書く過程を自分が1番知っている
あー寝落ちしたー!15分だけ休んで書こうって
決めて寝て、アラームで起きてやろうと思ったら2度寝。
目覚めると、日付をまたいで深夜1時すぎ。
書いてみようと思って続けていた、○○日更新が途絶える。
やらかしたー。悔しいなぁ。
お世話になっている人にも正直にその気持ちを打ち明けた。
ただ、この悔しさや、やるせない気持ちは、
泣くほどではなかったなぁと。
思っていたより落ち着きのようなものがある。
それまでは、もし途切れたら、
なにもかも嫌になると思っていた。
時間管理ができてないじゃないかとか、
怠惰な部分を攻めて攻めていたと思う。
1回の失敗やうまくいかなかったことで、
「自分はダメなんだ」と判断して
しまっていたかも。
でも、思っていたより冷静になれた。
なぜなんだろう?
考えてみた。途絶える前のことも振り返りながら。
きっとその答えは、書いていた自分がいたから、だと。
完全に書き終わってなくても、
連続記録には反映されなくても、
書き続けた事実があるから。
それに、書くのが全くゼロからのスタートだった?
書くテーマは決まってて、もう半分くらいまで書いてた状態だった。
証拠は昨日の自分。
人には証明できなくても、頑張っていたことをこの目で見てた。
そのがんばりを認めてあげる方がよっぽど良い。
そして、公開したあとに出る、noteのポップ。
「○○日連続の投稿!!」
これは、1つちょっとしたがんばる指針かもしれない。
実は途切れても、
「3週間連続して投稿」のようなものが。
こういうnoteの粋な計らいはありがたくて優しい。
でも、ポップありきで自分の書くことを判断していたこと。
連続投稿のポップは、完成物の結果でしかカウントしていない。
もっとぶっちゃければ、完成途中でも公開できてカウントされる。
そう考えると、ポップを継続して書く判断基準とするのに違和感を感じるようになった。
書いている過程をわかっているのは自分自身。
今日もやってみようと決めて、
書いていたことを1番よく知っている。
なので、継続して書けなかったわけじゃないこと。
書いてみようと思った時点で、積み上げている。
そういうプロセスを見つめることも大事に、
コンスタントに書いていこう。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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