人生は行動力が全て!【脱サラ船酔い漁師、漁師体験時の話】
今回は、いよいよ私が漁師になるキッカケとなる漁業体験に至るまでのお話です。振り返ってみると、若さゆえ、勢いに任せて、「とりあえず飛び込んだ!」という感覚があります。人生、何がターニングポイントになるかわかりませんよね。
↑前回の記事です
何か一歩を踏み出したいけど、なかなか勇気が出ない。そんなあなたに読んでいただきたいです。
これが望んでいた景色?トップセールスマンの悩み
僕は着実にトップセールスマンへの道を歩みだした。初年度の新人全国1位は獲り逃したものの、セールスコンテストの常連組の仲間入りを果たしていた。
どん底の新入社員からのスタートで、憧れであったトップセールスマン達の世界。いざ登ってその眺めを味わってみて、なぜだか満たされない心がそこにはあった。
売れば売るほどに課せられるノルマ。あれだけ憧れて、たどり着いた現実は、イメージとはかけ離れていた。
周りのトップセールスマンを眺めてみると、明らかに売れる棟数を自らコントロールして抑制していた。下手に半期で売上を上げても、次の半期でお客さまのフォローに追われ、売り上げが落ちる(=歩合給マイナス)を防いでいたのだ。
実際、年間を通してみた場合、売上げをわざと下げて、ノルマを減らしたほうが年収は良かった。この建築業界は「クレーム産業」と呼ばれ、契約を取れば取るほどクレームが増えてストレスが溜まる。営業としての自分のミスが原因なら納得ができるが、工事段階での現場クレームがほとんどだった。最終的に営業が出ていき、処理しなければならない事が多く、新規契約に奮闘する時間が奪われていく。
現場の職人さんがお客様に挨拶しない。職人さんが二日酔いで仕事をせずに現場で寝ている。職人さんのタバコの吸い殻が庭で山積み。現場監督による現場管理がまったく機能していない。
あるとき、引き渡し間近の新築のトイレに、用を足した後があるとお客様からの指摘があった。調べてみると、現場の仮設トイレが早めに撤去されたため、職人が使用していたという。「なんでお客様より先にトイレを使っとんねん!!」と建築現場で職人と大ケンカしたこともあった。
営業マン自らが、現場監督として職人の言葉遣いをただしたり、ご機嫌取りまでしたりしなければいけなかった。この一連のやり取りのおかげで、職人さんと意気投合し、無理難題な現場修正にも応じて頂けたりするメリットはあったものの、肉体的にも精神的にも限界が近づきつつあった。
いつしか僕も持ち前の全力投球を放棄し、契約数をセーブし始めていた。そんな自分自身が腹立たしくもあったが、クレームを放棄して新規契約を優先する事もできず、不完全燃焼な日々が続いた。
ある月、不覚にも他社メーカーに契約を奪われてしまう。2年9カ月競合負けしない記録が途絶えてしまった。
「次、建てる時は河西さんに必ずお願いするからね。ご縁がなかったという事で…」
久しぶりにお客さまから聞かされた、お断りの常套句だった。
営業仕事のストレス発散だった「海」
そんなストレスだらけの営業生活の中、唯一の楽しみは、休日に仲間と海に行く事だった。残念ながら、僕の生まれ育った大阪の海は泳ぐ気がしないほど汚れていた。鳥取の漁師が見たらきっとビックリするだろう。
キレイな海を目指し、和歌山や京都の海に2時間ぐらいかけて遊びに出かけていた。スキンダイビング(素潜り)や、青空の下で潮風に吹かれながらのバーベキューは、営業で溜まったストレスを見事に吹き飛ばしてくれた。
僕にとって海は天然の医療機関だった。毎週のように同じ場所・同じメンバーで通い続けていると、地元の人や漁師さんたちともいつしか仲良くなっていた。
「おっちゃん、漁師って一攫千金で儲かるんやろう?」その当時の僕も世間と全く同じ、テレビや漫画の世界で一方的に植えつけられた漁師像を描いていた。「ええなぁ~、おっちゃんらいつも自由で、1日でええから代わってな~」なんて冗談を言っていた事が懐かしい。
「いつか自然の中で、もっと自分らしく活躍できる仕事ができればないいなぁ〜」と戯言を言っていたのが、そもそもこの物語の始まりだったように思う。もちろん「漁師」という職業に就く事は頭の中には全くなかったし、ましてや漁師という特殊な仕事が思いつきでできるとも思ってもいなかった。
僕は休日の自然回帰ツアーが終わると、また黙々と契約獲得に奮闘する営業マンとして慌しい日々を送っていた。
「ひと夏の思い出作り」のはずが・・・
ある日、パソコンでネットサーフィンをしていたら、あるサイトの文章に目にとまった。
「漁師になりませんか? チャレンジ!沿岸漁業体験インとっとり」
