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【要約】学校と生活を接続する

学校と生活を接続する
  ドイツの改革教育的な授業の理論と実践
田中怜 (2022年)

【要約】


序章 なぜ、学校と生活の接続が問題となるのか

「学校の勉強は 実生活(実社会、将来)の役に立たない」
「学校が実生活とかけ離れている」
などの批判は、近代的な学校が誕生してから、常に、あらゆる場所でなされてきた。このような「学校で学ぶことは生活に繋げられるべきだ」という言説と、それを取り巻く諸問題を「学校と生活の接続問題」と呼ぶ。
 
ここで言う接続には二つの種類がある。一つは時間的な接続で、今 学校で学んだことは将来の役に立つ=生活に繋がるという観点である。現在の学習と未来の行為が直接的な因果(原因と結果)で結ばれるという意味で、「学習と行為の因果性問題」と呼ぶ。
二つ目の接続は空間的(あるいは内容的?)なもので、学校で学ぶ・起こるアレコレは「現実の生活そのもの」ではない=繋がっていないという問題である。(例:「太郎君は大根を5本買います」という状況は現実には存在しない)これを「現実の再提示問題」と呼ぶ。
 
近代学校が普及したのちデューイなどの影響により、抑圧的・形式的・画一的な旧式の教育を批判する、いわゆる「新教育」(以下、ここでは「改革教育」と呼ぶ)が世界中で広まり、数多くの新しい・オルタナティブな教授法が実践されてきた。しかし、そのほとんどが「学習と行為の因果性問題」と「現実の再提示問題」に正面から向き合ってはいなかった。
そこで、1970年代以降のドイツの学校・授業改革の歴史を見ることで、これら二つの問題を考えるヒントを得たい。



第一部 1970年代の急進的な学校批判とオルタナティブ学校の創設

① オルタナティブ学校のはしりとしてのグロックゼー学校
1960年代から、先進諸国で世界的な広がりを見せていた「リベラル」な急進的社会運動と反権威の風潮(例:学生運動)は、ドイツでも大きな影響力があった。これを背景に1970年代の西ドイツでは、教育の分野においても反権威的、開放的な言説が出てきた。代表的なものはイリイチの「脱学校論」である。
脱学校論による既存の学校批判を下地に、新しい・もう一つの形の学校(現在のオルタナティブ学校やフリースクールのはしり)を構想する動きが出てきた。その多くはすぐには実現しなかったが、例外的に早期(1972年)に実現がなされたのがグロックゼー学校であった。

グロックゼー学校は、脱学校論の系譜として明確に反権威主義的な構想を持ちながら、公立の学校として設立された。その最大の特徴は、子どもの「自己調整」(自由や自己決定)を大いに尊重し、教師の介入は最小限にとどめるという理念であった。
また、社会批判を軸として学校と生活の接続を目指したのも特徴である。例を挙げると、アメリカ先住民の生活様式や躾の学習を通して、子どもが自らの躾や教育経験を相対化し、親への批判的な視点や権威に対抗する態度を育てることが試みられた。
しかし、グロックゼー学校の思想や実践においても「学習と行為の因果性問題」と「現実の再提示問題」の複雑性や不可能性についての自覚は無く、単純に学校と生活の接続を志向するという意味で他の改革教育と同様であった。

② 「脱学校を体現する学校」という矛盾――ヘインティッヒ・パラドックス
グロックゼー学校は構造的な矛盾を抱えていた。それは、脱学校の思想をベースとしながら「学校」であること――言い換えれば、「学校という問題を他ならぬ学校により乗り越えようとする発想」(90)にあった。これを「ヘインティッヒ・パラドックス」という。

設立から10年が経った1980年代、学校の学年拡張の話をきっかけに、この矛盾が顕在化し始める。当初は初等教育のみだったグロックゼー学校に、中等教育まで延長するという提案が州政府からなされたことにより(公立であるが故の介入?)、その後の「普通の学校」との接続をどうするかという問題などが学校内部で出てきた。(例:それまでなかった、数値による成績評価を導入するかどうか)
また、これに伴い学校運営のメンバーの入れ替え・再組織がなされた。この新体制は設立当初の理念を尊重しつつも、あくまで「学校」としてグロックゼーを存続させるのが役割であったため、彼らは創設時のグロックゼー学校を「無謀な試み」と批判した。こうして次第にグロックゼーは「普通の学校」に近づいていくこととなる。

こうした批判と修正の中で、設立当初に学習と生活をつなぐ役目を果たしていた社会批判という視点も後退していくことになる。なぜなら、「社会批判に方向づけられた学習活動の出所が、実のところ子どもの自発的な問題意識(=自己調整)に根差すのではなく、むしろ大人の社会に対する批判的な眼差しを焼き写しているにすぎないことが露呈したからである。」(116)



