見出し画像

「愛」という名のイリュージョン (後編) 元カノの逆襲ーー奈落の底に落ちる

【第19話】キャリアか結婚生活か


「新婚生活は甘いもの」と誰もが想像するように、確かに甘かった、約半年くらいは… 顔を合わせてニヤニヤしたり、夜中に抱き合う事もあった。色々なハプニングを乗り越え結婚した嬉しさの余韻は確かにあった。でもまもなく私達は、結婚生活の危機に直面する事になる。

結婚する4年前、結婚を前提に私が彼の家に引っ越しをしてきてから少しずつ歯車はずれ初めていたのかもしれない。彼の家はアメリカで想像する理想の一軒家とは程遠い、彼の家は昔の設計で間取りが狭く、私は家の外にオフィスを借りる必要があった。2人ともフリーランスで自宅を事務所とし、仕事も生活のリズムも全く違っていた。

特に私はその時期、H1-Bビザ取得する為1日15時間働いていたので、外にオフィスを持つ事が2人の為にも良いと思った。自宅から車で15分、バークレーのシェアオフィスで200スクエアフィートのスペースを借りた。「ここが私のオフィス、そして部屋」。とりあえず自分の安全な「居場所」は確保しながら新しい生活が始まった。

しかし引っ越してきた日、彼から驚くべき申し出があった。「僕はいつも3時くらいにビックなランチを食べて、夜はほとんど食べない習慣だから、これからも平日はそれで良いよね」?
「え」?? ルームメイトではない、新婚カップルなのに、夕食を一緒にとらないの」? 戸惑った。当然「それは寂しい」と言おうと思ったが、一瞬考えた。

心の中で、「待てよ。夕食を一緒にしないとなると、仕事がノってきた夕方の時間に自宅に戻る事はないので、仕事の効率が良くなる。しかも彼の方からの提案だし好都合かも」。そして「That’s Fine」(いいよ)と返事をしてしまった。

その後、同居しながらも一緒に食事をするのは週末だけ。私は平日はいつも夜中に帰宅していた。週末はきまって(彼の)お気に入りのカフェに行き朝食をとる。その後コーヒーショップのテラスで彼は新聞を読み、私はパソコンを携帯し仕事をしていた。

「夫婦なのだから」と私なりにたまに彼のワインの趣味にも付き合い、たまにナパやソノマのワイナリーに出かけた。でも彼がテイスティングをする間、私は一眼レフを持ってずっと写真を撮っていた。「次の記事に使える」。どこに遊びに行っても仕事マインドだった。 

結婚8ヶ月目、そんな私の”仕事優先”ライフについに彼がキレてしまった。「君は仕事と結婚している。僕の為に時間をくれないじゃないか。僕は人生をもっと楽しみたい。旅行もしたいし、週末も遊びに行きたい」と言ってきた。彼が放った「You have no time for me」という言葉が心に響いた。「そうだ。私たち、まだ本当の夫婦の生活をしてなかった」

悩んだ。もし遊びの時間を取れば、1人で運営しているSF支局の雑誌の発行はできなくなる。でも彼のいうこともわかる。それに、今会社から申し込んでいたグリーンカードの手続きも「結婚」に切り替えたらもっと早くおりる。ーーーどうすれば良いだろう。キャリアを選ぶか、夫を選ぶかーー。1ヶ月くらい悩んでいた。 でも言うまでもなく選ぶべきは、「夫」なのだろう。

【第20話】結婚で好きな仕事を手放したくないーー勝負に出る

迷った挙句、思い切って実験的なバケーションを取ることにした。夫と日本に2週間行く計画をたて、その間仕事もできるかどうか試したかった。親にも最近会ってないし、たまには帰省したい。日本で1日最低4時間は仕事をするつもりだった。

でも実際は、帰省したらしたで忙しく、おまけに夫の通訳や付き添いまでしなければならず、そんな時間は一ミリも無かった。親は私たちの為に披露宴のようなパーティーを企画してくれ、バスまでチャーターして、親戚達を集め、着物まで着せてくれた。それまで親しくしてなかった事から、そんな親の「想い」に深く感動した。それから何年たっても忘れる事はない。

