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ボードゲームの適正時間(The right length for a board game)

本記事は、Anthony Faber氏が2021年7月17日に投稿した「The right length for a board game」の翻訳である。タイトルそのままの話をしている。

本記事では、アーク(arc)という単語が頻繁に出てくることから、あらかじめ説明をしておきたい。

アークの原義は円弧である。ここでいうアークとは、最初は盛り上がりや楽しさが増大していき、一旦ピークに達した後、終盤になるにつれて下がっていくような半円の形を描いた感情の上がり下がりを表した曲線のことを述べているように思われる。別の言い方をすれば、ゲームデザインにより設定された盛り上がり・山場ともいえるかもしれない。arcを調べてもこのような説明は見当たらなかったが、文脈からこう解するのが相当と思われる。誤っていたらご教示いただけると幸いである。

なお、個人的にやや論理が荒いと感じるところがあった。Anthony氏の過去の記事であることから、今の記事のように洗練されてはいないこともあるだろう。ただ、主な原因は、直感的には理解できるが、なかなか言語化しにくい部分をテーマにしているのではないかと思われる。

元記事は以下のリンク先を参照されたい。また、ヘッダー画像は、みんなのフォトギャラリー機能を利用させていただいた。

もし、あまりの文章量に目がかすんでしまったら、ポッドキャスト「Two Wood for Wheat」の最新回で、ボードゲームの適正な長さに関する議論を聞くことができる。そこには、「テラフォーミング・マーズ・カードゲーム:アレス・エクスペディション」のレビューも含まれているが、おそらく偶然ではないと思われる。

まずは、当然のところから確認しておこう。ボードゲーム全般に当てはまる適正時間なんてものはないし、ゲームの重さに応じた推奨時間を算出する魔法の公式なんてものはない。そして、ゲームが長すぎたり短すぎたり感じることがあるのは明らかだが、そんな体験は、時計が示す特定の時刻を過ごしているせいというよりも、1つ又は複数のデザインミスに起因していることが多い。そこで、このエッセイでは、ゲームが長すぎると感じたり、短すぎると感じたり、Paolo Moriの「Fairy Tale Inn」がちょうどいい長さだと感じたりする原因となるデザインの要素について議論しようと思う。

ゲームのアークの達成(又は不達成)

クレジット: @a_traveler

適切なゲームの長さを決定するために最も重要なのはゲームのアークだ。プレイヤーは、ゲームのアークによって設定されていること(promised)を達成することができるが、それ以上のことはほとんどできないはずだ。もし、築き上げたエンジンを全く利用する機会がなかったら、ゲームが短すぎると感じることになる。そして、ゲームに設けられていることを達成しきってしまい、最後の数ラウンドで追加の勝利点を得ようとして考えを振り絞っている(are casting about for)だけなら、実際のプレイ時間とは関係なく、ゲームが長すぎると感じることになる。

パワーとゲームプレイの報酬関係(stakes)がかなり構造的に増大していくこと(a very structured escalation of power and gameplay stakes)は、過不足なく快く思える状態のまま(doesn't over or under stay its welcome)満足できるアークを生み出すことになるので何ら間違ったものではない。私のお気に入りのゲームの中には3段階の構造(three act structure)なっているものがあり、前の段階よりもカードやパワーが指数関数的に増加・強力(outrageous)になっていくんだ。「ブラッドレイジ」、「アンダーウォーターシティーズ」、「世界の七不思議」、「Empires: Age of Discovery」は、全て3ラウンドか3つの時代にわたってプレイするゲームで、各時代でどんどんバナナみたいに増える(get more and more bananas)カードが特徴的だ。この種の厳格な管理(※3ラウンドに分かれてカードが区分されていることと思われる。)のおかげで、明確で満足できるアークや、コントロールの利かないプレイ時間を生み出してくれる。それに、先行者に追いつけるように手助けする過剰な演出(ham)を加えることなく、遅れを取った者をトップ争いに戻すことができるように増大していくパワー構成をもたらす。

18xxシリーズのゲームは、明らかに長すぎることが多い。それは、プレイ時間が長すぎるせいではなく、アークを通り越してしまうほど広がってしまっているからだ。別の言い方をすれば、真の決断を下している時期を通り越してしまっているからといえる。18xxシリーズのゲームの中には、計算機で計算するだけの最終ラウンドとなり、プレイヤー全員がそこにいる必要がないものがある。そういう事実が全てを物語っているよね。

