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熟練の技で誘う異界への扉

『枝の家・黒井千次』の寄せて...

若い流行りの作家さんの本ばかりを読んでいると、現代の文学の傾向をあたかも把握したような錯覚に陥ってしまうことがある。「これでいいんじゃない」「これわかりやすい」「今はこんな感じだよね」なんて言葉を並べたて、平気で友人に本を勧めたりして、私って何様なの?と自己嫌悪に陥ったりもする。流行りもんばかりを手にしているとちょっと感覚が鈍ってくるようだ。

そんな中、黒井千次さんの本を久しぶりに読んだ。数年前『高く手を振る日』を読んでファンになった。でも、ご年齢がもう90歳になられるということで新作を手にすることはもうないのかもしれないなぁと漠然と思っていたのだが、こうやって過去の作品ではあるが、短編小説集として再編集されて発売になったことは私個人としてはやっぱり嬉しい。

黒井千次さんの本を読んだことがある人はわかると思うが、ものすごい表現の豊かさと筆力が重なって「これでもか」というほど訴えてくる。この本の中でも、老夫婦の生活の様子や道を尋ねる相手の様子、手に取ったルーズリーフの歴史を物語る描写など、その会話のひと言ひと言、その質感のひとつひとつ、手の動きひとつひとつが何気ない風景の中にあっても読者に不穏な空気が伝わり、顔の見えない主人公の顔や服装まで見えてくるから不思議だ。

緻密で落ち着いた作品だ。

だからといって退屈なわけじゃない。

目の高さに繁った葉の間から堅そうな茎が幾本もつんと伸び、その先端ごとに奥行きのある小柄な花が幾つか開いている。可憐とか綺麗とかいうより、精一杯意地を張ったような咲き振りに挑発されて一本の茎を引き寄せた。白い地に紫色の濃い斑点を密に散らした細長い花弁は、両端を外に巻くように反り返らせている。斑点が少女の雀斑みたいだと一瞬思い、もしこれが人の顔全体に拡がっていたら点ではなく赤紫の肌に見えるかもしれない、と考え直す。六枚の尖った花びらの付け根の内側には、そこで斑点を打ち止めにする合図か黄色い区切りが見られ、その下は白い地色のみ。そして寄り集まった花弁の中央からいきなり噴水に似た塔が立ち上がり、頂点に水の動きに似た花芯が吹き出していた。おかしな花だ....(多年草より一部抜粋)

上の文章は杜鵑草(ホトトギス)という多年草の花の描写だ。花の様子を表現しているだけなのに、この後、何かが起こるかもしれないという空気がこちらに迫ってくる。

こういう本を読むと、本当の意味での文学のおもしろさを感んじることができる。少し生き返った感じがする。時にはちゃんと出汁をとってじっくりと時間をかけて作られた料理を食べるとほんとうに「あぁ、美味しい」と感じる。そんな読後感だ。

作品...「枝の家」「紙の家」「次の家」「同行者」「報告」「二人暮らし」「空の風」「多年草」







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