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【エッセイ・後】みんな喜ぶ「主体性」
前回記事はこちら。
前回は,生徒自身を前向きに主体的にさせたい一方で,教師側の膨大な手間を取らせないようにする場合,生徒自身に自分の面倒を見てもらうのはどうか,というところまで書いた。
授業の最後の時間を確認テストに充てて,既存のシステムの延長を組み込むのなら,確認テストではなく「授業の振り返り(リフレクション」)に時間を割くのはどうだろうか。
おそらく受動的に評価されることに慣れきっている学生たちは,リフレクションがうまくない可能性が高い。そこで,授業外でやらせるよりも,授業内で教師が伴奏者となってやってあげれば良い。そこでコミュニケーションのきっかけも作ることができる。
(家ではおそらくやらないのは,多くの人が「慣れていないことは後回しにし,結局やらない」ことを考えてもわかるだろう)
そこでそれぞれ授業で学んだことや,現状の課題,克服のために考えられること,次のテストへの目標などを簡単に書かせる。そこで,授業内容を「思い出す」ことで,一定の教育効果も期待できる。
注意点としては,「自罰禁止」である。「反省」と言うと一定数「何か悪いことをした自分」を思い浮かべる人が出るのは予想できる。
あくまでも「個人的な振り返り」に徹すること(周りの評価をできるだけ排除する)で,既存の他者評価システムの中で,それぞれが自分なりに前進している感覚を持つ「余地」をつくれる。
ICTが使えるのなら,それをタブレット等で記入させ,送信してもらえば良い。そうすれば,教師が時間のある時にそれを見て,自分の授業の振り返りもできる。リフレクションで気になる学生がいれば,話をしても良い。
教師は教師で,学生のリフレクションシートを参考に,自分の授業がしっかり伝わっているかを分析する。
あくまでもリフレクションなので,記入項目に「授業はわかりやすかったですか?」などと入れてはいけない。これは記入する側の心が教師という客体に向く。これではリフレクションにならない。
記入側が「相手を評価しよう」と無意識にでもなった瞬間に,それはもう心が受け身になっている。回を追うごとに,「さあ,満足させてくれよ」と受動的になっていくだろう。
だから,あくまでも自分を振り返って評価する。
その振り返りを見て,教師は自分の授業をリフレクションする。この辺りは教師の目的意識が重要で,それがないと効果的なリフレクションができないだろう。真剣にやれば,段々と自然に授業力がついてくる。
学生を批判しようとしたらうまくいかないが。
つまり,学生も教師もそれぞれでそれぞれをリフレクションする。
初めから終わりまで他者を介在させずに分析する。
鏡に映った自分が,いきなり動いて自分を指さして何か言ってきたら嫌だろう。鏡を見て,ありのままの自分の様子をチェックする。これと似たようなことやるイメージだ。
鏡を見るのが怖いという人が一定数いるかもしれないが,べつに異世界とつながっていないし,左右も反転しないし,自罰禁止だ。だから安心して振り返るように学習させれば良い。
慣れてきて,前向きさが一定量に達したら,段々と主体的になってくるかもしれない。その後にはテストの点数等にも表れてくるだろう。
そのテストデータと,振り返りの内容を照らし合わせれば,何かしらの相関関係が見えてくるかもしれない。
それは学校の先生へのアピールポイントにもなる。定性データとして前向きなコメントも取っておけば,対学校外アピールにも活用できる。
学校とその他の組織のコミュニケーションにも使えるし,そこの信頼関係の構築にもつなげることができるかもしれない。
また,最後に,購入意思決定者である保護者のために,料金をリーズナブルにもできれば,(うまくいけば)コスパの点で喜んでもらえる可能性もある。何より,学力も大事だが,わが子が主体的になっていく様子は親としては喜ばしいものだと思う。
まとめると,うまくやれば,
学生:主体性向上,教育効果上昇
教師:授業スキルの向上
学校:アピールポイントの取得,教育成果の向上
保護者:納得性のある価格,わが子の成長の実感
が見込める。「四方良し」が作れた。
あくまでも理論的な話なので,実験はスモールスタートでこれからどこかでやろうと思っている(いつか)。
ここまでの「振り返り」を振り返るが,学びは本来振り返りの時に起こる。
だから「復習が大事だ」とよく言われる。
教科の振り返りももちろん大事だが,その振り返りの中で動機の部分に目を向けることがこれまで多くなかったように思う。
アクティブラーニングのように授業システムそのものを変える方法もあるだろうが,そうでない部分で主体性を向上させることもできるだろうというのがここで言いたかったことだ。
また,できるだけ関わった人の多くが,活動を続ける中で段々と前向きになっていけるということも重要だ。
「人財」という言葉はあまり好きではないが,そういった資産性を帯びていくような活動を考えていくことは,個人的にも社会的にも意義があるようで楽しい。
そういうわけで,自分はどうなのかとこれまでの人生を振り返っていたら,鏡を見るのがこわくなった。
(写真: 山梨。振り返ってみるといろんなことに気づくのは,当たり前の話である。いやでもいつも前しか向けないのだから。後ろは常に見えていない。)
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