一時帰国は楽しかったが、ぐったり疲れてアメリカに帰ってきた。そして、雑誌の次の号の広告枠が半減してしまうのを目の当たりにする。「たったの2週間の休暇で広告がこれだけ激減するなんて」。とにかく顧客はメンテナンスが必要だと改めて実感した。特集記事も取材をしなくても良いリサーチだけで書ける文面に変えた為、リアル感がなかったのかもしれない。

「やはり私1人ではこの月刊誌は背負っていけない」。友達は結婚で「グリーンカード」は、むしろ早く取れるのだから、仕事はいつでもやめたら」?と助言していた。でも私の中では葛藤があった。

自分が初めてサンフランシスコ・ベイエリアで立ち上げたタウン雑誌に愛情がある。しかも今人気がある雑誌を自身で潰してしまう勇気が出なかった。あれだけ大変な毎日だったのに、いざ失うとなると、私は、お金やグリーンカードの為に仕事をしていなかった事に気づく。「私はこの仕事が好きなんだ」

雑誌発行を辞めるという事は、5年間死に物狂いで積み上げてきたものが全て水の泡となること。今まで取材した膨大な情報量や私の雑誌に付き合ってくれた広告主、読者を全て失う。一時的に失った(旅行をしていた)2週間はすぐ取り戻せる、でも生活はまた元の路線に戻り、夫とギクシャクしてしまう。「さて、どうしようか」…

勝負に出た。社長と指しで話し合う為、LAに飛んだ。「サンフランシスコ支局を私だけで切り盛りしていく事はもはやできません。雑誌も人気が出てきたのだから、あと2人従業員を雇って下さい。そうすれば売り上げも倍増させる自信があります。私の自宅ではなく、新しい事務所を開いて下さい。この運営には最低3人が必要です」とキッパリ提案した。後は社長の判断に任すしかない。

社長は決断できなかった。「新しい事務所を開く為には最低事務所維持経費が$25000必要になる。君、その経費を払ってくれるか?」 「??」口があんぐり開いてしまった。社長は、私の旅行中に広告の売り上げが下がった事を気にしていたのか。要するにリスクを取りたくないのだ。社長自身は自分の会社をどうしていこうとしているのか、ハッキリしたビジョンが見えなかった。「いいえ、払いません」

社長にとってはサンフランシスコ支局を閉じてもリスクはゼロだった。事務所は全部私の自宅、または私が事務所を自費で借りていたのだから。

私は落胆してサンフランシスコに戻った。「これがきっと運命なんだろう」と受け入れるしかなかった。そして結局この結果が私の進むべき道となった。「でもこの先どうして生きていくんだろう」?膨大な取材データの数々、これらの記事や写真を全て無駄にすると思うと、心が折れてしまいそうだった。

【第21話】何でもしてくれる夫ーー何もさせてくれない夫「それって幸せなの」?

人から「新婚生活はどんな感じ」?と聞かれる事が多かった。私の答えは、「楽だよ。料理をしない、片付けもしない、掃除をしない、洗濯をしないの「しない」尽くしなんだ」。「だったら、全ての時間は自分のために使えるの? 羨ましい」と言われた。友達は子育てや主婦の仕事で相当忙しい毎日を送っていた。ーー確かにそう。全ての時間は仕事に費やす事ができる。

でもそれは私の意思ではない。言い換えれば、生活をコントロールされていた。例えばキッチンの使い方を見張っていたり、洗い物を後で点検し、やり直したりした。2度手間になるくらいなら、彼に全てやらせた方が、お互いに良いという結果に至ったからにすぎない。

多くの人から「全部旦那さんが家事をやってくれるなんて贅沢、羨ましい」などと言われたが、果たしてそれが本当に良かったかというと、コミュニケーションロスに陥る。

結婚生活というのは、お互いに助け合い、シェアする事。私達の場合、一方が皆仕切る独裁者体制だった。私の仕事が忙しいうちはそれでも助かる事が多かったが、フリーランスに変わってもこのパターンは変わらなかった。

