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ボードゲームのオープニングに関する話(Openings)

本記事は、Anthony Faber氏が2022年1月15日に投稿した「Openings」の翻訳である。ボードゲームの序盤について語られた記事となっている。

ボードゲームはメカニズム面から語られたり、個別のゲームに関する序盤、中盤、終盤の隙の有無について語られたりすることが多い。前者はレビューで、後者はプレイレポという形で表れる。ただ、ゲームの特定の場面を切り取って、横断的に分析した記事は少ないと思われ、訳出する意義があると考えた。

また、記事の中盤には、やや挑発的に、なぜ昔ながらの"ユーロゲーム"が衰退したのかについての記載がある。その理由には異論があるだろうが、そうだよねと納得する人も少なくないだろう(訳者は昔ながらの"ユーロゲーム"を好むほうだが。)。

本記事の文末に、Anthony氏の書いたゲームメカニズムに関する記事のリンクを貼っている。彼の好みと合っているのであれば、併せて参照していただけると幸いである。

なお、現在、Anthony氏は、自身のオールタイムベストといえる30個のゲームに関する記事を書き進めている。これらの記事は、一般化できる類のものではないので、訳出する意義は小さいと考えている。だが、必要性の高い記述があったり、需要があったりすれば、翻訳したいと考えている。

もし,あまりの文章量に目がかすんでしまったら,この種の議論をポッドキャスト「Two Wood for Wheat」で聞くことができる。最新回では、ニュージャージーをテーマにしたゲームである「Cape May」のレビューを紹介している。

どんなゲームにおいても、ゲームの序盤が好きだ。物事が小さく始まり、ゲーム中の無数にある機会をつかもうとしてじれったくなるし、直感的にそうしろという根拠しかない(I have little but my intuition to go on)、序盤の決断が災難になってしまうんじゃないかと勘繰ってしまう(doubt plagues)。そうだけれども、楽しくもある。(※ゲームの序盤は)なんでもできるんだから。

こういった事情から、私は、ある種の(kinda)ゲームの序盤が好きではない。ここでいうところの序盤は、文字通りの意味じゃない。本当に面白い不確実性が、一連の決まり切った動き(scripted moves)に置き換えられてしまい、見通しや独創性が暗記された技術的な知識(teknowledge)になってしまっている場合のことを指している。

クレジット: Matt Hoskins

背景を話しておくと、私は、5年以上にわたり、「Warmachine」(「ウォーハンマー」と並ぶミニチュアゲームだ。)を遊んでいた。そして、結局、その趣味を辞めてしまった。金がかかるとか、ゲームに対する興味が失せてきたというわけではなくて、単に、何千ものユニットや魔法使い(warcasters, リーダー)を全て記憶して、対戦相手が仕掛けてくる魔法(trick)や罠を知っておかなければならないというだけの時間がかかるせいだ。同じ理由で、チェスが好きなのに、中級レベルを超えたチェスの勉強をしなかった。序盤と終盤の手を暗記することがつまらなくて楽しみを削ぐということに気づいたのさ。

しかし、一般論として、序盤やゲーム戦略の研究に関する私の見解は、これ以上に微妙に異なるニュアンスをもつ。私は、どのような一連の序盤の動きが、自分が達成しようとしている長期的な戦略にとって、最適な結論につながる(sequence)のか解明しようとすることが大好きだ。そして、ゲームの戦略に関するブログ記事を読むのが好きだ。学ぶことが好きだし、他の人たちが何を考えているのか理解したいし、考えたことがない可能性を見たいと思う。全く興味がわかないのは、一連の決められた動きを追求するがあまり、脳のスイッチを切って(turn off my brain)、思考を停止し、決まり切った動きをそのまま当てはめて、あまり勉強してない人たちに対して自動的に大きく有利に立とうとするようなことだ。

