北アイルランドとアイルランド共和国、なにが違うの?
この質問にパッと答えられる方がいたら、もう拍手です。
先日、コロナ禍でも旅行ができるところはないか探していたら、国内旅行として見つけた北アイルランド。
イギリスの正式名称は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)。
恥ずかしながら、北アイルランドについてはその程度の知識しかありませんでした。
北アイルランドはイギリスの一部。
アイルランド共和国は欧州連合(EU)加盟国。
でもなんで?わからない…。これは旅行前に調べなきゃ!敬意を表さなければ!
ということで、内容も量も決して軽くはない記事ですが…
教養が広がるな〜、と思いながら読んでいただけると嬉しいです。
アイルランド島が分裂するまで
北アイルランドとアイルランド共和国について調べていくうちに、
そもそも、いつからイギリスはアイルランドを「イギリスの領土」として主張し始めたのだろう?と疑問を抱き始めました。
追求したらキリがないのですが、サラッと触れておくと、よりこの問題について理解が深まると思うので、サラッとご紹介します。
1155年:アイルランド卿(Lord of Ireland)の誕生
紀元前1600年頃にケルト人が島に到着し、ゲーリック・アイルランド(アイルランド語がゲーリック: Gaeilgeと呼ばれるのはここから来ています)を建国しました。しかし、8世紀末頃からノルマン人(ヴァイキング)の侵入が始まったのです。
不安定だったこの地をカトリックに組み入れようと、1154年にローマ教皇ハドリアヌス4世はアイルランドをイングランド王ヘンリー2世の支配下に置くことに決めました。
こうして1155年、アイルランド卿(Lord of Ireland)の称号がヘンリー2世に与えられ、以後、この称号は歴代のイングランド王のものとなりました。
1542年:アイルランド王国の誕生
イングランド王ヘンリー8世が、それまでの称号であったアイルランド卿(Lord of Ireland)に代えてアイルランド王(King of Ireland)を自称したことでアイルランド王国が始まったと言われています。
これは、イングランドによるアイルランドの支配体制改革の意思表示でしたが、実際のところはイングランド側からの一方的な宣言でしかありませんでした。
当時のアイルランドを実際に支配していた人たちが、イングランドのこの宣言をすぐに認めるわけがないのですが、両国の勢力格差は歴然でした。
そのままイングランドからの侵略、支配の強化が進み、1694年に完全にイングランドの勢力下に置かれたのです。
1801年:グレートブリテン王国との合同
1707年、イングランド、ウェールズ、スコットランドが合同し、一足先に「グレートブリテン王国」が成立。
およそ100年遅れて、「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」が成立され、アイルランド王国は完全に消滅したのです。
1916年:イースター蜂起
イギリスの一部となったアイルランドは、合同後、しばらくの間は武力ではなく、話し合いで連合への反対を示す形式を取っていました。
しかし、合同から100年が経過した後も、アイルランド独立が成功していないことより、話し合いでは何も起こせないと考え、このイースター蜂起を計画しました。
こうして、イギリスの支配を終わらせ、アイルランド共和国を樹立する目的でアイルランド共和主義者たちは反乱を起こしたのです。
しかし結果は、反乱軍の無条件降伏と指導者の処刑に終わるのです。
1919年〜1921年:アイルランド独立戦争
1919年にシン・フェイン党(アイルランドのカトリック過激派)が独立を宣言しましたが、イギリスはこれを拒否。
これに対し、イースター蜂起を経て、戦争終結後もイギリス領であることに不満を持ったアイルランド民族主義者らにより、アイルランド独立戦争は始まりました。
1921年12月には休戦協定、英愛条約が締結され、アイルランドはイギリス連邦の下にアイルランド自由国として成立し、形式的には独立戦争は終結しました。
しかし独立した南アイルランド地域と異なり、イギリス国内に留まることを望むユニオニスト(≒プロテスタント)が人口の多くを占める北アイルランドはイギリス統治下に留まったことで、アイルランド島が分離し始めたのです。
英愛条約後も共和国建国には至らず、アイルランド自由国としてイギリス連邦下に留まったことに不満を抱いた民族主義者は、1922年から1年かけてアイルランド内戦を起こしています。
そして1927年にはイギリスが名称を現在の「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」に変更、1949年には正式にイギリス連邦を離脱し、アイルランド共和国が誕生したのです。
北アイルランド問題(厄介事:The Trouble)
なぜアイルランドが今の姿になったか、サラッと説明しましたがいかがでしたか?
