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2016年2月

 2016年の2月に、一人でニューヨークを旅行した際に付けていたメモのような日記を見つけ、読み返している。

 5年も前のことであっても、その時の情景や、前後の出来事までもが次々と脳裏に蘇ってくるもので、人間の記憶とは不思議なものである。

 私は写真のことは記憶の外付けHDDだと常々思ってきたのだが、どうやら同じことが日記にも言えるらしい。

 就職した方がいいのかな、と思って就職してはみたものの、働く中で将来への展望を見いだせず、かつ肉体的疲労を伴う長時間労働に完全に心が折れてしまい、退職した直後に逃げるように人生二度目のニューヨークへの一人旅を決行し、目的もなく、何もせずただ2週間ほど一人でぶらぶらしていただけの暗い現実逃避の旅であった。

 人に読ませることを意識した文章ではなかったとは言え、母国語であるはずの日本語の構成能力は今以上に拙いように思う。

2/20

・セントラルパークで知らない男性2人 女性1人(白人)の白いテリアみたいな犬がベンチに座ってた自分のところに寄ってきてとても可愛かった。

(ボールを投げろと催促された)

・夜中にガスレンジコンロの種火?みたいなのが消し忘れかと思って息で吹き消したら、置いてあったチャッカマンが切れててつけられなかったので、慌てて深夜2時のスーパーまで走って行ってライター買った。ずっとガスが漏れてるみたいになっちゃうから。

スーパーでどこに置いてあるかわからなくて困っていたら、おじさんがレジのところで助けがいるか聞いてくれて「ライターが欲しい」と伝えたら「マッチとかライター?ID持ってる?」と訊かれて。IDないと買えないんだ、パスポート持ち歩いてたから買えたけど。

ライター買うときにレジのおばさんが、パスポート見て、アリガトウ、今んチハがHelloでいいのと聞かれたので、good eveningはこんばんはだよと教えてあげて、去り際にありがとうだって。


 この時の滞在は、クイーンズ地区のボロボロのスタジオ宿泊していた。

 日中はセントラルパークを訪れ、帰宅後の深夜になって、宿泊先のキッチンでガスレンジの種火を誤って吹き消し、ガスが漏れ続ける状態に動揺するあまり、慌てて火を起こせるものを買いにスーパーに走った、という内容だと解釈できる。

 話し相手がろくにいないためか、公園で偶然近寄ってきた犬との一瞬の邂逅に救いを覚えるような一人旅の孤独感をふっと思い出し、自分が可哀想になってくる。

 また、スーパーで火種を買う際に身分証明書の提出を求められたエピソードから、小柄で貧相な体格に拙い英語力も手伝って、行く先々で子供扱いを受けた記憶も朧げながら蘇ってきた。

 日本のパスポートを見せて私ちょっと日本語知ってるよ〜、みたいな感じで深夜なのに優しく接してくれたレジの優しいおばちゃんは、ロシア系で、私の英語も変わっているでしょう、と言って笑っていた。

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自然史博物館

チャイナタウンのPho Bang

チップとか英語全然わからないのに優しかった

お茶いるか?すらわかんなくて、とりあえずメニューの一番上のフォーを頼んで、とてもおいしかった。

英語ろくにわかんないのに優しくて優しくて。

おじさんと、マシーって呼ばれるおばあさん、ありがたかった。会計の時にチップ払えなかった。


 マンハッタンの自然史博物館を訪れ、チャイナタウンでフォーを食べた日。

 前日のスーパーに引き続き、英語の拙い子供の一人旅だと勘違いされたのか、同じアジア人同士ということも同情心を煽ったのか、お店の従業員の方々によくして頂いた記憶はある。

 フォーを頼んだら、生のミントの葉っぱなどが大量に付いてきたのにまずびっくりしたし、半生のような牛肉が乗っかっていて、日本では食べたことのないそれが、めちゃくちゃ美味いのにもびっくりした。

「チップを払えなかった」というのは、正しくはチップを受け取ってもらえなかったという事だったように思う。

 なお、このPho Bangは現在も営業しているようだ。もし今後の人生で再訪する機会があれば是非ともチップを置いて帰りたいものです。

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2/22 すごい晴れ

ブルックリンでユダヤ人街に迷い込んでしまい、超、浮く

ブルックリンブリッジ渡って後悔

シェイクシャックのお姉さん超イライラ、超怖い

何かトラブっているらしく最初に並んだレジのお兄さんがどっか行く

お姉さんイライラしてるけど横に行ってオーダー

11.52だったんだけど50ドルしか持ってなくて、0.52持ってないの!?と怒られる

目も合わせてくれない。

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 ブルックリン地区を散策していたとき、そうとは知らず、ユダヤ教超正統派のコミュニティを通りかかったのち、ブルックリン橋を徒歩で渡ってみたものの、そのあまりの長さ故に後悔し、おまけに腹を満たそうと入店したシェイクシャックで小銭を持たずに50ドル札で支払いをしようとしたら不機嫌なレジのお姉さんに怒られた日。

 記憶は定かではないが、ブルックリンまで足を運んだということは、おそらくはお洒落なお店がいっぱいのウィリアムズバーグあたりも見回っていた筈なのに、楽しげな記述が一つもないのは一体どうしたことか。

