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コアループとしての二面性 = 困難だが達成できる意思決定(Dualities in core gameplay loops = tough but accessible decisions)

本記事は、Anthony Faber氏が2021年12月17日に投稿した「Dualities in core gameplay loops = tough but accessible decisions」の翻訳である。

結構な長文だ。それに、Anthony氏の論理がうまいとは思わない。ただ、刺激的な話だと思う。
ボードゲームでは、ワーカープレイスメント、タイル配置、カードドラフトといった基本的なメカニズムが定まっている。そのため、コアループ(プレイヤーが何度も繰り返すゲームの中心的な動作等。詳しくはここここを参照)という考えにはあまり至らないのかもしれない。そういった視点からボードゲームを論じている文章は、(少なくともネット上には)あまり見かけない。そこで、訳出する意義があると考えた。

Dualitiesは、あちらが立てばこちらが立たずといった二律背反とか二重性とかそんな訳語になるが、二面性といったほうが身近になるかなと思われる。本記事では、その訳語を当てている。

ヘッダーの画像は、みんなのフォトギャラリー機能を利用した。英語話者であれば、ぜひAnthony氏のブログにコメントをしてみてほしい。元記事は以下のリンク先を参照されたい。

もし,あまりの文章量に目がかすんでしまったら,ポッドキャスト「Two Wood for Wheat」の最新回(※2021年12月17日時点)で聞きたいと思うかもしれない。そこでは、賞を取った協力型トリックテイキングゲームの続編である「ザ・クルー 深海に眠る遺跡」のレビューもしている。

素晴らしいゲームにおける意思決定は、ちょうどいい具合の難易度になるよう調整されているのだと思う。やりがいのある困難なものだが、不可能というわけでもないという具合だ。ゲームは、プレイヤーに全てを与えることはできない。ゲーム中のとある選択によって、全プレイヤーが目標を達成することになってしまうと、考えることが何もなくなってしまう。極端に真逆なことを考えると(At the other end of a spectrum)、複雑さが幾重にも入り組んだゲームで無数の決断があると(if a game has myriad decisions buried under layers of complexity)、見通しが立たなくて勝手気ままな意思決定をしているように感じてしまう(decision making can feel opaque and arbitrary)。

プレイヤーに重要な決断を行う際に、多くのゲームで採用されている困難だが達成可能だと思わせる方法は、ゲームのコアループ(their core gameplay loops)やアクション選択システムに二面性を作り出すことだ。二面性は様々な形をとるが、結局のところ、プレイヤーが本当に望んでいた物を与える一方で、(※望んでいたものと)同じくらい価値のある他の物を手に入れにくくさせる形とをとる。二面性の中には、プレイヤーが2つ(もしくはそれ以上)のものを一緒に受け取り、1つは喉から手が出るほど欲しいものかもしれないが、もう1つは実際には損失をもたらすものかもしれないという形を取るものもある。他には、取れば取るほど、他のものが少なくなるとか、極めて重要な2つのものから選ばせるとかという形を取る。

どのような形であれ、この記事では、ゲームプレイの中核にある二面性が、一方でプレイヤーに報酬を与え、他方で報酬を与えないことによって、魅力的でやりがいのある意思決定を作り出すことについて論じていきたいと思う。この種の意思決定は、簡単という感じでもないが、プレイヤーの理解が及ばない(※ほど難しい)という感じでもない。まさしく、私たちがゲームに期待しているやりがい(challenge)のようなもので、近頃の大人気ゲームの多く(そして、古めのゲームでも)が、二面性を採用しているのは偶然ではない。

ゲームについて話す前に、用語の話をしよう(※原文はa world about termsだが、a word about termsの誤記?)。アクション選択メカニズムという言い回しを使う時もあれば、アクションのコアループ(core action loop)という言い回しを使う時もある。これらの用語は異なる意味ではある。けれど、私が説明していることが、基本のアクション選択メカニズムと分かち難く関連している(entirely baked into)時もあれば、いまだゲームの周辺的な要素を含んでいないより大きな視点での繰り返されるゲームプレイ(a larger gameplay loop)の話に関係する時もある。専門用語については心配しないでほしい。重要なのは、例として挙げていくゲームの中核的なメカニズムが、旨みのある二者択一の決断を与えてくれるってことだ。