前置きが長くなってしまいました。
ここからは、1960年代後半から活発化した北アイルランド問題の主要な事件について書いていきます。
1998年にベルファスト合意(Good Friday Agreement)が締結されるまでのおよそ30年間、北アイルランドの領土問題によって数え切れないほどのたくさんの血が流れています。軍人だけでなく、子供を含む市民もです。
日本で生まれ育った私たちが、いかに平和な環境で生活してきたか、この30年間の出来事を調べていると痛感します。
アイルランド共和主義の武装集団の行動は、イギリスからはテロリズムとされ、特にアイルランド共和軍主流派から分裂して結成された私兵組織IRA暫定派は、アイルランドを含む多くの政府によってテロ組織と認定されています。
しかし支持者からすれば、これは革命・反乱であり、レジスタンス運動なのです。
この動画では、ベルファストの中心部に位置するヨーロッパ・ホテル(Europa Hotel)が、この30年間で受けたIRA暫定派による33回の爆撃を乗り越え、ヨーロッパで最も爆撃を受けたホテルという不名誉な名誉を手に入れた経緯を、当時の爆撃の様子と共に説明しています。
イギリス陸軍:血の日曜日事件(Bloody Sunday)
1972年1月30日16時10分、北アイルランドのロンドンデリーで非武装の市民27人が、イギリス陸軍に銃撃されました。負傷者は13人、死亡者14人のうちの7人が10代でした。当時、約1万人が街の中心部にある広場までデモ行進を始めたところでした。
一部のデモ隊がイギリス兵たちに石を投げたことがきっかけで、銃撃が発生したのです。
当然イギリス陸軍のこの行動は、アイルランド共和国、北アイルランドだけでなく、イギリス全土で問題視されることとなります。
事件直後の裁判では無罪となったイギリス軍でしたが、1998年に再調査が行われました。調査の結果は、イギリス側に非があるとするもの。
2010年6月、イギリス政府として、初めて血の日曜日事件(Bloody Sunday)について謝罪したキャメロン首相。事件からおよそ30年後のことでした。
元ビートルズ(The Beatles)のメンバー、ポール・マッカートニーは、この事件に衝撃を受け、たった1日で「アイルランドに平和を(Give Ireland Back to the Irish)」を書きあげ、翌日にはレコーディングを行ったそうです。
実際に彼のバンド、ウィングス(Wings)がこの曲をリリースしたのは1972年2月25日。居ても立っても居られなかったんでしょうね。
しかし当然のことながら、事件当事国のイギリスでは、BBCをはじめ、多くのメディアで放送禁止処分を受けました。
またビートルズファンなら、ジョン・レノンもアイルランドにまつわる曲を制作していることをご存知かと思います。
この曲はポールとは違って、この事件の前に制作されたと言われていますが、どちらにしても、いかに北アイルランド問題が重大な問題だったのかが伺えますよね。
そして、北アイルランド問題がテーマの曲といえばこれ。
今回北アイルランドについて調べるまで、私の大好きなU2の「ブラッディ・サンデー(Sunday Bloody Sunday)」が血の日曜日事件(Bloody Sunday)をテーマにした曲だということを知らなかったのは秘密です…。
これは、1987年11月8日にデンバーで行われたライブ映像。同日のアイルランドでは、またもIRAによる爆破事件が起こり11人が死亡、60人以上が負傷していました。
そのことを受けてか、U2のボーカル・ボノの熱い訴えが見れます。
(3分57秒〜)
IRA暫定派:血の金曜日事件(Bloddy Friday)
イギリス政府と内密に交渉を行っていたIRA暫定派は、一時停戦に合意する代わりに北アイルランドからの撤退と共和国軍囚人の解放を要求しましたが、イギリス政府はこれを拒否、こうして血の金曜日事件(Bloddy Friday)が実行されるのです。
血の日曜日事件(Bloody Sunday)から半年が経過した1972年7月21日、北アイルランドの首府ベルファストにて、IRA暫定派による爆破テロが実行されました。80分間に20発の爆弾が爆発し、9人の死者(うち2人は英国軍兵士)と130人の負傷者を出しました。負傷者のうち77人は女性と子どもです。
IRA暫定派:英国王室 ルイ・マウントバッテン卿の暗殺
1979年8月27日、アイルランド北西部で休暇中だったルイ・マウントバッテン卿(エリザベス2世の夫フィリップ殿下の叔父)が、ドネゴール湾の船上で、IRA暫定派により船に仕掛けられた爆弾が爆破し暗殺されました。