これが、このブログで多様性のあるセットアップの利点をよく取り上げている理由だ。初期のボードの状態、プレイヤーの個別能力、使用可能なカード等が変わることは、決まり切った手順をなくすし、プレイヤーは、前回のゲーム時に学んだ序盤での立ち振る舞いに関する一般的な原則(general opening principles)と、新しい状況下によって生み出される新しい考えを組み合わることが可能になって、個別のセットアップ時に有効に機能する戦略を創り上げることができる。

クレジット: Daniel Mizieliński

優れたゲームでは、(例えば、「オーディンの祝祭」のような)変動するセットアップ、驚くべきほどの(sheer)初手の数の多さ、あるいは、様々な種類の初手番が許されるほど十分な柔軟性をもったゲームプレイを通じて、暗記された初手の代わりに面白い序盤を作り出してくれる。現在、ポッドキャスト上で、私のオールタイムベストとなる30ゲームを挙げているところで、そのゲームのほとんど(全てではない)が、この10年の間にデザインされたものだった。それはなぜか。それは、最近のゲームのほうが優れているからだ(不思議に思われないように言っておくと、この発言は、古典的な、ルール量が少なく、強いインタラクションのユーロゲームこそが、今日のほかのゲームよりも優れていると考えている、このサイト(※BoardGameGeek)の多くの読者に対する敢えての牽制(jab)だ。)。なんで、最近の方が優れたゲームなのか。大きな理由を1つ挙げるとすれば、現代ゲームは、決まり切った初めの手順から脱却する方法を手に入れたのさ。

決まり切った序盤があると知られている古典的なゲームの中でさえも、セットアップを変動させることで改善されたものがある。「アグリコラ」を愛する人たちは、開幕の職業カードのドラフトが必須であると言うだろう。そのことから、当然に「アグリコラ」にはカードドラフトが必要だということにはならない。それは、もし、プレイヤーが、全く同じ目標と基本的な能力が設定されていたら、序盤で行う手があまりにも手続的になってしまうということにすぎない。最高の葦や木の組み合わせを手に入れるために、暗記された序盤の策略が好きな人たちがいるってことはわかっている。私は、そういう人たちとは違うってことだ。

クレジット: Wyjdzie w Graniu WWG

他方、「フードチェーンマグネイト」のような、古い時代のデザイン思想に傾倒した現代ゲームがある。全体としてシンプルなルール、強いインタラクション性という点は問題ないと思うが、多様性に欠けており、そのゲームに対する影響の仕方には問題がある。ゲームが手厳しくて、容赦がなくて、(少なくともスタート時に)決まり切ったものであれば、ある定められた序盤の手を打たなければ、負けることになってしまう。実際に、「フードチェーンマグネイト」で、序盤の良い手から大きく外れてしまうと、自動的に、かつ、ボコボコに負けるだけでなく、商品の販売から永久に締め出されてしまい、意味のある形でゲームに参加することができなくなってしまう。「Diplomacy」のようなゲームでは、1つの駒と1つの地図上の補給拠点にまで減らされた挙句、何時間にもわたって意味のあるアクションを取ることができないまま、座ってるだけになるような感じだ。これは極端な話(scenario)だけど、かなりの数の人に起こっていることで、「フードチェーンマグネイト」の愛好者らは、新規プレイヤーに対してはゲームを注意深く教えて、そんなことが起こらないようにしなければならないとすぐに認めてくれるだろう。結局のところ、「フードチェーンマグネイト」は、強いプレイヤーインタラクションを通じて、ゲーム中盤に大きな多様性を生み出す。けど、そのインタラクションが現れるまではしばらく時間がかかるし、その間は、プレイヤーは厳しい統制に置かれているように感じるだろう。

この話から、序盤に悪意のある罠が仕掛けられたゲームを評価しないわけじゃない。ただ、そういった罠によって、ゲームからプレイヤーを除外すべきではないと思う。そういった罠にはまってしまう原因は、盤面の状態を見誤ったことに基づくべきだ。状況把握が困難(tough to parse situation)な中で、一連の指示通りの(prescribed, ※原文ではproscribedだが意味が通らない。)動きに沿ったものでなかったということに基づくべきではないと思う。「ヘブン&エール」や「テラミスティカ」は、序盤に罠がたくさん張り巡らされた大好きな2つのゲームだが、その両方のゲームとも、ゲームへの取り組みが異なってくる、スキルレベルの違いというものがある。

