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#71 ふつうじゃないわたしの「あたりまえ」

こんばんは。id_butterです。
人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の71話目です。

ふつうの人になりたい、そういつも思う。
何もかもちょうどいい人。
今まで、何度かトレースしてみた。
好きなタイプの「ふつうのひと」が言いそうなことを言い、とりそうな行動をとってみた。
けれど、苦しくなってしまい、続かない。
自分らしくいたい自分がふつうでいたい自分に押しつぶされる。
だから、どんなに憧れても届かなかった。

今回のテーマは「怒り」である。

内側に「怒り」があるんじゃない?

by 天の声様

そう言われたのがはじまりだった。
正直、困った。
ないと思っているわけではないのだが、今、わたしには見えない。
見つかったものはほぼ潰し終わった現在である。
もう、自分の中をスキャンしても、見つけられない。
もし他人からはそう見えていたとしても、わたしに見えている今は過去最高に平穏でしあわせだ。
そう思っているのにな。

怒りって、どんな色のどんな形のやつだろう。
わかれば探せるんだけど。
それでも見えなかったら、どうしたらいいんだろう。
完全に行き止まり。

さらに言われる。

いつも、イライラしてない?

by 天の声様

天の声様には、不穏な何かが見えているらしい。
あるかもしれないというなら、きっとあるんだろう。(人ごとだ。)
けれど、いつもってどれくらいの頻度のことを指すの?(うるさい笑)
それにイライラするのは普通じゃないの?(さらにしつこい笑)
我が家には、毎日朝着替えてと10数回伝えても着替えないまま学校に行こうとする宇宙人の娘長女がいて、時間に追われている。
日々イライラするのは普通のことだと思っていた。
どれくらいのレベルなら、それが他人ひとと違うってわかるんだろう。

こんなことをつらつらとうるさくかつしつこく言いつのったら、それは抵抗だ、そう言われた。

バタ子:抵抗してるのかな?そうじゃない気がするんだよな。
バタ美:この人を説得したいというより、納得しないと進めない。
バタ恵:だから、こういうのが抵抗なんだってば。
オバ田:かと言って、違和感を無視したらやっぱり進まないよね。
バタ子:そもそも、イライラするって悪いことなのかね?そして、わたしたちはそんなにイライラしてんのかな。全くイライラしない人っているの。
バタ美:ただの性格とか障害とか気質じゃない?短気っていうだけ。
バタ恵:言われたことを、ただやってみればいいだけじゃない。
バタ美:単に疲れるからやりたくないっていうのもあるよね。
オバ田:でも、やらないと進まないっていうのも困るんだよね。完全に終わったとも思ってないわけだし。

心の中会議の議事録より一部抜粋

癒しsurvive」の過程に入る手前で、ことごとくつまずいている気がする今日このごろ。

日常で、違和感を感じられれば、それをきっかけsurvival癒しを始められる。けれど、全然感じられない。

「異常」の閾値基準が、わからない
例えば、毎日イラっとすることが何回までなら普通なのか。
100回?20回?、わたしの場合、それは現在5回以下/日くらいだ。
以前より減った、だから、もういいかなと思っていた。

でも、上述のように言われるなら、わたしのこれは普通じゃないのかも。

これは最近困っていることだった。
見えるものはあらかた片付いており、残りを、セルフで「検知」できない。
かといって、閾値を下げれば、全部引っかかってしまう。
わたしの平穏な日常あたりまえは、他の人の非日常戦時中らしいけど、わたしには区別がつかないということ。
自分のことを、自分が一番わからない。

わたしの昨今のテーマは「父」である。

けれど、わたし自身は、実はすでに両親について興味を失っていた。
魅力を感じない。
家族だから魅力とか関係ない、そう言われたらそうだ自分ではわからないけど。
家族は、わたしが想像する未来にいないひとたちなのだ。

けれど、と天の声ヒーラーの先生がおっしゃる。
全ての根っこはそこにある、と。
そう言われればそのような気もするやっぱり、自分がわからない。(何度目だろう。)

なんでもいいから、お父さんから言われたつらかったこととか思い出してみて。

by 天の声様

そう言われて、ひとつだけ思い出した。
それは、兄が高校を中退した時のこと。

が中退したのは、ひとを殴ったことが原因だった。
友人を馬鹿にしたらしい同級生を、殴った。
けれど、その友人にも同級生にも何も処分はなかったらしい。
当時小学生だったわたしは、それ以上の詳しいことを知らない。