この様子は、Netflixで放送されている英国王室ドラマ「ザ・クラウン(The Crown)」のシーズン4 第1話で取り上げられています。
当時はもちろん、英国王室メンバーがアイルランドに寄り付くことはなかったそうです。しかし、休暇用のお城を所有していたマウントバッテン卿は、休暇中はこの地を訪れ、現地の人とも気さくに打ち解けていたことがこの作品から伺えます。
この事件については、昨年2021年4月にシン・フェイン党(アイルランドのカトリック過激派)のマクドナルド党首が、シン・フェイン党の党首として初めて謝罪しました。
前党首の時代まで、マウントバッテン卿をターゲットとしたのは正当だったと主張していました。
IRA暫定派:ハンガーストライキ(Hunger Strike)
ハンガーストライキ(Hunger Strike)とは、元々マハトマ・ガンディーが始めた非暴力抵抗運動の方法の一つで、自らの主張を世間に広く訴えるために、断食を行うというもの。
現在日本でも、この方法を用いて抗議している男性のニュースを目にしますよね。
マウントバッテン卿の事件後、当時のマーガレット・サッチャー首相はIRA暫定派の行為を、政治活動ではなく犯罪とみなし政治犯としての権利を剥奪しました。こうした経緯が、IRA暫定派受刑者たちのハンガー・ストライキ実行へと繋がります。
ハンガー・ストライキ最中の1981年4月9日、歴代で最年少の英国国会議員となったボビー・サンズは、このストライキを決行したリーダー。その27日後に衰弱し息を引き取っています。享年27歳。
ハンガーストライキを開始してから66日後のことです。
アイルランド共和国では殉教者となったボビー・サンズの葬儀には10万人以上が集り、現在でも北アイルランドのカトリック系地域では、命をかけて正義を貫いた英雄として語り継がれています。
ボビー・サンズについて調べていると、2008年にスティーヴ・マックイーン(Steve McQueen)がカンヌ国際映画祭で新人監督賞(Camera d'Or)を獲った作品に行きつきました。
Hunger(ハンガー)。ボビー・サンズをリーダーとして決行されたハンガーストライキを題材に、当時の静かな迫力を見事に表現されたこの作品。
私が次に観るべき映画として保存しておきます。
ベルファスト合意後 - 今も続く空間的・社会的分離
1998年4月10日、一連の紛争に対する和平合意として結ばれたベルファスト合意(Good Friday Agreement)。この合意後、アイルランド共和国で行われた国民投票により、北アイルランド6県の領有権主張を放棄することが決定しました。
2005年7月28日、IRA暫定派は武力行使の決定的な終了を発表しています。
当時IRA暫定派は、「公衆にも信頼されるような方法でできるだけ速やかに」武装解除を実行すると約束しました。
この地図は、現在のベルファストの宗教マップです。
ベルファスト合意が結ばれ、IRA暫定派らの武力行使の終了も宣言されていますが、宗教間の暴力が完全に鎮火したわけではありません。
空間的・社会的な分離が進むにつれ、両サイドの衝突防ぐために「平和の壁」が建設されました。
悲しいことに、2011年以降も暴力事件は発生しています。
2013年には、ベルファストの市庁舎でのイギリス国旗掲揚を中止することが議会で決定した際、それに反対したユニオニスト(≒プロテスタント)が議員の自宅や警官の車に放火するなどの暴動事件が発生しています。
宗教絡みの争いは、終わることがないのでしょうか…。
参考:アイルランド共和国においては全人口の87.4%がカトリックであり、北アイルランドでは43.8%がカトリックであるとされています。
番外編:映画「Belfast(ベルファスト)」
シェイクスピア俳優として有名なケネス・ブラナー。俳優業だけでなく、マイティー・ソー(Thor)やオリエント急行殺人事件(Murder on the Orient Express)などの監督も務め、成功を収めています。
そんな彼が、自身の幼少期の体験を投影して描いた自伝的作品「Belfast(ベルファスト)」が、2022年3月に日本で公開される予定です。
今回ベルファストを訪れたタイミングで、この映画広告を至る所で目にし、必ず観なければ!と心に決めました。実際に、北アイルランド問題最中の紛争を目の当たりにした人物が創る映画は何を語るのか、とても楽しみです。
英語版の方が、本編の様子がたっぷり見れるので併せて載せておきます。
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