長さの割りに強すぎる運要素、独走する首位プレイヤー、予想どおりの結末

クレジット: @a_traveler

私にとって強固に確立している原則をいうと、ゲーム中に許容できる運要素の多寡は、そのゲームの長さと反比例するということだ。20分の運ゲー(luckfest)は愉快なものだが、3時間となると怒りが込み上げてくる。なんでこんなことになるのか。「テラフォーミング・マーズ」とそのカードの強い引き運の役割を検討してみよう。そのようなランダム性のせいで、「レース・フォー・ザ・ギャラクシー」における20分のゲームで10分経過後にもう勝つことがないと分かってしまったら。うん、大した話じゃないね、もう一度シャッフルしてすぐに新しいゲームを始めれば十分だ。「テラフォーミング・マーズ」における3時間のゲームで20分経過後に、誰かが勝利のエンジンを自分のものとしていて(has pulled the winning engine)、自分はそれに絡めてないと気付いたら。このゲームの勝者側と敗者側の両方があったけど、何度もこういうことが起こるのを本当に見てきたんだ。うーん……その……、卓を離れる2時間40分前にこのゲームの実際の盛り上がる競争部分が終わってしまっているからさ、このゲームにテーマ性があって、みんなで一緒になって(jointly)火星のテラフォーミング化を達成することができることに感謝したいよ(thanks god)。

もちろん、「テラフォーミング・マーズ」の全ゲームがこんな風じゃないってのはわかってるさ。でも、さっきみたいだと最悪だ。それに、こんな不愉快な気分にさせられるのは(leaves sour taste)、いつも序盤の運のせいとは限らない。戦略的な(strategy)ゲームが、3時間の苦闘(struggle)の末にダイスを振って決まってしまうとしたら、プレイヤーの中には最高だって思う人もいるかもしれないが、私は、勝利したか否かにかかわらず、午後のひと時を無駄にしたように感じてしまう。個人的には、運と時間の原則(※公式)を打ち破って楽しめるゲームは稀にしかないんだ。「テラフォーミング・マーズ」が長すぎる(runs long)ということを示す最後の根拠(The final piece)は、「テラフォーミング・マーズ拡張 プレリュード」が驚異的な成功を収めたことだ。この拡張は(※BGGの)評価に基づいていうと、独立した(standalone)ゲームであればBGGのトップ100ゲームに入るほどの成功を収めている。そして、ほぼ間違いなくこれまでで最も人気のある拡張が示す、最重要の結論はなんだろうか。基本ゲームのプレイ時間を短くすることだ。この理由だけをみても、「テラフォーミング・マーズ」は、ゲーム時間が長いにもかかわらずヒット作になったのであって、ゲーム時間の長いからヒット作になったわけじゃないということがわかるよね。

クレジット: W. Eric Martin

「テラフォーミング・マーズ」を取り上げ続けるのは嫌なんだけど(実際のところ、これは嘘で、喜んで取り上げていくよ。)、このゲームにおけるカードの引き運はゲーム時間の長さの問題にとどまらないんだ。時々、あるプレイヤーが、より優れたエンジンを組み立てて他のプレイヤーよりも勝ることがある。これに運要素は問題ではない。しかし、それでも問題なのは、ゲーム終了前にプレイヤーの誰が勝ちそうかが分かってしまうことだ。この問題は、運が大きく作用するか否かを問わず、長時間のエンジンビルドゲームで不意に現れるものだ。エンジンビルドゲームは、富める者がますます富むというデザインの性質を本来的に備えており(inherent rich get richer design)、それが長く続いてしまうと、めちゃくちゃ裕福なプレイヤーと……全くそうじゃないプレイヤーを見ることになってしまう。数時間にわたって、大勝ちしている首位プレイヤーが独走する様を見るゲームほど長く感じるものはない。

ダイスエンジンゲームである「街コロ」や「スペースベース」は、単に運要素とエンジンビルドを組み合わせてプレイ時間を長くしているだけのゲームではない。もちろん、細かいところが重要となってくる(the devil is in the details)。「キング・オブ・トーキョー」は、ダイスをベースにしたエンジンビルドゲームだがあまり長続きしないゲームだ。実際、このゲームは短すぎると思っている。このゲームの魅力は、(ゲームデザインの主要部分である)特殊能力にあるのに、それを発揮しないままゲームが終わってしまうことが多い。