第二部 1980年代以降の改革教育的な授業改革と改革批判

① 「実践的学習」と「学校の開放」――下から と 上からの改革
西ドイツ全体で行われた諸教育改革に対する批判(学校と生活を接続せよ)から、1980年代に二つの教育改革のブームが生まれた。それは「実践的学習」と「学校の開放」である。
実践的学習をスローガンとする改革は、机上の学習と対置するイメージとしての実践(≒体験)を取り入れた「授業」の改革・工夫を広めることを目指した。(例:農場で自然体験や労働体験をする授業)この運動の担い手は主に現場の教師であった。彼らは有志で団体を組織し、州を跨いで連携を取りながら「草の根」の授業改革を広げていった。(下からの改革)

一方、学校の開放は、州政府が主体となって進められた上からの改革と言える。その開放には二つの意味があり、一つは内的な開放といって学校内の制度や運営を柔軟化することを意味する。例えば、教科・学年・クラス・授業時間の枠組みを柔軟にしたり、教師のつながりをより開放的にしたりすることが目指された。もう一つは外的な開放として、学校外の人や組織を迎え入れたり、学校外に出て人や組織と関わったりすることで学校と生活の接続を図るものであった。

実践的学習と学校の開放という二つの運動は、どちらも「学校での学習と学校外での実生活の直接的な接続を志向していたと評価することができる」(178)一方で、それらを批判する声もあった。例えば、実践的学習は単に実践的な行為(例えば農作業)の習得をさせているだけという批判や、結局はいかに効率的にモノを教えるかという方法論でしかないという批判があった。
これらの批判は、それまで自明視されていた「学校と生活は接続されるべき」という言説を相対化する可能性を孕んでいた。ヘルヴァルト・ケンパーは、学校と生活を(ある種ムリヤリ)接続させようとするのを「補償的な学習」と呼んで批判し、またラインハルト・シルメラーは、学校と生活に距離が生まれるのは近代以降では当然の現象であり、その距離を無理に無くそう(接続させよう)とする試みは、学習の反省性を損なう危険があると指摘した。

② プランゲの近代観・学校論と「反省的学習」
1980年代の西ドイツで、「学校と生活を接続せよ」のスローガンの下で行われた諸教育改革を批判した人物の中で、クラウス・プランゲはその徹底性(そもそも論)において特筆すべきである。彼もシルメラーと同様に、学校と生活の乖離という現象は近代化する世界において不可避だと考えた一人であった。彼はその理由を「偶発性」の増大という観点で説明する。

近代以前の伝統社会は、単一で不変の世界像(価値観、生き方、秩序、身分など)が存在する閉鎖的で排他的な世界であった。(乱暴に言うと、ある人が生まれたらその人が死ぬまでにやることはだいたい決まってるってこと。)それは、社会で起こることや人が経験することについて「こうだからこうなる」という必然性が高い状態である。一方、必然性の逆である偶発性とは「あらゆることが別様でもあり得る」という性質である。伝統社会の世界像が崩壊した近代社会では、価値観や生き方が多様化し、秩序や身分が流動化する――つまり偶発性が高まることになる。

プランゲは、社会の偶発性が小から大へと変化するに伴い、学校で必要とされる学習は、「実定的学習」→「方法的学習」→「反省的学習」へと段階的に変化すると考えた。それぞれを簡潔に説明すると以下となる。

  • 実定的学習:生活でそのまま使える知識や技術を学ぶ

  • 方法的学習:効率的な実定的学習の方法を学ぶ

  • 反省的学習:学習(内容や学習者)を相対化することを学ぶ

ここで言う相対化とは、学習した事柄がどれほど価値のあるものか、学習内容や自分自身がいまと別様であり得えるのでは、などを問うことである。プランゲによると、偶発性が増大すると実用的な知識や技術だけでなく、それを獲得する方法論・スキル・思考様式ですら時代とともに陳腐化する。そのため、「あらゆることが別様でもあり得る」という発想を促す反省的学習こそ必要となると考えた。

また、この観点を採用するならば、近代学校の必然である生活との差異(乖離)は克服すべき障害ではなく、むしろ反省的学習の促しに貢献する要素であると言える。「こうしたプランゲの主張は、従来の改革教育的なアプローチに対する強烈な批判意識から導き出されたものであったが、学校と生活の接続のための新たなアプローチを指し示したという点で、優れて改革教育的な提案であったと解することもできよう。」(203)



第三部 1990年代以降の改革教育批判の改革教育

① イエナ₋プラン・ヴァイマール(JPW):イエナ・プランを現代にアップデート
19世紀後半に誕生した、ペーターゼンによるイエナ・プランは、(狭義の)改革教育(=新教育)の取り組みとして有名である。それは、「共同体による共同体への教育」をスローガンとし、学校内に共同体(模擬的社会?)を作ることで学校と生活の接続を目指したものだった。しかし戦後、東ドイツでは改革教育的なもの全般が否定されたことにより、東部で盛んだったイエナ・プランも衰退していった。