何でもしてくれる夫ーー言い換えれば、私に何もさせてくれない。生活を共有していない。結婚生活の実感が湧かなかったのは、こういった日常のルーティンなんだろう。結婚しているのにルームメイトのような、変な関係のまま月日は流れていった。

唯一私をワクワクさせてくれたのは、結婚前から続いてた家のリモデルのプランだった。でもそれも膠着したままだった。2度ほど計測や見積もりが来たけど、お金の計算ばかりして一向に前に進まない。

「結婚はゴールではない」と良く言うけど、結婚する前に蓄積していた問題は解決しないままだった。「結婚したら変わる」「結婚したら夢が叶う」なんて事はやっぱりなかった。だったら結婚を条件に最低妥協のサインをしてもらう事も友達から提案があった。でも、そんな事までして盛り上がっていた雰囲気に水をさすのが怖かった。

結局は信じた私がバカだったと言わずにいられない。現実、この時点で話合いをするのに、いつも相手を機嫌を損ねないよう気を遣う必要があった。

「やっぱり約束を交わすべきだったのか」。。。何かをチェンジしたいと思っても、言い争いになる気がして気が引けている自分がいた。「私も一緒に今を生きているんだから、私の希望や夢も聞いてね」!心の中で叫んでいた。

【第22話】人生の賭け:フリーランスになる

従業員として最後の仕事となる Bタウン雑誌の最終号は特別丹念に作った。特別カラーページを作り全てSFグルメ特集にして、広告記事として作った。この号はページレイアウトも良く好評だった。なのに、もう次号はない。

5年半ひたすら働いてきた日々に幕が降りた。もう客からも電話がかかってこないと思うど、フヌケになった。リズムがいっぺんに変わって私の体も戸惑っている。何日か寝れない夜が続いた。かと言って、主婦をやっているわけでも、子育てをしてるわけでもない。無力感が漂う。「私ってなんの為に生きてるの」?

普通なら、家事をしたり、部屋の模様替えをしたり色々やる事があるはず。前にも説明したように、この家には「何もさせてくれない」主人がいる。私は相変わらず毎日オフィスに通い、特に紙面に載るわけでもないのに、雑誌を作っていた時と同じように、リサーチをしたり、記事を書いたりしていた。これって、失業なの? 

都合よく世間では、「フリーランス」という便利な言葉もある。忙しかろうが、仕事が無かろうが、一応「フリーランス」という肩書きが使える。ちょうどウェブサイトが流行り始めていた頃。ある日、「この膨大な情報と写真、プリント雑誌でなく、ウェブサイトに移行できるんじゃないかな」という案が浮かんできた。そう考えるとワクワク感が蘇ってきた。

収入がゼロになれば、生活費を夫に頼るしかない。アメリカの夫婦はほとんどが共稼ぎ。日本の主婦のように旦那からお小遣いをもらうなんていうのはほぼ無い。まして彼に限っては、絶対お小遣いをせびりたくない相手なのだ。やっぱり男を頼っていきたくない。たとえ夫でも。

そのうち蓄えもなく小遣いもなくなった。時間はほとんどウェブサイトの立ち上げに使った。写真と文章を集めて編集していた。

お金がなくなると好きな服や靴も買えないし友達との外食もできなくなった。 オフィスを借りていた一階にはダンススタジオがあった。息抜きに時々下に降りていき、タンゴや昔懐かしいジャズダンスのクラスを受けたりした。充実した忙しい日々が懐かしい。

仕事をしないと夜が長すぎる。しかもこの夫婦は夜を一緒に食べない変な夫婦。早く家にも帰りたくないし私は1人でダンスに行ったりヨガに行って(時間を稼いで)いつも通り家には夜11時くらいに帰宅した。

ハッピーじゃなかった。これから仕事を探すと言っても履歴書と言えば、「編集」しかない。私のような英語も不完全な移民者が日系以外で編集者として働く事は100%不可能。だとすると、次の仕事はやはり日系の雑誌に頼るしかないのか。模索しても考えても「次に何をしたら良いのか」頭に浮かばず、結局Webサイトのコンテンツを書き続けた。