達成感

クレジット: W. Eric Martin

さて、「テラフォーミング・マーズ」をコケにした(have buried)ところで、褒めていくことにしよう。運要素が強い割りにプレイ時間が長すぎるし、徹底的なエンジンビルドゲームでもある。それにもかかわらず、プレイヤーが「テラフォーミング・マーズ」を愛している理由は、とてつもない達成感をもたらすからだ。プレイヤーは、自分の場に出ている大量のカードと能力(massive tableau of cards)に視線を落とし、最初は何もなく冷え切っていて不毛な土地だった火星そのものが、今では森、海、酸素、それに暖かさで満ち溢れているのを見て、「自分たち/自分がやったんだ」って言ってしまうはずだ。この達成感は、「テラフォーミング・マーズ」の強いテーマ性と関係しているもので、戦略的観点から見たゲームのアークを満たすための適切な達成感(the right amount of accomplishment)と全く同じというわけではない。

私がこのことを気付くのに至ったのは、大量にいるThe Dice Tower(※ボードゲームYouTubeチャンネルの最大手)のメンバーら(contributors)が、どんなゲームが最も達成感を得たのかについて話しているのを見た時だった。そして、「テラフォーミング・マーズ」が、他のどのゲームよりも多く言及されていたんだ。このことは、メカニクス的な観点からは長すぎると思われるが、プレイヤーが大きなことを成し遂げることができる他のゲームでも見られるかもしれない。Civ系(文明発展)ゲームは、最高に素晴らしい業績を残すことが約束された、壮大ともいえる長さのゲームの恰好の例となる。「スルー・ジ・エイジズ」が長すぎるかって?Civ系のコンピュータゲームが長すぎる?おそらくそうだろう。しかし、その長さは、巨大なアークに適合していて、そこからもたらされる達成感こそが、長いプレイ時間を許容するようなゲーマーを魅了するんだ。もちろん、ゲームがそういうゲーマーの要求を叶えてくれるのであればだけど。

プレイヤーの管理下にある

クレジット: Pandasaurus Games

今、プレイヤーがプレイ時間の長さをコントロールするゲームが流行っている。その理由を理解するのは簡単なことだ。古くさい(stale)ラウンド構成とわざとらしい(artificial)終わり方を遊んでいる(moving through)よりも、プレイヤー自身がゲーム終了条件を作動させるか否かを決めてゲームのテンポ(pace)をコントロールしたほうがいいからだ。うまくいけば、満足感の得られる緊張感と競走感を味わうことができる。うまくいかなければ、プレイヤーは、何もする機会が与えられなかったと感じたり、逆に、あくびをし始めて、誰かがこのひどいゲームを終わらせてくれないかねぇと卓の周囲に尋ね始めるかもしれない。

プレイヤーの一方的な意思(fiat)によってゲームが早く終わってしまうと、ゲームのアークが達成されず、プレイヤーが達成すべきゲームの設定を成し遂げる感覚がもたらされなくなる。おそらく、最も極端な例が、「ダイナソー・アイランド」をプレイしている際に生じてしまった。1人のプレイヤーが、プレイ時間が90分から120分まで記載されているユーロゲームであったのに、約30分でこのゲームを終わらせてしまった(この時は4人プレイだった。)。恐竜を育ててパークに客を呼び込むというこのゲームにおいて、プレイヤーのほとんどが、まだパークに恐竜を置いてなかったか、まだアトラクションを建設してなかったかという状態だった。このプレイの直後、同じゲームをプレイしたら、3時間30分もかかってしまった。誰も、ゲーム終了の引き金(trigger)となる種類のアトラクションを建設したいとは思わなかったわけだ。