クレジット: Henk Rolleman

「テラミスティカ」は、頭の中に思い描いていたエンジンビルドゲームを大きく転回(※変化)させたゲームなので、新規プレイヤーが正しくゲーム開始時の戦略を評価することはとても難しい。まず、エンジンを増築するために環境を整えて(conditioned)、後から得点を得ようとする。このことにより、自分の船舶(shipping)や地形の変換(terraforming)を増強したり、神殿を建てることで恩恵タイルを手に入れたりすることがゲーム開始時の良い手だと合理的に考えてしまうことにつながる。実際には、様々な理由から、これらの戦略(approaches)は悲惨になることが多い。船舶や地形の変換は重要だけど、コストが高すぎて最初から手をつけることができない。それらの要素はエンジンを増強させるんだけど、高額すぎてすぐには支払えないコストがかかってしまい、実際にはエンジンを組もうとして壊してしまうことになる。プレイヤーが、収入やボード上の存在感を高めるために開始時のリソースで強引に地形の変換を行なった時にも同じことが起こる。ほとんどの場合、そのコストは高すぎるので、プレイヤーは自分のエンジンが成長しないで悶える様子を目の当たりにしてしまう。

恩恵タイルによるエンジン構築の場合、理論上は有益だ。けど、多くの場合、それを手に入れると、より経験豊富なプレイヤーは、あなたが建築すれば得点を得ることになる恩恵タイルで、しかもゲーム中の得点源として非常に重要となるものをかっさらってしまうだろう。エンジンを組むことは素晴らしいことだが、他のプレイヤーがエンジンを組んで報酬を得ているのに、自分のほうはそれができてないのであれば、おそらく負けることになるだろう。

クレジット: Pawel Wiosna

「ヘブン&エール」の主な序盤の罠はもっとわかりやすい(straightforward)。実際に、「テラミスティカ」で行われることと正反対なものだ。この場合、十分にお金を得ようとして個人ボード上の日陰エリアに建物を建てる前に、得点を得るために日向エリアに建物を建てると、プレイヤーはたちまち破産することになる。そして、自分のエンジンを組み直すことはとても難しくなってしまう。点数より先にお金を稼ぐことは直感的にわかることだ。しかし、多くの新規プレイヤーは、日陰エリアを増強する前に日向エリアを多く織り交ぜて建築することができると考えてしまう。私は、このことにいつも驚いてしまう。そうしないよう明確にアドバイスをしているにもかかわらずだ。そのようなプレイヤーは、ビールが得点の大体80%を占めるゲームなのに、ビールから1点も得られない状況に自分を追い込んでしまうことが多い。

どちらのゲームにおいても、熟練したプレイにより、こういう罠を直接無効化することができる。低いレベルのプレイヤーはこういう罠にはまってしまうし、中程度のレベルのプレイヤーはこういう罠を避けることができるが、他方、高いレベルのプレイヤーは、正確なプレイを実行するので、そういった罠に踏み入っても難なく抜け出してしまう。彼ら(※高いレベルのプレイヤー)は、得点が得られる恩恵タイルの代わりに、直ちにエンジンを構築する恩恵タイルを取りに行ってうまくその場を切り抜けることもよくある。というのも、彼らは、エンジンを構築するために恩恵タイルを使い、どこかで満足できるくらいの得点を捻り出すことができるからだ。さもなければ、「ヘブン&エール」において、熟練者(experts)は、日陰エリアでの収入を的確に最適化するために、早い段階から日向エリアでの建設を混ぜ合わせてくる。