ある時閃きが来た。そういえば、1年前、「地球の歩き方」から連絡をもらった。私が代表をしている雑誌の情報が欲しいという事だったが、もっと話せば、彼らは毎年サンフランシスコまで取材に来ているという。「だったら私がご案内しましょうか」?その一言で採用された。

それから「地球の歩き方」サンフランシスコ・シリコンバレーシリーズでは15年間、関わる事になった。でも仕事はわずか2週間で終わってしまうものだった。でも取材したものはページに掲載される。フリーランス編集者としての小さな一歩を踏み出した。結局このガイドブックでの経験をきっかけに最終的には7冊のガイドブックを書いていた。


【第23話】豪華クルーズ三昧なのに盛り上がらないーーなぜ?

「新婚旅行に行こう」!夫は早速、大好きなクルーズ旅行のプランを立て始めていた。私たちは何年もバケーションを取らなかったし週末も(私の都合で)遊んでなかったので、夫は上機嫌だ。フリーランスになった以上、夫との時間が取れるし、もう広告主のことを心配せずに思い切り遊べるんだ。これで夫婦関係が改善されると期待した。

私達は遅い新婚旅行に出かけた。美しい海を見渡しながらトロピカルな島々へ。毎夜おしゃれをしてディナーをしたりエンターテイメントに浸ったり、これこそ新婚旅行の醍醐味? 人に聞いたら羨ましがられるような贅沢な航海。なのに・・・肝心の私の気持ちが昂ってなかった。

ーー何故? まだ仕事の事を考えていた。このクルーズが終わっても戻る仕事がない。身分相応ではない。この気持ちは自分でも不思議だった。

旅行代金は全て夫が持った。日常の生活はケチな場面が多いのに、彼が好きな事には糸目をつけない。エアやホテル、日程や予約のアレンジも全て夫がする。私はパッキングと朝起こされて着いていくだけ。相当楽だ。でもその旅行スタイルは果たして公平なのか。度々「付き添い」?と思う事もあった。

その後もセントーマス、バハマ、コスタリカ、パナマ、プエルトリコ、メキシカン、としばらくクルーズ旅行は続いた。楽しめないもう一つの理由は食事だった。海をクルーズしているのに船内で食べる魚や肉は全て冷凍、全て同じ味だった。しかも24時間食べ放題という事もあり、傲慢に食べ続ける人々を見るのは不快だった。

クルーズ旅行にも飽きてきた。遊んでお金を使うばかりで収入がない惨めさが湧いてきた。バケーションは「仕事」あってのもの。「どうしたらフリーランスから顧客を掴めるのか」ずっともがいていた。

新婚旅行から戻ると、顧客を獲得する為に日本に行った。入念に色々な雑誌社とアポをとり、挨拶に出かけた。でもどこも相手にしてくれず、門前払いのような扱いを受けた。惨めだった。まだ実績が足りないのか、アメリカ地元雑誌では無理なのか。まだフリーランス駆け出し、これからどうなるんだろう。 

失意の中アメリカに帰り、ウェブページを作ったり、近くのコミュニティカレッジでフォトショップのクラスを取ったり、まだなにも見えない、次のステップがわからない、結局、仕事は「私」なんだと悟った。だから自分が迷子になっているようだった。でも次々と旅行はやってきた。

**この時期から何年か後に、その時仕事を断られた雑誌社全ての出版社に仕事を懇願される事になったが、、、その時はまだ夜明け前だった。



【第24話】元カノ、リベンジの足跡

結婚2年目、彼が突然、「ハンガリーに行こう」と言い出した。彼は私に出会う前は一年の半年をハンガリーで過ごしていたのだから、僕にとって第2の故郷のようなもの。「君もフリーなんだから長期滞在しよう」と満遍の笑顔で誘った。

ハンガリーと言えば、夫の元カノの国。結婚した安心からか、この2年元カノは話題にもならなかったし、私もすっかり彼女の存在は忘れていた。でもどうして今ハンガリー?そして長期間どこに滞在するの? 

