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平らな幸福か、挑戦から生まれる歓喜か。

今回ばかりは「アイキャッチ画像ふざけたな」と思いつつ。
この絵好きだなとまじまじと見てしまいました、はい。笑

今回は、「幸福」と「歓喜」について。
厳密には、「幸福」という感情の中に「歓喜」って感情も含まれるのかもしれませんが、一旦置いときましょう。

幸福って難しくて、言葉の定義も様々なので自分で今幸せだと思ったら幸せでいいと思うんです。

僕も今、好きなことができる環境で幸せだなーと日々感じています。

ただし、幸福って感覚は、鈍るもの。

基準は違えど、どこかであたり前が来て、
「幸せっちゃ幸せだよね。」とか
「まー、幸せだけど。」とか
よく聞く声です。

なにが足りないのさ、って話なんですが、良くも悪くも生を実感する「刺激」が足りないとそうなるような気がしてます。

何かと向き合って生きれば生きるほど人生に波が起こる

平穏な人生は、それはそれで素晴らしい。
世界で見たらそんな国少ないですもの、実感するべきだとは思います。

しかし、それはそれなわけで。
本当に人生楽しんでるの?という幸福感とは一旦切り分けます。

今の人生に波風立てず生きることは、確かに安心感がある。
そこそこ成功している人なら尚更かもしれません。

ただ、波のない人生にはちょっと退屈という感情がつきまとう、そんな気がしてなりません。

求めるのは「歓喜」

平穏な日常に、「挑戦」や「変化」を持ち込むことが、「歓喜」という感情を生むのだと思います。

そう、あえて!

しなくても正直いい。そこそこの人生は送れる。

ただ、七つの習慣の、第2の習慣に「終わりを思い描くことから始める」
ってありますよね。

死ぬ間際、人の多くは「もっと挑戦しておけばよかった。」「〇〇をしとけばよかった。」と行動しないことを悔やむと言います。
本当にそうかは、いざ迎えて見ないとわかりませんが、死ぬ間際に幸福感がないのはちょっと悲しいです。

だからこそ人生に「歓喜」することを求めたい。

最近「歓喜」したのっていつだろう。

子供の時って、世界が小さくて、全てが挑戦で、あらゆることに歓喜していたように思います。

ゲーム買ってもらえたら夜更かしするほど、歓喜しのめり込んでいたし、体育祭とか、学園祭で肩組んで騒ぎ倒して歓喜してました。
受験もそうですね、合格したときは歓喜だったと思います。

大人になったらどうでしょう。
歓喜って言葉に見合う挑戦や変化は少なくないですか?

何もかも、なれてしまってる自分はいませんか?

まだまだ、私も29歳ですが、たしかに子供の頃に比べたら減っているかもしれません。
だから、一回落ちる経験をしようとも人生波風たてて、挑戦することが大切だと思います。

いろんな挑戦の中、一喜一憂、あります。
こんな時、苦しい時にフォーカスを当てている方は、その考え方を変えなければいけません。

何のために挑戦を始めたんだって。
下がれば下がるほど、上がってきた時の「歓喜」が大きいはず。
それを味わいたかったからのはず。

誰かに教えを説くほど自分は挑戦に溢れた人生を送ってませんし、歓喜もできていません。まだまだここから。だからこそ人生楽しんでいます。

といいいますか、
平穏な幸せを手に入れたら、なにか次の贅沢を求める自分も見えてます。
そして、また、結局同じようなステージに戻ってきそう。笑
そういう性なのかもしれません。

今日も、挑戦!


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