父も母も言う。
「なんで」とか「損した」「うちばかり」とか。

でも、わたしは思っていた。
お兄ちゃんは悪くない。
だって、先にやったひとが悪い、といつもお母さんは言うでしょ。
ひとを馬鹿にするのも、悪いことだと教えられてきた。
お友達をかばうのはいけないことなの。
お父さんとお母さんに教えられたことをやった、それだけじゃない。

鮮明に蘇った記憶は、毎日繰り返される夕方の儀式だ。
帰ってきた兄が、自分の部屋のある二階への階段を数段登る。
すると一階のリビングから父がを呼び止める。

リビングの真ん中で始まる説教タイム。
地獄だった。
テープなのでは、と思われるほど、毎日毎日同じ言葉が呪詛のように繰り返される。
キッチンで夕飯を準備する母は、聞こえているけれど聞こえないフリをしている。
後から帰ってきた姉も同様である。聞こえない、見えないフリ。
早々にリビングから退散する。
小さなわたしには自分の部屋がなく、逃げ場はなかった。
延々と垂れ流される説教を耳から流し込まれ続けて、全身が真っ黒な液体でタプタプ満たされている。

Bさんの語る当時の状況

話しながら涙が止まらなくなる。
けれど、こんなことはわたしにとって珍しくなく、封印するほどではない。
そもそも、自分が傷つけられた記憶ではないのに。
ラスボスと対峙している感じではなく、小物感が漂う。
どうしても、そう思えてしまう。

バタ乃:でも、しょうがなくない?父の言うことにも一理はある。
バタ子:なんかスッキリしないんだよな。
オバ田:言うことがコロコロ変わるのいやなんだよね、軸がない。
バタ奈:お父さんもお母さんもお姉ちゃんも、キライ。気持ちわるい。
バタ美:お父さんのはただの八つ当たりだよね。目的もよくわからないし。
オバ田:何か信念があるわけじゃないんだよね、結局。世間体とか人の目を気にしてるだけ。
バタ恵:偽善ではあるけど、よくあることじゃん?
バタ奈:それを家族内でやってるから気持ち悪いんだよ。だったら、最初からどんなことをしても社会のレールから外れるなとか、とにかく勝て、と言われた方がスッキリする。
オバ田:普段やたら厳しくて、それを守ってるのバカらしくなるよね。こんんな風に何か起きたらふっとぶようなものなのに。
バタ子:混乱する。それで、お兄ちゃんの気持ちはどうなんだろうね。
バタ乃:目指すところがわからないよね。正しくあることなのか、幸せになることなのか、成功することなのか、転ばないことなのか、嫌われないことなのか。
オバ田:自分らしく生きろ、では絶対にない笑
バタ恵:ない!家族内での親から子供への教育としては間違いなのかも。
バタ奈:自分たちは何様なの?って思わない?
バタ美:まぁ、親だって不完全な生き物なんだよ。自覚くらいはしてほしいけどねぇ。そしたら、ここまで子どもに求めないだろうに。
バタ子:言う通りにしてもうまくいかなかったら子どものせいだもんね。
全員:それな!!!

心の中会議の議事録より一部抜粋

わたしは、父も母も姉も嫌いだったのだ。
今は、尊敬できないが近い。
ひとつひとつの出来事を許せない、ということではなく。

癒しsurvival」のコマを進めるには、数ある傷の中でもおおもとの原因となったものを解決するのが早い。
それを目指して、玉ねぎの皮を一枚一枚剥くように、おおもとの方に近づいてきたはず。

だからこそ、家族がラスボスとはとても思えない。
家族が発端だったことは否定しない。
けれど、もっと大きいものがあるような気がする。

あぁ、これか、やっと見つけた。

わたしが許したくないこと。
それは「不条理」というものらしいのだ。

家族の矛盾から始まったもの。
今はそれを通り越して、男とか女とか人間とか社会とか現実とか全てだ。
それらがいつも恥ずかしげもなく主張してくる「矛盾」に腹を立て、醜さを感じ、それを憎んでいる。

許してない、というより、それは毎日起こり、今も続いている。

両親の放つ些細な一言、単なる好き嫌いと化した評価制度、女性の活躍と言う名の総貧乏計画、ひとを幸せにしない法律、離婚した夫が今更優しくなったこと、失敗をしても偉い人ほど責任を取らなくていいこと、、、色々なことに気づくたびに自分がいやになる。
そのたびに燻っていた怒りが再燃し、炎が立ち昇る。
気づかなければ、と自分が腹立たしく、感性やら感情やらを捨てたくなる。