私が質問する間もなく、全て計画がなされていた。ーーハウススワップ。しかも元カノの両親の家と! 「そんな事できるわけないよね!」だって彼女はまだ未練たっぷりで好きなのに別れたって言ってたじゃない!」「それが、彼女も他の人と結婚したらしいんだ」その結婚相手を聞いて、髪の毛が逆立った。同じ街に住むアメリカ人らしい。だから、両親を連れてアメリカに遊びに行きたいという計画を、私の知らないところで立てていたのだ。「という事はあれから彼女と話をしてたんだ」と私は内心驚いた。

でもどうして元カノはアメリカ人と結婚したのか。しかも私たちが住むすぐ家の近所の男性なんて、そんな偶然があるのか。私は理解できなかった。この事実はバカな私が後から知ったのだが、全て仕組まれていた元カノのリベンジの予兆だった。

そんな事とは知らず、夫の熱心な説得に、「私たちのウェディングの写真も全てそのままで、私たちを部屋を一切触らずに生活するのなら」と条件を出してOKを出してしまった。

夫は1日4~5時間くらいしか仕事をしない。それも毎日ではなく、仕事がきた時だけ。彼の仕事はシリコンバレーのIT企業のプレスリリースを書くライターだ。それで生活が出来るのは羨ましい職業だが、それが彼のライフスタイルでもある。1日十何時間もバカみたいに仕事をしていた私と違って、クライアントは企業なので、それでも十分生活ができる。だから、コンピューターさへ繋げば、世界どこにいても仕事ができる人なのだ。

それで長期旅行が可能になるし、自由な生き方ができる。実に羨ましい仕事だ。でもこれも彼の実力で選んだポジションなので、誰に憚る事もない。そもそも私が彼と結婚したのも、プロポーズの言葉にときめいたのがきっかけだった。「僕は一ヶ所に一生同じことをして生き続けるというライフスタイルは好きじゃない。将来、2人で世界を旅しながら、コンピューター一つでどこでも仕事をできる環境にしたいんだ。一緒にそんな人生を歩かない」?という言葉がハートに突き刺さった。こんな事を言われて結婚しない女性がいるだろうか? 私は彼との未来をずっと夢見ていた。

気がつくと今、私も今同じ立場になっている。コンピューターひとつでどこでも仕事ができる。「そうだ。オンラインでこれからビジネスをするのだから、世界中を旅して、今まで記事を書いてきたように続ければ良んだ」! 久しぶりに明るい兆しが見えたような気がした。