クレジット: Andrea Stadler

早速、具体例をみていこう。最近ちょうど遊んだReiner Kniziaの「ウィッチストーン」を例にして始めたい。トラックを移動する、アクションや終了時の得点となるカードを獲得する、単純なルートを構築するなどといった、とても平凡なメカニズムの中でゲームの大半が進行していく。それにもかかわらず、このゲームをとても楽しむことができて感動してしまった。どのメカニズムもそれ自体(per se)悪いものではないけれど、中心となるアクション選択メカニズムから楽しさが生まれているとすぐに気づいたんだ。つまり、プレイヤーは、両端にアクションが印刷されているドミノみたいなタイルを取る、それをプレイヤーボードに置く、そして、プレイヤーボード上で接続されている同じアクションの数と同じ数だけ、(※両端にある)2つのアクションを実行する。これにより、プレイヤーは、アクションタイルを配置する空間パズル(spatial puzzle)がうまくできて発展したという満足感を覚えるし、2つのアクションを実行することで厳しい決断にも迫られる。あるタイルを置くと、タイルの一方の非常に嬉しい(fantastic)アクションをすることができるが、もう一方のアクションがほとんど無価値となっている場合がよくある。どうすれば、プレイヤーは、対戦相手を叩くという短期的な目標を掲げながら、最大の力を得るために自分のボード上のアクションを発展させる(build up)という長期的な視点を持てばよいのだろうか。

絡み合ったドラフト

クレジット: Shawn Stankewich

両端に異なるアクションをもつドミノタイルを用いたゲームは珍しいけれども、これからみていくように、異なる価値を持つ2つの要素を一緒くたにしてぶん投げてくるゲームは珍しくはない。とても軽いゲームにすらみられる。Flatout Gamesは、出版した作品のほとんど全てにおいて、こういった二面性を利用することによって、大きな成功を収めている会社だ。この二面性は、多くの場合、絡み合ったドラフト(entwined drafting)と呼ばれるやり方を採用している。これは、全く異なるものを含む一まとまりをドラフトして良いものと悪いものの双方を獲得し、厳しい妥協とトレードオフを直ちにプレイヤーに課すというものだ。「キャリコ」をみると、本当に必要となるのは、獲得してくるタイルに描かれている特定の模様だが、入手可能なその模様のタイルが特定の色しかなければ、ほかの部分でプレイヤーを悩ませることになる(mess you up)。

クレジット: W. Eric Martin

これに対して、「Cascadia」では、1つの動物と1つの地形タイルを獲得する。そして、どの地形タイル上に動物を置いても、同じようなジレンマが生ずることになる。

クレジット: Todd Rowland

ポイントサラダ」は、絡み合ったドラフトではないが、プレイヤーは、毎回の手番において、得点カードか、カード上の得点を得るために必要な野菜リソース(vegetable resources which are what you score on those cards)を獲得する選択肢が与えられる。得点カードがあらかじめ配られていて、ただ野菜をドラフトしていくゲームを想像してみてほしい。そんなのほとんどゲームとはいえないだろう。その代わり、得点手段と得点資源の絶妙なバランス調整(a delicate balance)が求められることになる。

絡み合ったドラフトを用いて、プレイヤーがまとめて獲得しなければならない寄せ集め(hodgepodge)を作り出すことで、「私が分割してあなたが選ぶ」方式のゲーム(I split/you choose games, ※ケーキ分割問題)として設定された目的を達成していくことになる。ここには、分割する人を必要としないという違いがある。プレイヤーに公平なグループとなるように分割させるのは魅力的な方法だが、ゲームの進行が遅くなり得るだけでなく、うまく機能するには各プレイヤー側に一定の熟練度を求めることにもなる。絡み合ったドラフトというのは、プレイヤーに分割という作業をさせることなく同種の難しい決断を作り出している。

