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東大生が考える「古典を学ぶ理由」とは?

先日「2ちゃんねる」創設者のひろゆき氏が提唱した「古文漢文オワコン論」が話題を呼びました。

ひろゆき氏は古文漢文よりも、お金の使い方やパソコンの使い方という実用的な知識を優先すべきと主張しています。たしかに、日常生活で古文漢文を直接活用する場面は少ないのに対して、実用的な知識は誰しも活用する機会があります。しかし、私は「古典を学ぶ理由」の重要な部分が見落とされているような気がしてなりません。

では「古典を学ぶ理由」とは何でしょうか。

日本人の「精神」を知ること

こう考える方も多いかもしれません。たしかに、日本人は漢文を通して中国の思想を学んできましたし、古文にはそんな日本人の感性がよく表現されています。時代とともに変化することは事実ですが、変化「前」がわからなければ、変化「後」を十分に理解することはできません。これら古典から伝統的な日本人の「精神」を知ることは、意味のあることです。

しかし、その意味は間接的でしかありません。日常生活で日本人の「精神」を活用する場面はほとんどないか、あったとしても自覚することは少ないでしょう。これではやはり、日常生活で直接活用できるものの方が重要そうに見えてしまいます。

日本語の「成因」を知ること

これが私の考える「古典を学ぶ理由」です。

現代の日本語は古文から派生したものですし、漢字や熟語の多くは漢文から取り入れたものです。古典から日本語の「成因」を知れば、日常的に使用している日本語をより正しい意味で使うことができます

たとえば、あなたは「勉強」「学習」の違いを説明できますか?

「勉強」という語は「勉める」と「強いる」からできています。「勉める」の意味は「努力する」で「強いる」は「強制する」です。つまり「勉強」は「努力を強制すること」を意味するのです。

「値引きできない?」という意味で「勉強できない?」と言うことがありますが、これも「値段を下げる努力を強制すること」だとわかります。いずれにしても「勉強」は自発的に行うことではないのです。

漢文では一つ一つの漢字がそれぞれ意味を持っています。その意味を知れば、現在使われている熟語の意味を説明することができます。

一方「学習」という語は「学ぶ」と「習う」からできています。「学ぶ」や「習う」の意味を改めて説明することは難しく感じるかもしれませんが、由来となった古文単語を知れば、簡単に説明できます。「学ぶ」の由来となった古文単語は「まねぶ(真似ぶ)」で「習う」は「ならふ(慣らふ)」です。つまり「学習」は「真似て慣れること」を意味するのです。

学校での「学習」は、問題の解き方を「真似て慣れる」ことで問題を解けるようにするものです。音楽やスポーツも、まず体の動きを「真似て慣れる」ことから始まります。何を「学習」するとしても「学習」とは「真似て慣れること」なのです。

古文単語で言葉の由来を知ったことで「学習」という抽象的な言葉が「真似て慣れること」という具体的な行動を指しているとわかりました。このように、古典を学ばなければ正しい意味がわからない日本語はたくさんあるのです

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