【第25話】ハンガリーに短期滞在ーースローライフを楽しむ


サンフランシスコからフランクフルトで乗り換え、未踏の地、ハンガリーの首都、ブタペストに到着した。ここは一見、ヨーロッパの典型的な景色が広がっているが、かつて社会主義国のロシアの支配下にあったため、他の東欧諸国と比較して(良い意味で)垢抜けない古びた街並みが魅力的。観光客も他のヨーロッパ諸国よりも少なく、のんびりとした雰囲気が漂っていた。また、EURO通貨に未加盟のため、物価も安いと感じた。
ドナウ川のほとりには、歴史の重みを感じさせる城や美しい建物が立ち並び、その建築物が川面の漣に揺れ映る光景は息を飲むほどだった。色々あったけど、訪れて本当に良かったと感じた。
元カノの両親が住む場所は、田舎の「フォート」と呼ばれる場所だった。教会や古くからの店、小さな家々が周囲に広がり、時間がゆっくりと流れていた。家は素敵とは言い難い古さがあったが、不便はない。元カノの車も付いてきたし、複雑な思いは次第に和らいでいった。ここで私たちは3ヶ月間を過ごすことになる。
夫と私は毎日ブタペストの中心部に出かけ、私に出会う前に彼が何年も過ごした大好きな街をご機嫌で案内してくれた。彼の嬉しそうな顔を見て私も嬉しかった。滞在中は大きな喧嘩もなく、でも夫婦のスケンキアもなく、穏やかに時が流れた。私はあるカフェを見つけて、自分のオフィス代わりに利用した。
その時凝っていた写真撮影為、思い一眼レフを持って街を歩き、そのカフェで写真の整理やブログの執筆をしていた。やっている事は編集者時代とちっとも変わりはなかったが、魅力的な風景に夢中になっていた。この体験をいつかオンラインで共有できるかもしれないと素材を貯めていた。
ハンガリーは5つの国と国境を接している。郊外にも足を運び、山や湖、温泉に出かけた。国境を越えてウィーンへも行った。ブタペストからウィーンはたった2時間でアクセスでき、その垢抜けた観光地でグルメを楽しんだ。
本来私たちの理想だった「世界中を旅しながら働く」という結婚生活がいつのまにか現実になっていた。でも彼はほとんど仕事をしていなかった。以前はそれが気になっていたが、私も現在はフリーランス。まだクライアントもほとんどいない。不安もあったが、とりあえずこのハンガリーでの短期滞在を楽しむことにした。
ハンガリーでは競争社会がなく、アメリカや日本のような「みんな忙しくないとダメ」文化はない。人々は親切で物価も安くワイナリーや温泉もたくさんあり、食べ物も満足できる。私はいつの間にか、元カノの実家に滞在しているということを忘れ、ハンガリーでのスロー生活を楽しんでいた。
しかし、この平穏な生活も束の間。その後、元カノからのどんでん返しが起きるのをその時はまだ知る由もなかった。


【第26話】元カノのスマートな長期リベンジ計画


3ヶ月のハンガリー生活からアメリカに帰ってきた。またいつもの暮らしが戻るかに見えたが甘かった。彼がハンガリーの家のキーを元カノに返してくると言った。嫌な気がしたけどもちろん「ダメ」とは言えない。元カノはずっと私たちが住む家の近所に住んでいる。それ自体が気持ち悪い。

「キーを返すだけ?まさか食事とか一緒にしないよね?」と聞いた。「もちろんしないよ。相手は結婚してるんだよ」。彼女に会うのは今回だけ、鍵を返す為だけという条件で、夫が元カノと会うのを許した。

やっぱりしっくりいかないーー彼女の結婚は偽装なのでは? 4年前、本当に愛する人(私の夫)と別れて一年以内に他の人と結婚できるものだろうか? しかもいつまでも忘れられずに電話をかけてきていたのに。

でもそんな簡単に会えるなら、それまでも会ってたのでは? という思いが込み上げてきた。「あれ、、、そう言えば今回鍵を返すと言ったけど、その前に鍵を取りに行くとは私に言っていなかった」疑問が疑いに変わっていく。

彼女の情報は隣に住むP氏からいくらでも入ってくる。P氏とは、夫の友人であり、元カノが(ハンガリーから年に2回)この家に訪れる度に4人で遊んでたという。P氏はハンガリアンアメリカン、奥さんもハンガリー人という事もあり、英語とハンガリー語で会話をしていた。彼女は子供も連れて短期滞在する事もあったらしい。

ある時、P氏がこんな事をポロっと言った。「Kは突然(私の夫)に別れを告げられて悲しみに耽っていたよ。立ち上がれないようだった」と、今は奥さんである私の目の前で言った。とても傷ついた。

でも結局彼女は、それからすぐオンラインで見つけたアメリカ人と結婚した。しかも私たちの家からわずか5分くらの同じ街に引っ越してきた。偶然とは思えない。私達の同じ生活圏内の男性を選ぶなんておかしすぎる。疑い出したらキリがないほど、不思議な事が思い浮かんだ。

彼女が私達の家に両親といた時、いったいどんな心境で壁に飾ってある私たちのウェディング写真を見ていたのだろうと考えると、全く彼女が切り出したオファーを理解できない。でも、両親のアメリカ訪問を理由に、彼とのコンタクトを再開させる作戦だったのかもしれない。