相手を苦しめるか(Denial)か自分が望むものを取るか
話を続ける前に言っておくと、私がここで取り上げている多くの例の中にみられる工夫に加えて、対戦相手が何をしたいかという観点もあるということに触れておきたい。対戦相手が必要としている理由でそのカードを取るかどうかという話は、意思決定の難度を上げる。プレイヤー数が少なく、ゼロサムゲームに近づく場合には特にそうだ。この記事の中では、この話題をそこまで取り上げるつもりはない。重要視してないというわけじゃなくて、各種の例では広く適用されているからだ。

クレジット: Todd Rowland

ゲームによっては、対戦相手が何をしたいかということが、文字どおり、他の唯一の要素ということもある。「タイニータウン」では、プレイヤーは、自分の手番で、全てのプレイヤーが個人ボードに置かなければならない資源を宣言する(call out)。もし、各自が自分の手番で自分のための資源しか宣言しないというのであれば、ゲームは全くインタラクションがない、計算可能なパズルに成り果てる。しかし、全てのプレイヤーに資源を獲得させることで、戦略の半分は対戦相手が欲しがってない資源を与えることになる。特に、使い道のない資源は、個人ボードの盤面を詰まらせるので(clog)、相手の建設したり勝利したりする能力を破壊することになる。

短期的か長期的かというトレードオフ
ここまでのところで挙げてきた例のほとんどが戦術的(tactical, ※短期的で段階を踏んでいくように具体的な計画を考えること)なゲームだった。実際に、この種のトレードオフは、長期的な判断よりも戦術的な判断に適している。しかし、時として、そういったトレードオフそれ自体が、戦術的(※短期的)な要素か戦略的な(strategic, ※長期的な目標達成のために計画を考えること。ここでは、長期的という意味で捉えてよい。)要素かという形を取る。

クレジット: W. Eric Martin

アンダーウォーターシティーズ」の場合、アクション選択メカニズムは、ボーナスアクションのためのカードプレイが加わった普通のワーカープレイスメントだ。このゲームの欠陥は、ワーカーを配置する場所の色とカードの色が一致しない限り、ボーナスアクションを得ることができない点にある。このことで、プレイヤーは、計画を実現するメインアクションを取るために弱かったり存在しなかったりするボーナスアクションを取るか、想定とは異なるメインアクションと一緒に強いボーナスアクションを取るかといった状況が頻発する。実際のところ、より多くの資源を手に入れるという戦術をとることになるが、遂行していた(current)長期的な計画には取り組めなくなる。

このような短期的か長期的かというトレードオフは、カードに多くの機能を持たせることで作り出されるトレードオフと類似している。つまり、「レース・フォー・ザ・ギャラクシー」や「イッツアワンダフルワールド」のようなゲームにあるとおり、長期的な可能性を見据えてカードを手元に持っておくか、直ちにカードを資源に変換して利用するかという決断をしている。多くのPfisterのゲームも、カードを通貨として用いることでトレードオフを作り出している。

込み入った構造

クレジット: AI

しかし、最も洗練された方法でこのようなトレードオフを作り出しているゲームは、傑作(venerable)「El Grande」だと個人的に思っている。ほとんどの人が、このゲームを現代のエリアコントロールゲームの元祖と考えている。つまり、特定のエリアに最も多くのキューブやフィギュアを配置すれば勝利点が得られるというシステムで人気を博したゲームとして最初に思いつくものだ。2番目に(このゲームについて)ほとんどの人が思い出すのは、コンポーネントのタワー(Castillo)だろう。「El Grande」はエリアコントロールゲームの最初のヒット作で、実際に素晴らしいゲームだ。だけど、多くの人がこのゲームのコアループに関する素晴らしい独創性(the elegant genius)を見逃しているように思う。つまり、詳細はこんな感じだ。