クレジット: Milos Tziotas

1度だけ「イニシュ」をプレイした時、約3時間くらい遊んでいたら、カフェから追い出されてしまってゲームを終わらせることができなかった。このエリアコントロールゲームでは、プレイヤーが勝利条件を満たしすと、その条件を他のプレイヤーに宣言することになる。そして、宣言された他のプレイヤーは、それぞれ勝利状態のプレイヤーを打ち負かすため(knock player out)に手番を行い、もし、失敗したら、勝利条件を満たしたプレイヤーが(※そのまま)勝利し、ゲームが終わることになる。私がプレイした時は、ゲームが中止されるまでに、勝利条件を満たしたプレイヤーを20回くらい打ち負かした。壮大なゲーム体験だったという人もいて、私は特にそれを否定しよう(begrudge)とは思わない(間違いなく記憶に残る体験だ。)。けど、私は、実際にゲームを終わらせる方が好きだし、特に、その前に友人たちが遊んでいた時には、45分くらいしか要しなかったわけだ。プレイ時間が大きく変わるゲームは、ドラマチックな体験を生み出し得る反面、特に、平日の夜などで、特定の時間枠に合わせようとしている場合とかには、実際にゲームを遊ぶのを難しくさせる。こういった特定のゲームで同じような経験をしたことがあるかどうかは重要ではない。重要なのは、自由な発想を持つゲーマー(free thinking gamers)が道を踏み外すことがないように、かなり慎重になって、プレイヤーがゲーム終了をコントロールする仕組みを作らなければならないということだ。こういうゲームは、脆くて不安定になってしまい、壮大だが(epic)満足の行かないゲームになる可能性がある。

憂鬱なダウンタイム

クレジット: W. Eric Martin

4人プレイでの「ファイブ・トライブズ」が長すぎる理由は、ゲームとゲームの間が長すぎる(game length is too long for the wait)のではなく、手番間のダウンタイムが耐え難いからだ。このゲームはほぼ完全に計算可能で、分析麻痺(analysis paralysis, ※考え過ぎてしまい、行動に移せなくなること)の傾向にある人に対して、望む限り時間をかけて完璧な一手を打たせるためのインセンティブを最大限に与えてしまう。この問題を深刻にするのは、このゲームが完全に戦術的(tactical, ※短期的な視点で、その場その場での判断が求められるという意味合いがある。長期的に計画を練るstrategyとは異なり、ややネガティブな意味合いを持つことがある。)性質を有しているところにある。盤面の状態は手番ごとに劇的に変化するので、数手先を読む詳細な(advanced)計画は無駄に帰する。つまり、他のプレイヤーの行動はゲームに何ら関係しないし、各プレイヤーは、自分の手番開始時にゼロから(※考えることを)始めることにもなる。このゲームは2人で遊べばいいって話だ。

そして、ダウンタイムは、単なるプレイヤー側の問題の時もあるが、多くの場合、ゲーム自体が問題を引き起こしている。そして、大抵は、デザインの複雑さが原因ではなく、他のプレイヤーの手番中に計画を立てることができず、1つ1つの手番を長くしてダウンタイムを更に苦痛にさせるといった「ファイブ・トライブズ」のような失敗が原因となっている。最近のゲームの多くは、カードドラフトや同時役割(※アクション)選択(simultaneous role selection)といった同時プレイを実現するメカニクスを用いてダウンタイムが生ずるのを防いだり、プレイヤーが同時にアクションを実行できるようにしたりしているが、そのような実装をしていないゲームであっても、様々な方法でその影響を減らすことができている。

クレジット: Simon Lafrance

オーディンの祝祭」は、複雑で、同時処理のないデザインだが、4人プレイの時でさえも、それほど苦痛なダウンタイムがない象徴ともいうべきゲームだ(the poster child)。一見すると、80個くらいのワーカープレイスメントの選択肢が、悪夢のようなダウンタイムを生じさせるように思える。そして、そういう悪夢は新規プレイヤーと一緒になった場合に時々起こるが、そうでなければ、滅多に問題になることはない。多数の選択肢は、自分の手番じゃなければ、(他の選択肢を取られた時のために)複数の計画(plan A, B, C, and D)を考えてもよいということになる。このゲームは、私がよくこのブログで絶賛している、ポリオミノタイルを取って、ラウンド全体が終了するまでどこに配置すべきか決められないというメカニクスも含んでいる。ほとんどのポリオミノゲームは、即座に配置することを求められる。このことにより、プレイヤーが満足するまでタイルを回転させるので、分析麻痺(AP)が起こってしまう。「オーディンの祝祭」では、他のプレイヤーがアクションをしている間、プレイヤーは思う存分に回転させたり熟考したりすることができる。時には、4つのタイルを獲得してしまい、そのタイルを個々のプレイヤーボードに載せて、自分の手番が回ってきたことすら気づかなくなるまでテトリスをしていることがある。

長すぎる序盤のプレイ

クレジット: W. Eric Martin

時々、プレイヤーが複雑なゲームシステムに取り組んでいるわけではなくとも、ゲームが鈍かったり(obtuse)、グラフィックデザインの質が悪いという特徴があったり、必然的にプレイヤーを混乱した(confounded)状態に置くような他の要素があったりするせいで、序盤のプレイが長すぎるゲームがある。

