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自己承認

こんにちは。

BellGです。

今日は本当に暑い日でした。

毎日朝1時間ほどのウォーキングをしているのですが、

ふと今日鏡を見ると顔が真っ黒に日焼けしており…

わずかな時間でもこれだけ日焼けをしてしまうのですね。

今のこのコロナの状況でまるで遊びまくっていたのように、健康的に日焼けしてしまいました笑


さて、今日の言葉は…

自己承認

です。

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こんな質問を。

「みなさん、自分を愛せていますか?」

「自分を認めてあげられていますか?」


僕は今年の2月ごろまでは、「NO」でした。

むしろ、

「自分が大嫌い」

「認めることなんて持っての他」

と思っていました。


僕が変わろうと思った時に、ある方に「自分を愛せているか」と投げかけられました。

その時は、

何を言っているんだろう?

自分を追い込まなくては、自分に変化は起こせない。

鞭打って、痛めつけ続けなければ、自分の想いを震い立たせることなんてできない。

真剣にそう思っていました。


そして、その方にこう言われました。

「自分の体、心に聞いてみて欲しい。辛くないか。寂しくないか。」

僕はこの言葉がズシっとのしかかり、足が本当に動かなくなるほど重くなったのを今でも覚えています。


「どうせ自分なんて〜なんだ」

「自分が犠牲を払えば、皆が喜ぶんだ」

「自分の大切な人たちを守るのには、自分の気持ちなんて必要ないんだ。」

「自分なんて痛めつけられて、当たり前なんだ」


そう、自己否定しかしてきていませんでした。

ある時自信を失った時から。

そして信じている人、ものからも最初は自分に向き合ってくれる気持ちに向き合い、でも次第にそれを怖さから受け止められなくなり、誤魔化してきてしまっていました。

以前も書いたと思うのですが、信じることに対して自己肯定感の低さから、「自分なんて」という自己否定感を常に持ち続け、人を傷つけ、そして自分を傷つけていました。


「自分がかわいそうだ」

「いつまで自分を傷つけるのですか?誰が自分の味方になってあげるのですか?誰が自分を褒めてあげることができるのですか?」

「あなたを愛すことができるのは、あなた自身しかいない。それができて始めてあなたも人を愛するのだ。自分を大事にしない人は人を大切にはできない」


これらの言葉は、今でも鮮明に覚えています。そしてあまり感情の底から泣くことをしなかった、誰かに涙を見せることなどしなかった僕が、感情剥き出しに泣いたのを覚えています。

一頻り泣いた後、自分を始めて褒めてあげました。

嬉しかった。


そして何より、自分を承認したことにより、人を愛すことを心の底からできることを感じています。


まだまだこれからです。元いた場所(自分の間違っていた場所に戻ることは安易なんです。

今までそうしてきたから、安全牌なんです。

しかしそれが自分の本当にしたいこと、求めることなのかと自問すれば、答えはひとつです。

「いや、自分を愛すことで、求めることにより意味を持てる。心の底からそれを求めている。そのためには本来の自分になるしかないのだ」

常に変化することを楽しんで、そして自分を褒めてあげたいと思います。


今日は少し感情的に書いてしまいました。

読んでくれてありがとうございます。





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