スペシャルアクションカードを選ぶための手番順を定める競りを1周する。スペシャルアクションカードにより、プレイヤーはそのラウンドでアクションを行うことができる。競りにおけるトレードオフとは、ボード上に配置することができる、各プレイヤーの手元の兵隊の量と組み合わされた入札にある。つまり、高く入札すればするほど、手元の兵隊は少なくなる。その一方で、オークションに参加するために場に出す(play)カード(※パワーカード)も同じような組み合わせとなっている。つまり、各カードには、マップ上の兵隊を動かしたり、得点方法を操作したりするような特別な能力が付与されていると同時に、手元から取ってマップ上に置く兵隊を一定量とする役割を担っている。

これら全てが意味するところは、高く入札して最適な(coolest)スペシャルアクションを使えば、マップ上に多くの兵隊を配置してその地域で勝てなくなってしまうということだ。低く入札しても、適した(cool)スペシャルアクションは得られず、手元にある兵隊を追加で(※マップ上に)配置する機会すらないかもしれない。そこで、プレイヤーは、強いアクションを獲得するためというよりも、兵隊を配置するために高く入札してくるかもしれないからね。もちろん、高く入札して多くの兵隊を配置したプレイヤーは、すぐに手元の兵隊を使い果たすことになるだろう。

これに加えて、次のラウンドの入札順は、前のラウンドで最も低く入札したプレイヤーから始まる。このことは、次のラウンドで重要な得点カードを手に入れようと準備していたプレイヤーには命運を左右することになる可能性がある。つまり、このラウンドで低く入札しておけば、次のラウンドで本当に必要な得点カードを得るために最も高く入札することができるようになる。そうすると、手番順(※原文はturn urderだが、turn orderの誤記)で入札しているだけでなく、次の手番で影響力を強める権利を得るために入札していることでもある。込み入った構造だ(Wheels within wheels)。たとえ、エリアコントロールゲームが好きでなくても、少なくとも、このゲームを試しにやってみて、ゲームのコアループにより作り出される二面性のある決断の二重構造(the double layer of dual decisions created by the core game loop)をとりあえず体験してみることを強くおすすめするよ。私が遊んだゲームの中で、これほど容赦なく、各ラウンドで異なる手番順の価値を評価するようにプレイヤーに求めるゲームはなかったね。

クレジット: Nuno Silva

別のエリアコントロールゲームで、素晴らしい、あれかこれかという決断を作り出しているゲームは、「Dogs of War」だ。このゲームのエリアコントロールは、「El Grande」とは全く異なる。「Dogs of War」は、ほぼ半協力的な要素をゲームに感じてもらえるように共有されたマジョリティ(shared majorities)を採用している。ただ、双方のゲームとも、二重の優先順位(twofold priorities)を見事に作り出している。このゲームは、アクション選択メカニズムとしてありきたりなワーカープレイスメントを採用している。そして、様々な場所では、通常の資源と勝利点が得られるが、ここに工夫がみられる。ワーカーを配置するそれぞれの場所は、エリアマジョリティを 競う3つに区分された戦場の中にある、両側(sides)の一方となる。ワーカーを配置することで、直ちに資源を得るだけでなく、ワーカーを配置した戦場にある駒を綱引きの要領(in tug of war style)で、自分の側に引っ張れるようなカードを出すこともできる(ワーカープレイスメントとカードプレイが組み合わさった点は、「アンダーウォーターシティーズ」を思い起こす。)。

プレイヤーは、エリアマジョリティを競っている様々な貴族の家紋トークンを集めることで大量の勝利点を得る。そして、ある貴族がエリアマジョリティの争いに勝利すると、勝利側の貴族についていたプレイヤーが勝利点を得るだけでなく、その貴族の家紋トークンの価値も増すことになる。プレイヤーが持つ家紋トークンは秘匿されており、ほかのプレイヤーがどの陣営について戦うのか常に確信が持てない状況にある。時には、プレイヤーは、ワーカーを配置して得られる報酬を集めようとしていて、マジョリティ争いの結果(impact)が目標達成に向けた障害になることもあるが、別の機会では、マジョリティ争いになんとしてでも勝ちたくて、ワーカーを配置して得られる報酬が全くないような場所を選ぶこともある。このゲームの大部分を占めるのは、プレイヤーが、単に報酬を得るためにワーカーを配置するようになるタイミングや、エリアマジョリティの争いに勝利している陣営に強く関与しているかどうかを見つけ出す作業となる。そして、この部分のゲーム性が、ワーカープレイスメントにより達成された二面性から直接生み出されている(flows directly)。

