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閉鎖戦術級魔導征圧者決定戦 #3

 

 しかし、脳裏を疑問が撫でてゆくことがある。
 三年前、この場所で。
 自分に膝を折らせたあの男は、喜びを露にしなかった。無論、彼にとっては数え切れないほど経験してきた勝利の一つに過ぎなかったのだろうが――
 それでも、首を傾げずにはいられない。
 ――どうして、勝利を捨てたの?
 不可解の極み。
 ――あの表情は何だったのか?
 一度だけ。始めて自分に見せた、感情の揺らぎ。
 ――あれは、
「姉貴~、飯だぞ~!」
 やる気なさげな呼び声に、我に帰る。
 振り向くと、観客席の中程にある出入り口に、人影が見えた。ゆったりとした制服に、長大な呪装杖、手に持った大きな紙袋が朧げに確認できる。
 エイレオだった。十歳近く年下のくせに、身長が自分と並びつつある生意気な弟だ。
 規定された命令呪言を発して舞台を覆う絶縁障壁を解除する。手を振って声に応え、小走りで駆け寄った。
 何だかんだ言って、腹は減っている。

 ●

 大気が澄み、鳥がさえずる。
 ひんやりとした早朝。暁光が斜めから差し込む自宅の庭先で、フィーエンは顔を精一杯引き締めながら模擬剣を構えていた。
 柄を握る手からじんわりと染み出した熱が、剣先に移動する。漠然と感じられる魔力の流動。剣魔術に限らず、魔法全般は魔力の流れを想起することが大切だ。
 戦闘職能養成学校は休みの日だが、早朝の鍛練を欠かしたことはない。そうでなくとも、魔術の訓練は祖父ウィバロの起きていない時刻にする必要があった。
「ハッ!」
 気合いとともに、模擬剣を斜め下へ突き出す。切っ先に移動した熱が弾け、刀身から細長い衝撃波が撃ち出された。地面に激突し、土塊が飛ぶ。
 今度はそばに落ちていた木の葉を拾い、腕を伸ばして持つ手を上から離した。
 微風に弄ばれ、木の葉は鋭い波線を描きながらゆっくり落下する。
「せぃっ!」
 得物を振り降ろす。太刀筋に平行して薄緑の光刃が幾重にも奔り、木の葉をかき消すように散り散りにした。成功。フィーエンは表情を輝かせる。
 構えを解いた。
「ふぅ」
 肩の力を抜き、額を拭う。心地よい疲労感。ただ魔法を使うのとは段違いの消耗だ。それでも剣魔術としては初歩の技。世の中には、剣を持たずに己の魔力のみで刀身を造り出すなどという、とんでもない高等技術をもった剣魔術士も存在する。
 自分はまだまだだ。もっとも、いつかは極めてやるつもりだけれど。
 その時。
 小枝を踏みつぶす音が、背後で。
「フィーエン。何をしておる」
 背筋が強張った。口調がやや険しいのは、昨日の夕方の酒精が抜けたためだけではないようだ。
 少年は思わず掌を眼に当てた。バレてしまったのだ……。
「お、おはよう、お爺ちゃん」
 振り返ると、灰色の衣の老人――ウィバロが、いつになく鋭い眼で佇んでいた。
「何をしているのかと聞いておる…」
 その瞳に宿る魔術への憎念の炎に、フィーエンの目尻が哀しげに下がる。
「だって、これは……」
「魔術など止めなさいと言った筈であろう」
 声が低い。感情を押さえているのだ。まずい徴候。
「で、でも」
「お前は剣術専攻なのであろう。そんな事をしていてはどっちつかずになってしまう」
「そんなことないよ! 学校ではちゃんとやってるって」
 ついムキになる。
「とにかく、魔術は許さん」
 ウィバロの眼の鋭さが増す。反論を許さぬ威圧感。しかし、答えにはなっていない。
 フィーエンは、長い間胸の裡に溜め込んでいた疑問を吐き出したくなる衝動に、耐えられなかった。
「どうして? どうしてそんなに魔術が嫌いなの?」
「お前はなぜそう魔術をやりたがる!!」
 一喝。
 思わず身が竦まる。駄目だと思うけれど、視界が滲んでしまう。俯く。
 対峙は十数秒続いた。
 フィーエンは喉から何かがせり出てきそうな感覚を堪え、口を開いた。地面を見下ろしながら。
「……カッコ良かったから……」
 それを言った瞬間、下を向いた視界の上限から、凄まじい怒気の波が襲い掛かってくるような気がした。言ってはいけないとは思ったが、止まらなかった。
「三年前の魔法大会、お爺ちゃんも、導師レンシルも、とてもカッコ良かったから……っ」
 言い終わる前に平手打ちが飛んできた。
 衝撃で祖父の顔が視界に入ってきた。空間が歪みそうな熱量の怒気が漲る顔だった。
 そして眼を伏せ、再び抜け殻のような老人の顔になった。
「…すまん…」
 フィーエンは、いたたまれなくなった。
 家を飛び出した。

 ●

 あのまま、レンシル・アーウィンクロゥは一晩中“剣”を振り続けた。結果は芳しくない。この状態のまま本番を迎えそうだ。
「じたばたしても仕方がない、かな?」
 自嘲気味につぶやく。前魔法大会での優勝以来、彼女は闘技場に住み着き、ほとんど外に出ることもなかった。話し相手と言えば、たまに食料を買い溜めしてきてくれる弟と、たまに役所から掃除にやってくる管理人くらいのもの。自然と、独り言も多くなる。
 久しぶりに街に出てみた。気分転換も良いかも知れない。なかば投げやりな気分でそう考える。
 あちこちで、露店商の呼び声が朝の涼しげな空気に響き渡っていた。野菜や干魚、乳製品などがところせましと陳列される中、呪術用の発光塩や瓶入り鉱生物が時々輝きを放つ。朝市の時間には少々遅いので、黒山の盛況ぶり、というほどでもないが、三年間沈黙の中で過ごしてきた者には中々に新鮮だ。
 空を見上げる。闘技場で見るのよりずっと狭い、しかし変わらず美しい空。
 ふと、肩にに軽い衝撃を感じた。
 視界を地上に戻すと、
「あ、ごめんなさい」
 灰色の頭が見えた。すぐにこの少年と自分がぶつかったのだと悟った。

【続く】

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