間がなくてさっと目を通すだけという方もいるかもしれない。

そしてそれぞれが読んだ結果として伝わるものが違います。

その中で,本当に誰か一人にでも何か参考になれば良いなと思って書いています。

ここを気にしだすと表現はできなくなってしまいます。

多方面に気を使いすぎるあまりコンプライアンスでがんじがらめとなり,表現の幅が狭くなってしまったテレビのようです。


また,気を付けたいのは,むやみにこういった話をすると,学力的または解き方の問題で間違えたものを,なんでも精神論にすり替える人が出てくるということです。

普通にまともに勉強した方が良いのに,「私は○○な人だから」という「言い訳としての精神論」として使われてしまうこともあります。

そういう人がいたら,「頭いいな…」と思いながら,勉強の方面に誘導していきます。
脳ってどこまでもクリエイティブです。
よく「皆さんの頭は自分が思っているよりも優秀ですよ」という話をしますが,これも優秀さの一つだと思っています。


そんなクリエイティブな脳を最大限活かして,受験生の皆さんが良い結果を出せることをお祈りしています。

(サムネイル:AI画像生成による「精神」。暗い。働かされすぎて嫌になっているのかもしれない。)

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