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董昭(とうしょう)・魏の建国を献策した人物

何だかんだ日が空いてしまいました。ただのオタクです。
最近短いスパンで生活リズムが崩れるせいで、なかなか書く時間が見つけられなくて困ってしまいます。

ところで今回は「董昭(とうしょう」という人物を紹介します。
この記事は無料で公開していると思われますが、実はこの董昭という人物をぶっちゃけあまり知らないためです…。
僕もこの人物を知ろうと思ったのは、コーエーテクモさんの「三国志シリーズ」で知力・政治が高くて、何した人?って調べたくらいなんです。
だから、どの作品のここで登場した人物という情報がまるで無いのでこういう形になりました。

ーー董昭が世に出てからーー

董昭が最初に仕えたのは袁紹でした。袁紹(えんしょう)の参軍事まで昇りました。
しかし、袁紹軍お得意の諫言によって董昭を処罰しようとしますが、出奔。
董昭は漢の朝廷に仕えようと向かいますが、張楊(ちょうよう)という人物に引き留められます。

そして漢の帝・劉協(りゅうきょう)が李確(りかく)・郭汜(かくし)の支配下から逃れるために、東に逃げます。
この時、曹操が長安の帝を救出しようと西へ軍を出そうとします。
道中どうしても張楊の勢力下を通らないといけないために、張楊に打診します。張楊はこの提案を拒否します。
しかし、曹操の評判を聞いていた董昭は曹操と手を組むように進言して容れられます。

帝が東へ逃亡した時機に董昭が官職を与えられ、朝廷に仕えるという状況になります。
そして、曹操と手を組むように楊奉(ようほう)という人物に薦めます。
張楊と楊奉も含めて複数の将軍が帝を守ろうと手を組もうとしてましたが、人はやはり欲望・野望と言う物があるので
すぐに不仲になってしまい、また争いがおこる可能性もあります。
しかし、何故張楊ではなく楊奉に助言したのかは実はよくわかっていません。
三国志演義でよくあるのは同郷であったり、共通の友人がいたりということになりますよね。

曹操と洛陽で合流すると、帝を許昌(きょしょう)に遷都するように献策します。
作品によってはこの献策は荀彧(じゅんいく)や初期からの重臣に出番を取られることが多いです。
ですが、本当は董昭が献策し曹操に採用。この手柄で官職も上がることになります。

ーー魏の建国へ、そして重臣にーー

時が経ち張楊が部下に殺されるという事件がおきます。
その後継になった人物を説得するように命じられ、成功します。その功績で当時袁紹(えんしょう)が就任していた冀州牧(きしゅうぼく)の官職を剥奪。董昭に就任させます。

さらに董昭は順調に功績を立てていきます。
ざっくり言っちゃうと劉備(りゅうび)が曹操に叛旗を翻し、撃退され取り返した徐州(じょしゅう)の牧に転任し、計略で袁尚(えんしょう)側の都市を陥落させたり。

爵位の制度を提案したりとする中、漢から魏公(ぎこう)・魏王(ぎおう)と昇爵(しょうしゃく)の件も提案したのは董昭だと言われています。
こう考えると最初に漢に仕えようとしていた割には、漢室への忠節はそんなに無かったのか…。
もしくは曹操の元で力を振るっている間に曹操に心酔したということなのかもしれません。

「樊城(はんじょう)の戦い」の際に徐晃(じょこう)に孫権(そんけん)が漢に臣従したという事を内外に宣伝させるように献策しました。
漢への臣従、つまり魏と組んだということを蜀側に伝えて士気を下げるという計略でした。結果的に曹操に献策した最後の内容でした。

曹操が崩御し、息子の曹丕(そうひ)が就きます。
曹丕は呉に対して執拗にこだわり攻撃する際、呉に深く攻め入ると罠の可能性があり危険と献策します。
この策を曹丕が容れ、帰還した後「董昭の軍略は張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)に匹敵する」と称賛します。
張良や陳平がどんな人物だったかは前に記事にしたのでそっちをチェックしてください。

曹丕が崩御し、息子の曹叡(そうえい)が2代目魏帝になると曹操の代から長く仕えているということもあってか三公の位にまで出世します。
最近の魏の重臣は軽重浮薄(けいちょうふぼ)の輩が世に跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していると献策。
簡単に言ってしまえば物事を軽く見ている連中があまりにも多いという献策です。これが容れられ魏の多くの臣かが罷免・追放されることになります。

正史での活躍はこれを契機に没してしまいます。
董昭も郭嘉や程昱と同じように荀攸と同じように優れていながら徳業が無かったと称されています。
もしかしたら、最初の方の張楊から楊奉に鞍替えしたり、漢に仕えようとしながら曹操に仕えたりというところだと僕は考えたりしました。

董昭が三国志演義に登場するのは漢帝・劉協が洛陽に逃亡した時です。
実は董昭は菜食主義で、飢饉の時に自分は顔色が良かったそれは日頃から野菜を食べていたからだと語る場面があったと思います。
正直謎の登場をしてほとんど表舞台に立っているイメージがありません。だからこそ本当に三国志が好きな人じゃないと董昭という人物が良く分からないのは当然かもしれません。

と、今回あまり知らない人物の人生を頑張ってまとめて出してみましたがいかがだったでしょうか?
董昭は郭嘉や程昱と纏めて列伝されている人物で、あと何人かいるんで続けてみようと思いますが…。
こういったよく分からない人物系があまりにも不人気なら止めます(笑)

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