上段アクションと下段アクション

クレジット: Jamey Stegmaier

ゲームプレイのコアループにおいて、二面性のある意思決定が特徴となっている代表的なゲームの1つは、「サイズ -大鎌戦役-」だ。このゲームでは、アクション選択時に、プレイヤーは個人ボードの上段と下段にあるアクションを選択する。最初に上段のアクションを実行し、その後に、下段のアクションを実行する。どの上段アクションとどの下段アクションが対になっているかは、個人ボードにより異なる。上段のアクションは、様々な能力や資源を発生させたり、ボード上のユニットを移動させたりする、どちらかといえば(tend to)基本的なものといえる。

下段のアクションは、多くの見返り(payoff)伴うアクションだ。資源を消費して、メックや建造物を作ったり、アクションをアップグレードしたり、自分や隣のプレイヤーがアクションを実行した時にお金や勝利点を得たりする。しかし、プレイヤーに未払いの資源がある間は、下段のアクションを全く実行できなくなる。下段アクションを使えるようになると、異なるアクションが一緒に結び付いていて、今まで話してきたようなトレードオフが作り出されるので、ゲームが面白くなっていく。時には、プレイヤーは、下段の大きい見返りのあるアクションをしたくて、あんまり役に立たない上段のアクションを実行することになる。他の場面では、別の上段アクションを選択すれば、下段アクションで何かしら得られたにもかかわらず、特定の上段アクション(移動アクションの時が多い。)を実行したいがために、下段アクションから何も得ないで終わらせることもある。

事態を複雑にしているのは、連続した2手番で同じアクションを行うことができないというルールだ。プレイヤーは、自分のエンジンが段々と整うにつれて、加速的に資源が手元に戻って、うまみのある下段アクションが発動し続けられるような効率の良いアクションの反復(loop)や連鎖(sequence)が成長するようにプレイする。このようなアクションの組み合わせや反復により生み出されるトレードオフや見返りは、人気のあるアートワークやテーマ以上に、このゲームがヒットした理由の核心といえる。

クレジット: Isaac Childres

上段・下段アクションについて言えば、BGGで最も順位の高いゲームである「グルームヘイブン」では、カードを使用する。上段・下段アクションの双方を実行する代わりに、プレイヤーは2枚のカードを場に出して、1枚を上段アクションとして、もう1枚を下段アクションとして使う。異なるカードを使うことで、「サイズ -大鎌戦役-」やここで議論してきたその他のゲームにみられるような結びついて一緒になったアクション(actions being tied together)のジレンマを避けることができる。だが、新しい問題も発生することになる。プレイヤーは上段と下段のアクションに使いたいが、どちらか一方を選ばなければならないカードが出てくる。そして、しばらくの間、そのカードを再び使うことができなくなってしまう。

更なる工夫がみられるのは、イニシアチブ(※行動順序を決める数値≒すばやさ)の部分だ。カードにはそれぞれスピードが記載されており、プレイヤーは、イニシアチブとして、2枚のカードから1枚のカードのスピードを選ぶ。プレイヤーはできる限り速く進みたいと思うことが多いが、別の場面では、他のプレイヤーが何かをするまで待つ必要があるとか、他のメンバー全員が移動した後に移動したいとかというときもある。時々、プレイヤーは完璧な上段アクションと完璧な下段アクションを行うこともあるが、イニシアチブが全く噛み合わないことがある(the initiative is all wrong)。とにかくそれを選ぶか、あるいは、適切なタイミングで行動するために、一方のカードのアクションを無駄遣いするかだ。

