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閉鎖戦術級魔導征圧者決定戦 #2

 

 しばらく歩くと、やはり上から塔を生やした自宅に辿り着く。
 玄関前に何かくすんだ色の塊が見えた。フィーエンは首をかしげ、塊に歩み寄る。徐々に鮮明になる輪郭。正体に気づき、眼を見張る。
「お、お爺ちゃん! どうしたの? 入らないの?」
 うずくまっていたものがゆっくりと顔を上げ、こちらを力なく見上げた。首に掛かっている半円形の首飾りが、微かに揺れる。半円形は白い呪媒石で出来ており、魔法円と呪言が細かく刻み込まれていた。羽織っている長外套は煤けており、老人の顔が襟元に埋まるように覗いている。
 ウィバロ・ダヴォーゲン。フィーエンの祖父だった。
 彼は茫洋とした眼をしばたかせ、もごもごと口を動かし、
「鍵が…な」
 不明瞭な言葉を紡いだ。
 フィーエンは微かに唇を尖らせる。
「鍵はそこの花壇の裏って、前も言わなかったかなぁ」
「…む、ぅ…」
 答える祖父の姿は、実際より小さく見えた。いつものことだけれども。
 フィーエンは花壇の裏から家の鍵を引っ張り出すと、ウィバロの節くれだった手を取った。
「さ、立って」
「…うむ…」
 老人は、よろよろと立ち上がる。肩は垂れ下がり、背筋は折れ曲がっている。躍動感とは無縁の背格好だった。
「お…」
「わっ」
 不意に体制を崩し、転びかける。
 フィーエンは慌てて背中を支え、そして細い眉をしかめた。きつい酒精の匂い。
「また昼間からお酒? もうやめなよ……」
 祖父はうつむいたまま、「あぁ…」と応え、今度はウィバロが眉を僅かにひそめた。
「魔力の…残滓がついている…」
 心臓が跳ね上がった。祖父の偏執的な魔術嫌いは今に始まったことではない。
「あ、うん、今日は魔術専攻の人達と合同授業だったから」
 何喰わぬ顔で応えた。
 ウィバロは一瞬、眼を細めて見つめてきたが、すぐに顔を下に戻した。
「そうか…あまり魔術士のような連中に近寄らぬようにな…」
 フィーエンは眼を伏せる。
「……早く入ろ。夕御飯買ってきたよ」

 ●

 神話の時代に築かれた闘技場。その周りに人が住み始め、徐々に規模が大きくなり、いつの間にか生産基盤が整っていったことが、この都市の起源と言われている。伝説に名を残す魔導師たちが雌雄を決したとされるその闘技場には、物理的・魔術的な最上級の絶縁障壁を張り巡らす呪化極針が六つ、舞台を囲むように設置されている。
 魔法大会優勝者には、賞金や賞杯の他に、三年の間この闘技場を訓練場として貸し切る権利があたえられる。太古の伝承に基づく慣例のような物だが、どれほど高出力の魔術を繰り出しても被害が広がらない上に、一般には立ち入り禁止となっているので、鍛練の場としては確かに適格だった。
 すでに日は落ち、闘技場に澄んだ闇がわだかまっている。六角形の観客席に囲まれる収束点には、人影が一つ。
 その人物はかしこまるように片膝を立てて座していた。両手は腰の横に引き付けられており、伸ばした四指をもう一方の手が掴んでいた。眼を閉じて心持ちうつむく顔は、年若い女のそれ。
 鋭く細く、眼を開ける。透徹した眼差し。表情が剣呑な色を帯びる。
 薄い唇が動き、言葉を紡ぎ出す。言葉とは言霊であり、魔導構文。語と語を一定の法則でつなぎ、周囲の空間に存在する未分化の力に意味と定義をあたえる。
 右手の四指をきつく掴んでいた左手が緩められる。すっ、と鋭く伸ばされた右手が引き抜かれた。左右の手の間で、紅く輝く帯のようなものが伸びている。
 抜剣の動作そのものだった。
 左手の親指と人指し指でできた輪は“鯉口”、右手の四指は“柄”として意味付けられている。すると“剣を抜く動作”の形相が発生し、概念的に刃を形作る。
 魔導構文を核とした高濃度の攻撃意志――それを刃形の結界で包み込んだ、剣の偶像だ。色は夕焼けよりも血よりもなお紅い。深紅。
 剣魔術。
 “剣”という形状に想起される攻撃的主観を、そのまま破壊力に変換する魔術戦闘技能の一つ。
 今や魔力の剣は完全に引き抜かれており、発光する刀身は彼女の全身を薄く照らしていた。流れるような痩身。魔術士らしからぬ、動きを重視した軽装。
 彼女は鋭く呼気を吐くと、素早く立ち上がりながら大きく踏み込んだ。
 同時に横薙ぎの一閃。大気の流れを変えるほどの剛剣。深紅の軌跡が闇を斬り裂き、空を断ち割り、魔力の流動をも攪拌し、そして空間に留まる。
 だが――
 小さく溜息をついた。軌跡が太い。魔力の収束がうまくいっていない。剣魔術は広範囲への干渉よりも、狭い領域に力を集中させることを旨とする。こんなことではまるで話にならない、と思った。
 “剣”を仕舞うと、再び体を暗黒が包み込んだ。
 星空を見上げる。
 一度。
 たった一度だけ、この場所で完全に納得のいく技を繰り出せたことがあった。
 そのときの感触を取り戻そうと、三年間あがいてきた。
 前魔法大会準決勝戦。
 “魔王”と称された、公認される中では最強と謳われる魔導師との激戦。自分は生涯最強の相手に生涯最強の術を叩き付け、しかし力及ばず敗北した。それ自体に不満はない。
 しかし、脳裏を疑問が撫でてゆくことがある。

【続く】

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