トップ営業マンの秘訣は「自分の弱さを認める」【脱サラ船酔い漁師がサラリーマンだった頃】
今回も私の若かりし頃、住宅メーカーの営業マン時代のお話。勢いだけが取り柄の凡人セールスマンだった私が、トップセールスマンの階段を登り始めるまでのエピソードです。この時代の営業経験があったからこそ、漁師という違う世界に身を置いても結果を出し続けることができていると思っています。
時代が時代だったので、ちょっといまの営業マンとはタイプが違うかもしれませんが、「モノを売る」姿勢や原理原則はいつの時代も変わりませんので、悩める営業マンのみなさまに読んでいただければと思います。
目指せ!トップセールスマンへの道
ついに新しい上司であるGさんとの二人三脚営業がスタート。2週間後には記念すべき契約第1棟目がいとも簡単に決まってしまう。Gさんからお客様の前で、最後の一言を振られ、「最後の建物のお引渡しまで全力で頑張ります!!」と声を張り上げた。
契約後の帰り道、「今から、この大切な契約書を前の店に叩きつけに行くか?」との問いに、無言で首を横に振った。「よう聞けよ。今日を最後に、前の店での怒りや恨み事はすべて水に流せ!明日からお前はうちの店の起爆剤になってくれ」と使命を与えられる。
ちょうど、Gさんには運転免許がなかった。いわゆる「免許取り消し」状態だった。必然的に僕が朝のお出迎えから自宅へのお見送りまで担当する事になった。まるで任侠の親分に仕える舎弟そのものだ。
これがいま思えば非常にラッキーだった。なぜなら、トップセールスマンと朝から晩まで丸一日中いっしょに行動する事になるからだ。お客様との間の取り方・距離の縮め方・身振り手振り・社内スタッフ・各業者さんとの対応など、そのすべてを包み隠す事なく吸収させて頂く事になった。お客様に合わせて髪型を変えたり、スーツの色をガラリと変えたり、その繊細さや柔軟さは「任侠店長」のイメージとは180度違っていた。
「なんで、あの場面であのセリフを言ったかわかるか?」など、営業という職業の緻密さと高速回転させる頭脳の必要さを学ぶ。「あの急転直かのやりとりも突拍子もない会話のやりとりも全部、計算されていたとは…」もう驚きの連続だ。
とりあえず、Gさんが5分話せば、お客様は「G組」ではなく「G教」の信者に変身させられていた。催眠術師か心理学者かと思うほど、人の心を開いていく。すべてのお客様との折衝に同行させて頂いていたので、お客様の心の動きが客観的に読み取れた。
何よりGさんは、お客さまの家作りに対して誰よりも真剣に向き合っている事が心の底から伝わってくる。自分の成績だけを優先させる「下心営業」ではなく、徹底的にお客さま利益を優先させる「真心営業」だった。
「会社が勝手にやっているキャンペーン商品ではなく、私が○○様にとって最適な提案をいたします。商品ではなく私を買ってください。」と言い切る姿に、お客さまばかりでなく横にいる僕までもが目がハートマークになっていた。
「営業マンってなんてカッコいい仕事なのだろう!!」
バブルが弾け、やっとつかんだ職業
僕はこの住宅営業という仕事にますますのめり込んでいくのだが、本当に目指していたのは「商業空間のプロデューサー」だった。
人生のプラン変更を余儀なくされたのは、就職活動も終盤を迎えた7月、内定がほぼ決まっていた広告代理店から突然送られてきた一枚の封書だった。
封書には「今年度の採用計画は中止いたします」の文字。「今さらそれはないやん?東京での社長面接で終りって言ってたやん!!他の内定した会社も断ったのに…」あれだけ親切だった人事担当者も電話口すら出てくれない始末。
ちょうどバブル崩壊直後で、同業種のライバル会社も軒並み採用計画を中止していた。唯一の狭き門に何とか入り込めたと安心していた矢先の出来事。ほとんどの会社が最終募集を終わらせているこの時期に、必死で就職活動を再開するハメに。
大学の掲示板に某中堅住宅メーカーの最終募集の告示があった。告知文には「住空間のプロデューサー」の文字。「住空間なら商業空間と近いかも」という何の根拠もない安易な納得を自分自身にし、ワラをもすがる思いで応募する。
もともとマスコミ関係の厳しい採用試験を受けていた事もあり、1週間というスピードで内定を頂き安堵した。いま振り返れば初めから、この住宅営業の道に進むように定められていたのかもしれない。この中堅住宅メーカーで営業していなかったら、真の営業力は身につけられなかったと思う。
実際、住空間と商業空間では、まるで世界は違っていた。しかし、Gさんの影響もあり、住宅営業の仕事はおもしろかった。特に中堅住宅メーカーはブランド力や知名度が低いため、大手住宅メーカーと必ず競合する。二番手、三番手という不利なポジションからのスタートで、契約を奪い取るスリルとスピード感はたまらなかった。
契約金をすでに他の住宅メーカーで払っているお客様でさえ、乗り換えて頂く逆転劇は、とても刺激的で快感だった。何よりGさんに褒められ、認められる事が一番うれしかった。ようやく僕は自分の居場所を見つける事が出来たのだ。
「自分の弱さを認める練習」で成績急上昇
僕はGさんから徹底的にプライドを捨てる練習をさせられた。簡単に言うと、「負ける練習」だ。一番最初につけられたニックネームは『プ~』。要は根性の無い『プ~』な男という意味だ。
当時のプライドの高い僕にとっては屈辱的な扱いだった。社内であれ、関連業者の前であれ、お客さまの前であれ、徹底して恥をかかせられた。「こいつ図体だけでかくて中身が『プ~』なんですわ。これから『プ~』って呼んだってください。なぁ〜『プ~』」と言っては僕の苦虫を噛み潰したような顔を見るのが実に楽しそうだった。
お前の顔には「僕は『プ~』ではありません。って書いてあるんや。俺の目にその文字が見えなくなるまでお前はずぅ~っと『プ~』や。ガハッハッ。お前には「強さ」と「優しさ」はあるけど「弱さ」が足らん。この3点セットがそろって初めて、「強さ」と「優しさ」が生きるんや。
当時の僕には、この言葉の意味が残念ながらわかっていなかった。むしろ「弱さなんて必要ないやん」とさえ思っていた。このGさんによる「負ける練習」のおかげで、僕は自分の弱さを少しずつ認められるようになっていた。自分の弱さを認めれば認めるほど、不思議と契約の数字が急上昇し始めた。
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「徹底的にパクる」事は大賛成です。上記の文章でも様々な例が出ていますが、まだまだ足りていないと思います。
呼吸回数から歩くスピード、食べる順番、咀嚼回数、瞬きの回数、貧乏ゆすりまで「完全コピー」しないとダメです。自分を徹底的に捨てる「覚悟」で、徹底的にパクらないといけません。
そのうちにあくびやトイレに行くタイミングまで自然と似てくるようになってきます。そこまでになれば憧れのトップセールスマンが自分の中に染み込んだと判断しても大丈夫です。さ~て次は、どの憧れのトップセールスマンを取り込みましょうか?
最後までご覧頂き、ありがとうございました!
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