これが、家族の問題なんだろうか。
終われば、解決できる楽になれる

家族への怒りは、もうあきらめになっていると思っていた。
怒りは燃え落ちて、今や灰と化している。
それがいいことなのかどうかはわからないけれど。

そう思えば、それあきらめは現実とリンクしているのかもしれない。
現実からだんだんフェードアウトしていっている。
最小限のコストで現実を生きたい、最近そう思っている。

それと、心が反応しない。
心は、第四チャクラだ。
7つのチャクラの中心に位置し、感情や情緒を司り、「ハートチャクラ」と言われる。好きなひとを思って心臓がドキドキしたりする、その場所。
エネルギーが体の中を通るとき、いつもその第四チャクラだけ反応が悪いのだ。あるひとに「まったく存在を感じない」と言われたこともあるほどに。

こんなに文章を書いているのもそのせいだ。
(脱線するけど)逆にスピリチュアルの人が感性で文章を書いているのは、きちんとハートで色々なことを感じられているからだと思う。
わたしは感じられないので、頭で考えながら色々な文章を書いている。

最近のわたしといえば。
望みは持っている。
努力は続ける、けれど、その方向性を変えた。
いいひとになりたいだけの闇雲で無駄な努力はしない。自分が認めた価値に努力を払う。
期待はしない。相手に委ねる。
接点を必要なひとやものだけに絞って、それを大事にしたい。
不安は手放し、目の前の現実への執着が少しずつ減っていく。

今のこの状態は、逃避なんだろうか。
ただ、問題はそこではないように思う。
これからわたしはどう生きたいのか、そう問われている気がする。

蓮の花みたいになりたかった。
泥の中でもきれいに咲く力を持ちたかった。

きれいな気持ちで、きれいなものを発したかった。
自分の苦しさをものともせず生きられる強い自分になりたかった。
我慢し続ければ、そうなれると思っていた。
誰も傷つけたくなかった。
努力をして、その努力はいつか認められるものだと思っていた。

けれど、疑問が湧いている。
そもそも目指したところが間違っているのでは?
きれいに咲くために、不幸を自ら作り出してるのでは?

そう思ったら、わざわざ不幸になりに行っているかもしれない。
自分に自家中毒を起こした自分が嫌いになった

それを差し引いても、やっぱり不幸はあり、家族や元夫は嫌いだった。ないと思うことは、自分が赦すというミッションからの逃避なのだ。
そして、赦すってなんだ、ってなった。

そういえば、仲直りって苦手。
よく犬に噛まれたと思って忘れると言うけれど、犬に噛まれたことを忘れられるひとはいるんだろうか。
忘れたら、また噛まれそうなときに避けられないけれど、それはどうなるのかもきになる。

離婚して優しくなった夫を許して再婚すればしあわせになれるんだろうか。
なおもわたしを傷つけ続ける両親を許して、定期的に彼らの家を訪問すればしあわせになれるんだろうか。

その前に朝起きることすらできなくなる気がする。
だから、泥をきれいにすることに執着することをやめた。

そう思って、今に至っている。
けれどここも行き止まりらしい。
というか、堂々巡りなのだ。

けれど、できない。
赦さないことがわたしのアイデンティティなのかもしれないと感じるほど。

そうかもしれない。
家族を赦すことは、矛盾や不条理、醜さを自分の中にも認めることだ。

ここでも鏡か。
本気でいやになる。
醜い自分を許容すること。
辻褄の合わない人間である自分を赦すこと。

わたしは、自由でいていい
わたしは、自分勝手でもいい
わたしは、したいことをしていい
わたしは、間違ってもいい
きれいじゃなくても誰も味方じゃなくてもわたしだけは味方をする

あぁ、本当にいやだ。
これぞラスボスだ。

けれど、そうしたら。
怒りで焼き尽くされ灰になってしまったわたしの心は生き返るだろうか。

両親に会って疲れるわたしは、意外と悪くないのかもしれない。
壊死した心のリハビリなのかもしれない。

わたしにもふつうのあたりまえを得られる日は来るだろうか。


今日もここにあなたがいてくださることに感謝します。
元気玉送ります。

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