ただ、待ってほしい。まだあるんだ。もし事態が悪化したら、プレイヤーは、実際に当初の計画を変更して、当初使うことを計画していたカードの反対側を利用することもあるので、プレイヤーは(※あらかじめこのことを想定して)カードの組み合わせを選ぶこともある。このような柔軟性を持たせることは、カード選択を決断する要因となることがたびたびある。

ループが全てに勝る
「グルームヘイブン」に対して批判できることは多い。あまりにも長いセットアップや片付けの時間がかかること(teardown times)から始まり、ところどころ複雑すぎること、特定のカードやシナリオがバランスが悪いことといったことまである。だが、中核となるカードプレイシステムや、1枚のカードから上段アクションを実行し、別のカードから下段アクションを実行するという単純なアイディアから発展した選択(※メカニズム)は、多くの人々の想像力を惹きつけた。私自身もその一人だ。

この点、ほんの少しだけ「サイズ -大鎌戦役-」を思い出させる。このゲームには、固有能力や初手プレイヤーの有利性が原因で、ゲームバランス面で問題がいくつかある。しかし、中毒性のあるゲームのコアループのおかげで、大ヒット作になったことがわかる。このことから、プレイヤーは、ある程度、荒削りな(rough around the edges)ゲームには寛容だが、戦略ゲームにおいて、ゲームのコアループに分かち難く関連した意思決定が楽しくないと容赦しない。「HALO」のデザイナーは、インタビューの中で、「デザイナーは中核となる30秒間の戦闘のゲームプレイを魅了させる(show off)必要がある」と言っていた。その中核的な部分が何千回も反復されることから、もしその基礎となる戦闘パート(sequences)があんまりわくわくしなかったり楽しくなかったりすると、他の部分がどうでもよくなってしまう。ストーリー、グラフィック、エンジンについて気にする人なんて誰もいなくなるだろう。その30秒間というのは、かっこいい(rock)ものでなければならない。さもないと、全てを改めて設計し直すことになってしまう。

同じようなことがボードゲームにも当てはまると思っている。最も大事なことは、テーマでも、アートでも、得点条件でも、バランスでも、ボーナスアクションでも、効果的な特殊能力でも、その他の要素でもない。コアループの中毒性は、上記の要素を合わせた10倍くらい重要となる。それ以上に重要なのはほかにない。

二面性のない素晴らしい意思決定

クレジット: W. Eric Martin

ここで明らかにしようとしていたのは、素晴らしいコアループやアクション選択メカニズムが作り出される方法として、プレイヤーが直ちに必要な2個以上のものから、高い頻度で選択しなければならなくなる決定を組み込んでしまうことがある。同時に、多くの戦略ゲームでは、アクション選択にこういった二面性を組み込まずに、成功を収めていることは注目に値する。「テラミスティカ」のようなゲームは、中核となるゲームメカニズムとは別の部分(outside)、つまり、どこで何を建設したらよいかとか、いつパスしたらよいかとか、どのスペシャルアクションを行うべきかとか、どの恩恵タイルを取るかとかなどといった、あちこちに厳しい決断が仕込まれた単純なアクションがあるだけだ。

しかし、「テラミスティカ 」のようなゲームにある意思決定の重大さは、じわじわと苦しめてくるのに対し(creep up on you)、アクション選択メカニズムやコアループでは、ゲーム開始直後から喉元をつかんでくるような苦しみを与えてきても(grabbing you by the throat)何らおかしくない。そして、私が長々と説明した意思決定の配列(permutations)が、ゲームのコアループやアクション選択メカニズムにおける単純な二面性を超えて、あらゆる例で進化していることが、この長すぎる記事のせいでわかりにくくなってないことを望む。

あなたはどう思うかい。ゲームのコアループに、最初の手番からゲームの最後までの間ずっと苦しませてるような、厳しいトレードオフを作りだす二面性が組み込まれているゲームの中では、どんなゲームが好きかな。コメント欄で教えてほしい。

以上

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