サイトの中を興味深く読み進めると、「漁業体験」のページにたどり着いた。鳥取県が主催する4泊5日の体験漁業。なんとか仕事のスケジュールを調整し、案内日程より1日少ない、3泊4日で参加することになった。
動機は「素潜り漁の体験」ができるという単純なもの。漁師さん直伝の「素潜り漁」を教われば、もっと素潜りが上手になれるに違いない。「漁師になろう」という考えはみじんもなく、「ひと夏の思い出作り」程度のものだった。
参加メンバーは全員で6名。元海上自衛隊員や海洋大学出身者やみなさんが何らかの海につながる経歴の持ち主だった。彼らの本気度に、僕はかなり引き気味だったし、別の理由で「もう帰りたいな」と思っていた。
なんと、この漁業体験のプログラムに素潜り漁の体験がなかったのだ。「素潜り漁」体験は、前回の違う港での内容で、まったく興味のない「底曳き漁」と「イカ釣り漁」がメインの体験だったのだ。
僕が思い描いていた「ひと夏の思い出作り」は海の藻くずに消えたが、漁船にも乗れるし、遠路はるばる鳥取まで来た事だし、気を取り直して「ひと夏の思い出作り」にとりかかった。
野生の血が騒ぐ
生まれて初めて、船に乗せてもらって海に出た。潮風を切って走る船の上で「気持ちいい!!」の一言が勢いよく出てしまうほど。
初日は底曳き漁の体験。揚がってくる網の袋に、眩いばかりに光り輝く銀色の魚たち。「圧巻・爽快・豪快」。感動の連続で、子供のようにはしゃいでしまう。男としての狩猟本能が目を覚ます感覚とでも言うのか、眠っていた野生の血が騒ぐ。「生きている!!」という実感が湧いてくる。
海の上から見る景色も最高だった。夕焼け・満点の星空・朝焼けに煙る山々・何か自分が特別な存在になったかのような錯覚さえ覚える。とても興奮していた。
漁師のおっちゃん達がみんな自由で格好良く見えてくる。己の生身の肉体ひとつで、大自然に立ち向かう様は迫力があった。
翌日は風が吹いているという理由で底曳き漁体験は中止になり、自由時間に。港での座談会という名の「宴会」が始まる。旅番組のテレビでよく見かけた事のある光景だ。言葉はほとんどわからないが、自分がその輪の中の一員でいる事が、何だかとても誇らしかった。
都会と違い、ゆっくりと流れる時間。まるで南の島にバカンスに来た気分。この体験地である鳥取市賀露町は、昔ながらの風情のある漁師町で、いい雰囲気を醸し出していた。
鳥取市内という事もあり、勝手にイメージしていた田舎特有の不便さを全く感じることがなかった。車で少し走れば、ショッピングセンターやコンビニエンスストア、ファストフードチェーン店などもあった。「漁師町なのに、10分で都会並み」みたいな賀露町がとても気に入ってしまった。
3日目はイカ釣り漁の体験だったが、海が時化て、深夜に途中戻りになった。結構、船が揺れ始め、何かにしがみついていないと海に落ちされそうな大時化を体験。船のカイシング(側面壁)を超えて、波が甲板(デッキ)に押し寄せる。漁師は正に命懸けの職業だと改めて感じた。
いよいよ迎えた最終日。水産課や漁協の職員さん、お世話になった漁師のみなさんを交えての意見交換会だ。
会では、いろいろな質問が飛び交う。最大の関心事はやはり収入だが、水揚げ金額の半分取りだと教えてもらった。つまり500万水揚げしても、250万しか手元に残らないらしい。「この港で一番稼ぐ漁師さんの水揚げ金額は?」の問いに、「昔は良かった」的な話でかなりごまかされた感じだった。
営業という仕事柄、質問に対するキチンとした答えが聞きたくなったが、ごまかすという事は、あまり儲かっていないのだろうなと推測できたので、それ以上は聞かなかった。
この時点で、「本気で漁師になりたい人?」の質問に手が上がったのは1人だけ。「ひと夏の思い出作り」が目的だった僕は「今の仕事もあるので、じっくり考えたい」と当たり障りのない返事をした。
このnoteが気になりました
平井知事による自らのダジャレ・セールスのおかげで、鳥取県の知名度は以前に比べて、かなり上がってきた感覚があります。しかし、現実は、鳥取と島根の区別がつかない人も未だに多い様に思います。
よく言われるのですが、鳥取と島根は「どんぐりの背比べ」をしている訳ではありません。それぞれにちゃんと個性的な魅力がたくさんありますので、ぜひ知って頂きたい。
このZ世代を中心としたコミュニティ「週末住人」の活動がどんどん広がって、マイナー県からメジャー県への昇格を目指して欲しいです。弁慶丸も微力ながら、魚を通して鳥取県を全国区に押し上げるべく精進いたします。
最後までご覧頂き、ありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?