田舎暮らしはまず巻き込まれてみよう【脱サラ船酔い漁師 鳥取生活のはじまり】
今回はこちらの続きとなります。
夫婦そろっての漁村での新生活が始まります。
改めて振り返ってみると、驚きの連続でした。今でこそ移住、定住のライフスタイルが当たり前になりつつありますが、当時は前人未到の世界を恐る恐る探索するような毎日。
田舎暮らしは「人とのふれあい」が大きな魅力の一つでもあり、田舎暮らしが嫌になる要員のひとつでもあります。田舎暮らしの先輩として、まずは巻き込まれてみてから、適切な距離感の確保をおススメいたします。
都会から漁村への移住は「まさに異次元だった」
「住めば都」「案ずるより産むが易し」「郷に入れば郷に従え」
私たちの先祖は多くの格言を残していますが、私たちの移住生活のスタートはそんな格言を吹き飛ばすほどの異次元な世界が待っていました。田舎はコミュニティが狭いというのは理解していましたが、まさかここまでとは。
漁師町・賀露(かろ)町民たちの警戒心と好奇心の格好の的となった私たち夫婦。「大阪から来た変わり者」という扱いで、24時間常に監視されているような体制でした。
早朝でも夜中でも、常に人の気配が感じていたのは気のせいではありませんでした。ドラマのようなカーテン越しの人影や障子の隙間からの視線は、私たち夫婦に注がれていました(笑)
なぜかは分かりませんが、私の1日の行動スケジュールをご近所さんがよく把握されているんです。妻も知らない船での作業内容や発したセリフまでもが!筒抜けなのです。これには驚きました(笑)
でも、私たちが「噛みつかない安全な生き物」だとわかり始めると、あっという間に距離が縮まりました。警戒心と好奇心の的から、世話焼き対象の的へと早変わりしたんです。
家には食べ切れないほどの野菜や果物が届き、「火曜日はこのスーパー、金曜日はこのスーパーへ買い物にいきんさい(行っといで)」という半強制的な口コミ回覧板。
田舎で生きていくためのこと細かい生活術から、あまり興味のないご近所情報まで、怒涛のごとく世話焼きが始まったのです。私たちの留守中に「宅配業者が何時何分に荷物を持ってきた」と教えてくれることも。
日中に雨が降った日は、干してあった洗濯物が取り込まれて綺麗にたたまれていることもありました。僕個人としては「たたんでくれるなんてなんて親切なん」と思っていましたが、妻は「気味が悪い」と恐怖を感じておりました(笑)
漁村にプライバシーはないです!これは真実。
少し慣れて来た頃によく言われたのは「家に鍵をかけるな!」というクレーム。野菜や果物などのおすそ分けがアポなしで急に届けられるので、お出かけの後には、玄関に様々なモノが置かれていました。
それで一番困るのは、誰から頂いたモノなのかがわからない事。差出人がわからないモノを勝手に食べる事も使う事も出来ないので、保管するしかないのです。
野菜などは腐る一歩手間で「この前の白菜、うまかったろうが?」と感想を求められて、差出人が発覚。その日から慌てて大量に消費しなければいけない日々が続く事になります。
いつしか我が家も鍵をかけない「施錠なし一家」に変身して、常に人が出入り出来る状況を作っていました。帰宅すると漁師のお母さん二人が、我が家の玄関土間で井戸端会議に花が咲いているという状況も珍しくはありませんでした。
これを都会にない「人とのつながり」と感じるのか「プライバシーの侵害」と感じるかで漁村に対するなじみ方が大きく変わってくると思います。
田舎暮らしに「プライバシー」という言葉はありません(笑)。どこで誰が何をしているか文字通り「筒抜け」。それこそプライバシーを確保したいなら都会で暮らしたほうがいいかもしれません。
ましてや漁村は、漁師のおっちゃんたちの顔つきは怖いし、方言だけのきつい言葉は直接心臓をノックされるようなものです。でも、実際は皆さん実直で優しい世話好きな人ばかりでした。受け入れてもらう側が心を開いて飛び込んでいけば大丈夫!そのことが解ればもう漁師町・賀露の住民です。
あとから聞いた話ですが、賀露の皆さんは当初、僕たち家族が不憫で仕方なかったそうなのです。「県の職員たちの手ほどきで都会からだまされて連れてこられた哀れな家族」と認識していて、「鳥取県も漁業の後継者対策にここまでするのか!」と思っていたそうです。
ある時、見知らぬお婆さんに話しかけられました。「あんたが大阪からきんさった(来た)人かいな~。ほんにお気の毒になぁ…」と手を合わされた時は、さすがにそのまま成仏しそうでした(笑)
「住めば都」「案ずるより産むが易し」「郷に入れば郷に従え」ご先祖様は多くの格言を残してくれたものですね…