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みんな、ホントウの自分で、おやんなさい

『みんな、ホントウの自分で、おやんなさい』とは、映画「トイレット」のサブタイトルだ。映画を観終わると、この言葉の意味がよくわかる。

もたいまさこさんが出てる映画は、何となく観たくなる。そしてその映画が荻上直子監督だと、やっぱり猛烈に観たくなる。更に言うならフードスタイリストは飯島奈美さんだ。このカップリングが好きな女性は多い。それと同じように拒否反応を示す人も多いのかもしれないが、私は大好きだ。なんか心にもやもやがあったり、他人のことが必要以上に気になり出したりした時に荻上直子監督の作品を観ると、いい意味で「何もかもどうでもいいじゃん」と思えてくる。

(あらすじ)...ママが死んだ。残されたのは、ロボットオタクの青年レイ。引きこもりの兄モーリー。気が強い妹リサ。センセーという名のネコ。そしてなぜか日本人の祖母ばーちゃん。今までバラバラに生きてきた4人が、アメリカのどこかの街で一緒に暮らすことになる。ばーちゃんには英語が通じない。兄妹達はそれぞれ自分世界に閉じこもっている。ギクシャクする兄妹達。ばーちゃんはトイレが長い。そしてトイレから出てくると必ず深いため息をつく。それが気になって気になってしょうがないレイ。ギクシャクしながらも、穏やかにとても優しく時間が流れていく。そして少しずつ兄妹達とばーちゃんは打ち解ける様子が出てくる。

しかし....

もたいさんの台詞は最後にたったひと言だけだった。そのひと言で私は泣いてしまった。英語が通じなくても、ばーちゃんは言葉なんて目じゃないくらい人の心が読める人なのかもしれない。そのたったひと言でとても大きな安らぎを兄妹達に残してばーちゃんは去って行く。

優しくなれる映画だった。

見る世界が一段と明るくなった。

全編英語で(字幕付き)作られている。もたいさんは、外国人の中に居ても違和感がない。どちらかというと日本人的な風貌のもたいさんだけど、醸し出す雰囲気が何人かわからない不思議な魅力がある。時々人間ではないのかも?とさえ思う時もある。本当の意味でのグローバルな人間というのはこういうの人のことを言うのではないだろうか。英語が出来るとか世界を飛び回っているとかその程度のことでグローバルとは言えないのではないか...などと思いながら観た。

トイレットというタイトルとこの物語の関係性だが、トイレ事情は世界各国で違う。そんな中で日本は最先端を行っているのではないだろうか。便座は暖かくでシャワーが付いている。ところによっては勝手に蓋が開いたり、勝手に水が流れたりする。いまや日本のトイレは安らぎの場所となった。『食ベて出す』それは生きていく上での基本中の基本。そこんところを考えながら観ていくとその関係性が見えてくる。

最後は泣くかもしれないけれど。








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