それは、おそらく、「Vast: The Crystal Caverns」や「ルート ~はるけき森のどうぶつ戦記~」にみられるように、プレイヤーは、熱心に(wildly)非対称のルールシステムに取り組んでいて、他のプレイヤー全員がしていることを把握しようとするからだろう。もしかすると、「Imperium: Classics」(もしくは「Imperium: Legends」)のように、そのゲームのカードは、ぎっしり詰まった小さい文字が書かれているのが特徴になっているので、カード列から新しい選択肢が出てくる度に虫眼鏡を持ち出さなければならないからかもしれない。さもなければ、「City of Iron」の場合のように、比較的単純なエリアコントロールとデックビルディングの組合せにもかかわらず、全ての意思決定が前倒しになってしまうせいで、時間が長くかかりすぎてしまうのかもしれない。「City of Iron」では、自分のデックに加えられるのは30枚そこらのカードしかないが、問題は、新しいカードを買う場合、カードの列や市場がないにもかかわらず、どのカードも買えてしまうことにある。今まで見たこともないような30枚のカードをくまなく見て、どのカードがベストなのかを判断しようとしている哀れな人(the poor soul)を想像してほしい。私は、なかなか決断しないゲーマーと一緒になって、この中量級のユーロゲームをプレイしたが、丸一日かかってしまった。それ以来、初対面の人にこのゲームのルールを教えるのが怖くなってしまったよ。

クレジット: W. Eric Martin

ほかに、プレイヤーに膨大な情報を分析させるゲームとして「ノイシュヴァンシュタイン城」がある。この場合、プレイヤーは建築家(the master builder)となって、部屋の値付けをしていく。建築家は値付けされた部屋を査定する。1回だけではない。プレイヤーは、各部屋が個々のプレイヤーにとってどれだけの価値があるのかを見て、誰にとっても安売りにならないように確認しなければならない。このことによって、他のプレイヤーが新規プレイヤーだったり分析麻痺の傾向にあるプレイヤーだったりして、彼らが独り言をつぶやいて値付けしているのを見ているだけで15分なんて簡単に経過する。

「Vast: The Crystal Caverns」や「ルート ~はるけき森のどうぶつ戦記~」、「Oath: Chronicles of Empire and Exile」のようなLeder Gamesの場合、同じグループで50回から100回プレイされるようにデザインされた一生もののゲーム(lifestyle games)であり、長すぎる序盤のプレイはこの世界への入場料にすぎないということから、序盤が極端な形をした学習曲線(the extreme early learning curve)は許容されるだろう。他の状況を考えると、新規プレイヤーのためにゲーム会に持っていきたいと考えているのであれば、長すぎる序盤のプレイを作り出すシステムは、(※新規プレイヤーを)イラつかせて壁を感じさせる(a frustrating barrier to entry)だけのものとなる。

最後に

(※冒頭にあるとおり、ポッドキャストでも話しているが)このブログでは、思っていたよりも長々と書いてしまった。ただ、この話題について表面的にしか触れて(scratching the surface)ないように感じている。結局、本文中に掲げなかった(on the cutting room floor)話題の1つは、1時間当たり、又は別の時間単位で、どのくらい多くの重要な意思決定が、ゲームに含まれているかという視点(the idea)だった(つまり、このブログ記事の内容は、結局、私が説明してきたゲームだけにとどまらないというわけだ。)。意思決定の割合が低いと、ゲームの長さが噛み合ってないように感じるだろう。もしかすると、このブログで得た最も重要な結論は、ゲームの長さが、ラウンド、段階(acts)、時代の区分を通じて構造化されていればいるほど、ゲームの長さの問題が少なくなりがちということだ。プレイヤーが(※終了)条件をコントロールできる、ゆるく制約のないゲームであるほど(Looser, baggier games)、そのプレイ時間の自制が利かなくなってメチャクチャになる(all over the place)。ゆるいゲームは、驚きを生じさせたり、もしかしたら壮大な瞬間を作り出す余地を多く含むことによって、時間の損失を埋め合わせているわけだ。

みんなにとって、複雑なデザインにもかかわらず、完璧なプレイ時間を何とか実現しているゲームにはどんなものがあるかな。逆に、無惨にも失敗してしまっているゲームは何かな。下記のコメント欄で教えてほしい。

以上

※ほかのAnthony Faber氏のゲームデザインに関する記事として、以下のものがある。

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