しかし東西統一後の1990年代、東ドイツでの教育の民主化の流れの中でイエナ・プランの復活の動きが出てくる。イエナ₋プラン・ヴァイマール(JPW)は、ペーターゼンの構想を基にしつつもそれを現代版にアップデートしたものであった。オリジナルから継承されたものは、基幹集団と呼ばれる異年齢混交の集団活動を活用することであり、アップデートされた点は学習において「多視点性」と「対話」を重視したことであった。

JPWの理念では、偶発性に満ちた現代においてありのままの生活からそのまま活用できる知識・技術を学ぶことの意味が疑問視され(=学校と生活の単純な接続が疑問視され)、代わりに「あらゆることが別様でもあり得る」現実を前にして、学習対象についての多様な視点を対話を通して学ぶことが目指された。JPWが志向した学習を定式化すると次ようになる。

「X(生活、学習対象、現実、あらゆること)について、異なる年齢の子どもたち(基幹集団)から提示される、多様な視点対話によって比較・交換することで、Xが「別様でもあり得る」様を学ぶ。」

子どもが「ありのまま」のX(生活)と対峙する(距離が近すぎる)とき、多視点的な対話は活性化しにくい。逆に、学校と生活の差異があることが多視点的で対話的な学習においては有利に働くのである。

② ヨーロッパ・プロジェクト:多視点性と対話の継承
1990年代後半、ヨーロッパの諸大学が共同で起こした教育研究「ヨーロッパ・プロジェクト」は、JPWに携わったメンバーも参画し、多視点的・対話的授業の継承と発展が目指された。プロジェクトの背景にあったのは、東西ドイツの統合やEUへの流れであった。当時、ヨーロッパ全体で「多様性」への向き合いが重要な課題となっており、ヨーロッパ・プロジェクトはその課題に対する教育からの応答の一つであった。

JPWやヨーロッパ・プロジェクトに共通する「多視点的授業」は、それ以前のドイツ改革教育が目指した「生活経験志向授業」(学校と生活を接続せよ)とは対照的に、学校と生活が離れていることをむしろ利用可能な長所と捉える。その理由は以下である。

複雑性と偶発性に満ちた現代社会では、学習者が学習対象をそのまま習得することにもはや大した意味はなく、より重要なのは、学校の中で社会の複雑性や偶発性を演出し、学習対象を多視点から批判的に捉えることである。学校が生活と接近しすぎると――学習が「そのまま」生活に適用できる事や、「ありのまま」の現実が提示される事が無批判に追求されると――それはかえって授業において社会の複雑性や偶発性を演出するための教授的な操作や再構成をする余地を奪ってしまう(→生活経験志向授業となる)。
翻って、生活との乖離を利用した多視点的授業では、その距離のおかげで表象化(抽象化?)が可能となった学習対象(現実)を、視点の転換などの教授的な操作と再構成を施すことで、現実以上の複雑性や偶発性を豊かに再提示することが可能となるのである。



終章 「学校と生活の接続」をめぐるドイツ教育改革の歴史から学べること

以上のように、1970年代以降のドイツの教育改革の経緯を通して、冒頭で提示された「学習と行為の因果性問題」と「現実の再提示問題」についてオルタナティブな示唆が得られた。
グロックゼー学校、実践的学習、学校の開放などの取り組みは二つの問題について直接的なアプローチをとるものであった。つまり、学校で学習した内容が実生活に利用できることを前提とし、学習内容が「真正な・ありのままの」現実生活に近づくことを是としていた。
しかし、それらの改革の中で批判も提示された。プランゲの反省的学習、JPW、ヨーロッパ・プロジェクトなどは、生活との差異(乖離、距離)をむしろ学校固有の価値と捉え、因果性問題と再提示問題に新たな解を提示した。

さらにこの研究から見えてきたのは、プランゲの批判やJPWが改革教育の中から生まれたように、改革には「再帰性」があるということである。これは、ともすれば日本の私たちも陥りがちな、「学校と生活を接続する、イコール 改革的・新教育的だ、つまり良い教育だ」という固定観念を揺さぶる。教育改革の再帰性を認識することは、「旧から新へ」や「保守的か革新的か」という単線的で二項対立的な枠に留まりがちな教育議論を更新し前進させる可能性を持っている。


近年の(特に日本の)教育の風潮では、子どもが「何を知っているか」(実定的学習)から「何ができるか」(方法的学習)への転換が求められているが、それだけでは十分ではない。子どもが「何をどう見ているか」(反省的学習)まで広げることが重要であり、授業において多様な視点を提示し、それらを転換させる反省的・多視点的授業は、まだまだ研究・発展の余地を持っている。

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