息子の背中を見送った日/学校をつくろう!に至るまで⑦
2020年6月。分散登校期間が終わり、登校し始めた息子。
通い始めて数日で、息子は朝、1人では家を出れなくなりました。
「あそこの横断歩道までついてきて」
「正門までついてきて」
と、ついてきてほしい場所がどんどん学校に近くなりました。
そして最終的には「昇降口まで送って」となりました。
登校時間より少し遅れて、昇降口まで見送ると、先生が迎えてくれました。
しょんぼりしながら学校に行った息子を勇気づけようとしてくださったのか、次から次に言葉をかけてくれます。
「よくきたね!」
「つらくっても、きちゃえばがんばれちゃうんだもんね!きみはすごいんだから!」
「教室でみんながまってるよ!」
そんな言葉が次々にとんできます。
このとき私が感じたことは
「息子はなぜつらいのか、何がつらいのか」という根本には全く触れることがないこと。
目の前の息子の顔は全然笑っていないし、その場でくるりと方向転換して帰ろうとしたほど。
そんな息子に対して「大丈夫大丈夫!行ける行ける!教室に行っちゃえば大丈夫だから、行こう」という声かけ。
何か大切なことを見過ごしてはいないか?無理に明るいテンションに持っていってつれていくことになんの意味があるんだろうか。それが有効な子もいるだろう。でも、目の前の息子の表情を見たら、その方法は逆効果としか思えない。。
そんな思いが私の中に充満していくものの、「やっぱり今日は休ませます」の一言が私は言えなかった。
息子が無言で私を見つめ、腕を持ってゆらした。
それでも私は、何にも言うことができなかった。
先生に連れられて、上履きを履き替えて、ランドセルが落ちるんじゃないかと思うほどに肩を落とした息子の背中を見送った。
学校から帰りながら、涙が止まらなかった。
息子のSOSを受け止めてあげられなかったのは私だ。
もういいよ、もういいよ。
そう思いながら家に帰ったのでした。
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学校を作ろう!に至るまで ⑧玄関先でもやもやした日々 に続く
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