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【哲学】身体と精神の不一致について

今回は少し哲学的な話。

なぜ人は自殺をするのだろう。「生きる理由がなくなった。」「生きがいがなかった」など単純な理由なのだろうが、私は、自殺をする理由は「精神と身体の不一致」が原因だと思う。

精神と身体が一致してないと、人間は壊れてしまう。

うつ病などの人は、精神が死んでいる。しかし、身体は生きている。呼吸をし、手を器用に使ってご飯を食べ、二足歩行で歩く。

精神は「死」んでいるのに、身体は「生」きている。

これが「精神と身体の不一致」だ。

逆の場合は、精神は「生」きているのに、身体は「死」んでいるということになるが、この場合は幽霊とかオカルトの類の話になるのでここでは触れないでおこう。

いわば、精神疾患、トラウマなど、現実世界を生きるうえで感じる苦しみが増えていくほどに、身体と精神は乖離していく。

身体は動いているのにもかかわらず、精神はとっくにボロボロに朽ちているからである。

この「身体と精神の不一致」は、インターネットなどのデジタル世界に触れすぎることでも起こることだ。

インターネットに溺れるとメンタルが落ち込むのも、ちゃんと理屈がある。

身体は動かずに取り残され、精神のみがインターネットの世界に行ってしまう。

そこで、無機質な文字や画像に対してイライラしたり、落ち込んだり。

デジタルの世界に感情移入して、現実世界の身体は置いてけぼりになってしまうので、

インターネットの世界から戻ってきたら、違和感を感じる。そして「現実は刺激が足りない。」と感じて、またデジタルの世界に引きこもる。

どんどん身体と精神の距離は離れていく。

この現象は、この社会で頻発しているものだと言えよう。

これを解決するためにはどうするべきか。

簡単である。

身体を動かして、精神の「死」を「生」に持っていくのだ。

学校に行く前は「行きたくないなぁ。」と憂鬱な気分になっていても、いざ行ってみると「学校楽しいなー」と思うあの現象があるだろう。

あれは、憂鬱な気分になる「精神の死に近づく」ことに対して、「学校に行く」という身体を使って行動することにより、「精神を生に近づかせる」ということをしているのだ。

私達は、生きるために無意識にこのようなことを日常的にしている。

まぁ結論を言えば、「頭の中でぐるぐる不安になったら、なんでもいいから身体を使ってアクションを起こそう」ということになる(胡散臭い自己啓発本みたいな結論になったが、実際そういうことである)。

うつ病になったときのアドバイスとして

まずはスマホを見るのを辞める
動けるようになったら、軽く散歩する

などがあるが、

これは
「スマホを見るのをやめて、まずは精神をデジタルの世界から現実世界へ引き戻そう」
「身体を生を活発にさせる且つ、精神の死を性に近づかせる」
という意図がある。

このように精神と身体の不一致によって、人間は人間らしい生活ができなくなり、いずれは自殺などの形で「精神と身体を無理やり一致させようとする行為」に走ることになる。

悲しいことに、これは今も日本で頻発している問題だ。私も毎日死にたいと思っているが、音楽、ゲーム、文章、筋トレなどに逃げて、うまく「精神の生」を保っている。

今回は、少し人間が壊れてしまう限界について考えてみた。
この記事の内容は私の先入観だし、正しいかどうかも疑わしいものなので、あまり真に受けずに、楽しんで読んでもらえたら嬉しい。

それでは。

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