しかし、そうであったとしても、こういったゲームは初心者にとってどれほど手厳しいものなのかという点において、「フードチェーンマグネイト」で起こり得ることと、どう違うのだろうか。これらのゲームも、そこ(※「フードチェーンマグネイト」みたいなゲーム)までではないにせよ、序盤では容赦がない。「フードチェーンマグネイト」と同じように、これらのゲームにおいても、私は、いつも新規プレイヤーに対して、こういった落とし穴を避けられるようにアドバイスをしている。「テラミスティカ」では、序盤で強引に地形の変換をしたり、地形の変換を闇雲にしたりしないようにするとか、「ヘブン&エール」では、最初に日陰エリアを建設するとかね。

最大の違いは、「フードチェーンマグネイト」でみたような過酷さではない。私が楽しんで遊ぶこれらのゲームにおける罠は、配置に関する長期的な誤解に基づいた戦略的なものだ。他方、チェスにおいてクイーンが浮いてしまって無防備(hanging)になったみたいに、序盤の罠が戦術的に感じられてしまうゲームは好きじゃない(※ここにいう戦略的は長期的なものを、戦術的は短期的なものをいう。)。

クレジット: Henk Rolleman

別の言い方をしよう。ほとんど正確無比なプレイをすることが目的なだけの序盤とか、そういうゲームとかが全般的に好きじゃない。「Russian Railroads」は、かつかつの(tight)ワーカープレイスメントやエンジンビルドを主要素とした、普段の私からすれば好きな要素がふんだんに盛り込まれていて、楽しく遊ぶことができると考えていたゲームだ。しかし、単に技術的な正確さと精密なプレイが要求されるだけで、どの道筋を歩むべきかについて高い創造性があるようには全く感じられなかった。誤解しないでほしい。正確で、計算高いプレイは、ほとんど全ての戦略ゲームで重要な要素だ。だが、このゲームにおける戦略の道筋は、文字どおり、そしてテーマ的にも、今まで増やし続けた得点収入を用いて利益をもたらす、とても明確に分かれた線路によってはっきり示されている(delineated into)。私は、メカニズムとして得点収入(※毎ラウンド累積される得点計算)を好まないようだ。その理由は、即時に得られるリソースと長期的に得られる得点のどちらを選ぶかという緊張感が失われてしまうところだ。しかし、私が更に好きではない理由は、得点収入が獲得する得点の大部分を占めているところにある。だから、誰が勝利するかがかなり明確にわかってしまうし、もし大幅に負けている状態だったならば、絶対に巻き返す(come back)ことができない。自分を救い出すような独創的なプレイをすることすらできないし、柔軟な進路調整なんてのもあり得ない。できることは、自分がしていることをより正確に行おうとするだけで、対戦相手がおバカちゃんになってくれることを必死に祈るだけだ。

戦術的すぎるゲームは、意思決定の一部というよりも、あらゆる面での意思決定が正確性を求めるように堕する(come down to accuracy)という問題を抱える。私は戦術的なゲームも大いに好きで、「クランズ・オブ・カレドニア」はその代表的な作品だ。しかし、そのゲームでは、例えば、盤面でいつ勝負を仕掛けるか、いつ商品を適正価格で売買するか、いつ契約を取りに行くかなどの、多くの異なる物事な優先順位を付けなければならないので、"正確なプレイ"という感じはあまりしないし、より創造的な感覚を覚える。「Russian Railroads」、「アグリコラ」、「Caylus」、その他の多くのゲームにあるような、最大効果を得るためにワーカーの配置場所に優先順位を付ける戦術的なパズルが主体となった(hone in on)ゲームについては、正確無比さを求めるあまり、自分の戦略的な意思決定が全面に出なくなってしまう(overshadowed)。だから、私は興味が湧かない。

