『かそけき彼の地のエリクシル』 #4
極細の斬伐霊光を見切り、あまつさえ斬り捨てられるだけの凄腕。
戦士長――セツの軍制に置き換えると分隊長以上小隊長以下程度の権限を持つ指揮官個体だ。
糸が斬断される位置がどんどん近づいてくる。
やがて、血散と苦鳴の地獄をかきわけて、その者は現れた。
他のカイン人と比べて明らかに大柄で、豪奢かつ凄惨な意匠の甲冑を纏っている。悪魔のような角が生えた兜の狭間から、熾火のごとき眼光が覗いていた。
裏地に鮮血のような赤をあしらった黒いマントをなびかせ、その者は悠然とした足取りで近づいてくる。
肩から伸びた刃に、ついさっき刈り取ったのであろう兵士の生首を突き刺して誇示していた。
気怠そうに首を傾げ、鉤爪の生えた籠手に包まれた四指をくいくいと動かした。
さっさとかかってこい――そう言っているのだ。
「このっ!」
フィンは両腕を翼のように広げた。両手から大量の斬伐霊光が投射される。
直後、自らを抱きしめるように勢いよく腕を閉じた。
銀糸の網が、幾重にも幾重にも絡み合いのたうちながら戦士長へ殺到する。
異形の魔戦士は、肘を天に突き上げた腕で佩剣の柄を掴み――抜き放つ。
世界を縦に斬割する一閃。
白銀の網はそれだけでバラバラに千切れ去った。
――かかった!
切断された斬伐霊光は、そのまま戦士長の背後に回り込み、雁字搦めに絡みつく――
「遅い」
――かに見えた時には、すでに彼我の間合いはゼロになっていた。
雷速の踏み込み。まるでコマ落としの映像のように、魔戦士の動作には前後の脈絡がなかった。
「うあっ!」
とっさに銀糸を大量により合わせて一本の縄を錬成し、凶暴な唸りを上げて叩き込まれる処刑の一撃を受け止めた。
「セツの餓鬼。妙な術を使いおる」
兜ごしにくぐもった声が降ってくる。
眼光が強まると同時に斬りおろす圧力が高まった。
「ぐ……ぎ……」
銀縄を保持する両腕が軋む。フィンは通常の十歳児とは比較にならない腕力をも与えられていたが、体勢が悪すぎた。体重の乗った斬圧に耐えきれず、片膝をついてしまう。
ぷつ、ぷつ、と銀糸が千切れてゆく。
周囲では、断続的な銃声と、大好きな人たちの断末魔の悲鳴が、幾重にも折り重なって耳を塞ぎたくなる交響を紡いでいた。
「どうして……ッ」
思わず、口走っていた。まったく欠片も意味がない言葉を。
「どうして……? 逆に問いたいのだが、どうして貴様らは虐殺をしないのだ? まったくわけがわからんぞ。虐殺こそが我ら人類のよすがにして宿命であろうが」
言葉は通じるのに、話が通じない。
計り知れないほど隔たった価値観。
歯が、軋る。
その瞬間。
乾いた銃声が至近で鳴り響いた。
ぐらり、と戦士長の頭が傾ぎ、やがて力なく崩れ落ちていった。
兜の側頭部から逆側までに、弾痕が貫通している。
「フィン坊。ガキが体張るんじゃねえ」
「カシア小隊長どの!」
無精ひげの青年が、小銃に弾倉を叩き込んでいる。
「それから、ここはもういいから、お前は下がれ」
「別の場所に支援が必要でありますか!」
「ちげーよ、逃げろっつってんの」
一瞬、意味が理解できなかった。
「何を……ッ」
「親父さんにはもう許可とってある。潮時だ。今ならおめーだけなら逃げられる」
それは確かに事実だ。フィンの身体能力と錬金兵装をもってすれば、激戦中の混乱に乗じて逃げ切れる可能性はある。
「そんなの!」
「ウダウダ言ってねえでとっとと行――」
カシア小隊長の首に、赤い線が走った。
ほろりと首級が落下し、血飛沫があがった。
フィンの顔が、引き歪んだ。
「うぅ……あああ……!」
銀の流閃が乱舞し、背後から小隊長を斬首したカイン人を細切れに解体。
黒き血を冷静に避けると、突き動かされるままに、流血と硝煙の渦へと飛び込んで行った。
――普通の人々からは、距離を置かれていた。
駆ける。腕を打ち振るう。
――受精卵の時点で、フィンが生涯を兵器として過ごすことは宿命づけられていたために。
銀の光が閃き、闇色の飛沫が吹き上がる。
――孤独には、慣れていた。ちちうえとははうえがいたから、へっちゃらだった。
斬伐霊光の縄でねじくれた刃を受け流しざまに踏み込む。
「なのに……!」
異相圧縮された筋肉が瞬間的に漲り、悪鬼の腹に拳が叩き込まれる。
鈍い音とともに、カイン人はくの字になって吹き飛ばされる。
そのまま殺戮の閃光が優美な弧を描き、斬断。
「はじめて、さびしさを、もらった……さよならの日が、こわくなった……」
はじめて、ありがとうと言ってもらった。はじめて、ははうえ以外の人に頭を撫でてもらった。
はじめて、一方通行ではない尊敬を交換できた。
だから。
あぁ、だから。
さよならの日まで、彼らに胸を張れるように、肩を並べて、
――戦うんだ!
たまらない想いを胸に、その日が今日ではないということだけを信じて。
フィンは戦哮を上げ、〈哲学者の卵〉の出力限界を踏み超えた。
幼く細い指先から桁違いに大量の糸が射出され、巨大な花のごとく広がる。
「っ! ぁぁぁぁぁあああああああ!!」
まるで頭の中に鋭い棘が大量に伸びたような苦痛が爆発した。目尻や鼻から、生暖かい液体が伝う。
銀の奔流はそのまま兵士たちを巧みに避けながら、カイン人たちを次々と血祭りにあげた。
フィンの全周囲で、黒い血が吹き上がる。視界に映る範囲の敵は、今の一瞬で一掃された。
だが――
頭の中で何かの線が切れたように苦痛が弾け、フィンの意識は闇に飲み込まれていった。
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