 ご存知の方であれば想像に難くないかとは思うのだが、ユダヤ教超正統派の方々の服装規定を守る人々の住むエリアで、東アジア人の容貌に全身ユニクロという格好は、かなり異質感が強い。多様性を謳うニューヨークの中でも瞬間的に圧倒的なマイノリティという感覚を味わったせいか、「超、浮く」という簡潔でありながら動揺を隠せない一言が記されていて、わずか数分程度の出来事ながらその経験への衝撃が見て取れる。

 シェイクシャックのお姉さんの態度には、日本の気持ち良い接客をスタンダードとして生きてきた青年には厳しいものがあったのか、心なしか手書きの文字が泣いているような風情であった。せっかくの旅行なんだからもうちょっと楽しめよ!!と喝を入れてやりたくなるほどだ。

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 2/27

・チャイナタウンのベトナムカフェのおばさんが、あなたにそっくりな顔した中国人の知り合いがいるのよ、と。

・CDショップで知らないおじさんが何を探してるんだい?

Imagine Dragons?

なんだそれ知らねー、店の兄ちゃんに聞けよ!と

店のにいちゃんたちはその辺にあったはずだから探してみて!と

・近所のスーパーのレジのお姉さんがあーお腹すいたわーでもあとちょっとで終わるの^ ^みたいな。ちょーかわいい

 

 前の日記より5日空いて、この日を最後にメモは残されていない。三日坊主ではなく4日坊主である。

 最初のエピソードに出てくるベトナムのカフェは、google mapでそれらしき場所を探しても見つけられなかったのだが、間口の狭い、店主のおばさんが一人で切り盛りしている店だったように記憶している。

 おばさんはこちらが英語が達者でないのを見て取ると余計に優しく接してくれて、世間話ついでに「あなたによく似た顔の友達がいるのよ」と言ってくれたのだと思うが、実はこの数日後に再訪した際、そのお友達である中国人のおばちゃんが時を同じくしてたまたま顔を出しにきており、店主のおばさんは身振り手振りで「この人よ!ね?似てるでしょう〜」と嬉しそうだった。

中国人のおばちゃんと私は顔を見合わせ「顔の作りはそこまで似てないけど、でも、お互いに丸顔で色白なところはそっくりだな、、、」と無言のうちに認め合ったのだった。

 CDショップではメモにある通り、気のいいおじさんが話しかけて来てくれたものの、彼はImagine Dragonsを知らず、言われるがまま店員さんにも訊いてみたが最後まで見つけられず仕舞いだった。

 世界中どこでもそんなものだと思うのだが、2016年の時点でマンハッタンからCDショップは姿を消し去っており、この時立ち寄った店は自分がオンラインで探し当てた数少ないレコード店のうちの一つだった。

 とはいえ東京では渋谷にタワーレコードが大きく聳え立っていたりもするわけで、マンハッタンに大型のレコード店が一店舗もなく、逆に小さな個人経営の中古レコード屋が目立つという状況はなかなか衝撃的だった。

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 実際には2週間程度の滞在ではあったが、フィルムカメラで写真を撮影していたこともあり、文字での記録はこの4日分の日記とも言えないようなメモのみである。

 とはいえ日記には書いてこそいないものの、実際にはもっと観光客っぽいことをして楽しんだのも、当時撮った写真などをみれば一目瞭然だ。

 アストリアではイサム・ノグチ美術館に行ったし、フラッシングの商業施設の地下でよくわからない火鍋みたいなものも食べたし、ハイラインをずっと歩いてホイットニー美術館を見た後に本格的なタコスを食べたし、9/11メモリアルミュージアムを見た後はじっと考え込んだりもした。

たまたま出くわした市長への抗議デモというものを見て驚いたり、意味もなくフェリーに乗ってスタテンアイランドへ渡り、何もしないで戻ってきたりもした。

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 それどころか、メモや写真に残っていないだけで、ド定番のストランド書店ではお土産にトートバッグも買ったし、アーバンアウトフィッターズで自分用に安くはないが高くもない、その当時の年齢の自分に似合った服を買ったりもしていたので、むしろ一人旅なりにちゃんとハシャいでいた訳だ。

 それらを踏まえても、あくまで個人的な経験に基づく私見だが、見知らぬ誰かが声をかけてきて短い会話を交わす機会の少なくないニューヨークというのは、「日本人の両親の元に生まれて日本で育った日本人」という異文化にまるで触れたことのなかった私のような人間には、ただ単に刺激的なだけではなく、同時に救いのある街だったように思う。

 「バックグラウンドが違う者同士でも同じ人間なのだからある程度言葉さえ通じれば最低限のコミュニケーションくらい取れる」という、かなり重要なポイントを肌で感じさせてくれたという意味で、最高の度胸試しだったとも言えるだろう。

 それは何故かと言えば、この一人旅の後に、諸々の条件からフランスへの留学を選び、そこから更に就労ビザでイギリスに渡るなどして、最終的には4年以上もの月日を欧州で過ごすことになったからであり、この時の経験こそがその後の海外生活の礎となったことは間違いない。

 ニューヨークという場所に集まる人々と、ニューヨークという都市そのものに愛着と敬意を表したい今日この頃である。

 






必ずやコーヒー代にさせていただきます。よしなによしなに。