クレジット: Danko Petrovic

それよりも、長期的なタイミング(timing, 適時選択)、別の言い方をすれば、長期的な戦略を目的とするパズルが搭載されたゲームや序盤が好きだ。「マルコポーロの旅路」では、できるだけ多くのラクダを手に入れるとか、良い場所に一番乗りで向かうとか、決まり切った序盤の動きがあるが、そういった動きは長期的な旅行計画の一部を成す必要がある。旅の目的地が決まったら、ゲームが終わる前でかっても、ゲーム中の5手番それぞれの終了時に、自分がどこにいる必要があるのかを頭の中で整理し始める。良い機会を見つけて、いつ進路をそらすべきかが、このゲームの核心だ。スタート時は、最初の手番終了時にラクダの収入が得られる都市に到達することができるような計画を立てるかもしれない。できるだけ早くこういった収入を得ることは、非常に重要だ。それに、序盤のミスの中には、産出されるリソース量を獲得し尽くす(a vacuum)という点では強いが、計画通りに目的地に到達したり収入を得たりすることができない点では弱いアクションを選んでしまうことが原因で生じるものもある。

「テラミスティカ」においても、いつ最初の街を建設するかとか、いつ自分の船舶を増強して川を越えようとするかとか、いつ自分の砦を建設しようとするかとか、全てにおいて、いつまでにこれをして、いつまでにあれをしてという感じで、最初からこういう適切なタイミングでの意思決定が求められる。全部のことをしたいと思うが、あまりに早すぎたり遅すぎたりすると、大惨事を引き起こしてしまう。

こういったゲームの序盤は、特定のセットアップや自分が展開させようとした計画に左右されるので、ある種の不安定さ(fluidity)を表現しており(share)、決まりきっていると感じる要素は何もない。そして、長期的な戦略を正確に取る必要すらない。単に、自分が最強だと感じる手であれば何でも選択することができる。しかし、この柔軟性それ自体が計画の一種といっていい。いずれにせよ、私が好きなゲームの序盤を実現するにはあらゆる方法があるように感じる。「ブラッドレイジ」のようなゲームにおいてですら、最初のラウンドで、一、二枚のお気に入りのカードをドラフトするかもしれない。けど、数回カードを選んでしまえば、台本のあるようなプレイはしなくなってしまう。なぜなら、今のところ私がドラフトして手に入れたカードと、他のプレイヤーがドラフトして手に入れたように思われるカードによって、ゲームは直ちに唯一無二になるからだ。他のプレイヤーがクエストカードを先に取るか後に取るか。遅かれ早かれ戦闘カードを取るんじゃないか。最初に選んだ2枚のカードは、特定の戦略に向けて有効に機能するのか。変動するセットアップや対戦相手のプレイによって、そのゲームが影響を受けて変わっていく(malleable)ように感じる。

そして、「ブラッドレイジ」が明確にしてくれたとおり、台本があるような序盤とか、多様性を伴う創造的な序盤での意思決定の必要性とかに関する落とし穴は、ユーロゲームに限られたものではない。無秩序に広がっているように思える(sprawling)アメリカ型のゲームに無数のシナリオ、無数の固有能力、無数のキャラクターの種類等があるのには、テーマやKickstarterの肥大化(bloat)にとどまらない理由がある。テーマ性のあるゲームは、序盤から決まり切ったものだと感じてしまうと、ゲームメカニズムがむき出しになったゲーム(mechanical one, ※テーマ性の薄いゲーム、要は"ユーロゲーム")よりも遥かに苦痛に感じてしまう。

以上が、できるだけ長々と主張を書き連ねないようにした文章だ。あなたはどう思うかい。中盤になれば自由になる(open up)からといって、決まり切った序盤のあるゲームが好きかな。それとも、私みたいに最初から変動する要素が欲しいと思うかな。下のコメント欄で教えてほしい。ついでに、あなたのお気に入りの序盤が繰り広げられるゲームが何かも教えてくれ。来週には、私のオールタイムベストゲーム20位から11位を紹介するために戻ってくるさ。それまでは、読んでくれてありがとうと言っておくよ。

以上

※Anthony Faber氏のゲームメカニクスに関する記事は以下のものがある。

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