そしてリベンジの舞台裏には共犯者も居た。P氏だ。彼の方には逐一情報が入っている。そして彼女は彼を味方に付けて結局は私たちを引き離す狙いがあったように思う。

ハンガリーに住んでいるにも関わらず、特定の地域のアメリカ人を選ぶなんて、なんて計算高い女なんだろう。そこからすでに彼女のリベンジが始まっていた。


【第27話】「悶々とした」結婚生活にターニングポイントが来る

結婚3年目。私はフリーランスになったにも関わらず、相変わらずバークレーの同じ事務所を借りていた。自宅には夫が一日中居るし、狭い家の中で24時間顔を突き合わせたくないというのもあったが、夫から指図されず、この事務所で過ごす間が私の唯一の「自由時間」だった。 

この頃、「地球の歩き方」を始め、「まっぷる」、「ことりっぷ」、タビトモなど日本のガイドブックの現地担当として執筆していた。ガイドブックのクライアントは徐々に増えていき、たまに日本からの取材班をコーディネートする事もあった。「地球の歩き方」は、コンテンツ前の特集8ページを任され、フォトグラファーとしてもデビューした。

一方でフリーランスとしてのオンラインマガジンは思うように進まなかった。当時主流だったウェブサイトのコンテンツ作成ソフト、「ワードプレス」を思うように操作できないのが、原因だった。膨大な写真の量を処理しきれないのだ。それでもこれまでの書き溜めていた記事を少しずつアップしていた。

でも商業的に言えば、ブログや記事を書いているだけでは、収入は雀の涙。かといって、主人が私にお小遣いをくれるわけでもない。事務所代は相変わらず自分で払っていたし、友達と食事にもいけないほど経済的に疲弊していた。 

キャリアも夫婦生活も悶々していた。そんな時、突然通訳会社を経営する知り合いから一本の電話が入った。内容は、発電所建設のエンジニアの通訳の仕事だった。「通訳の経験がないのになぜ?」と不思議だったが、長期サポートと聞いて納得した。 1ヶ月ほど工事現場の近くのホテルに住み込み、日本の本社から派遣された日本人エンジニアの通訳と生活サポートをして欲しいという事だった。

通訳のキャリアもない上、英語の自信もなかったので、「通訳は無理」と伝えたところ、通訳のレベルに至らずも日常会話プラス程度でも良いと言われた。不便な場所で長期滞在できる人は簡単には見つからなかったようだ。一方私は、フリーランスなのか失業者なのかわからない日々を過ごしている暇人だった。

私にとって夫としばらく離れて頭を冷やす機会かもしれない。それに短期といってもまとまった収入が入るのは、願ってもないチャンスだった。「それまで膨大な時間を費やしても収入には程遠いフリーランスの仕事に行き詰まっていた。

しかしそんなイージーマネーなど転がってるはずはない。勤務先はネバダ州のとんでもない田舎で、最高級ホテルはHotel8, レストランたった4軒のほとんどファーストフード、しかも極寒の中、外で仕事するらしい。

田舎で極寒の中の勤務には抵抗があった。仕事内容も適正なのかかわからないし、1ヶ月も耐えられないかもしれない。とりあえず今回2週間だけ、その後は相談という条件で仕事を受けた。

夫はといえば、私に仕事が入った事をとても喜び、なんの抵抗もなく許可した。そもそも家に居ても2人で共有する生活はほとんど無かったので、私が家に居なくても彼には不都合はない。

私生活も仕事も悶々としているーそんなジレンマから環境を変えて逃避したいという思いがあった。

フリーランスになって初めての出張。少し目指していた職業とは趣旨は違うが、確実に収入を得られる。 不安を抱えながらも家を後にした。しかしその後、この仕事が人生のターニングポイントとなる。


【第28話】運転は人柄を表すーー夫はおあり運転常習犯 

家を離れたい理由は他にもあった。あの旅行以来、夫とへの信頼が崩壊しつつあるからだ。
不信感が広がった原因のひとつは、ハンガリーに行く前、彼が(鍵をもらう為に)元カノと会う事を私に言わなかった事。そしてもうひとつ、決定的なのが車の事故だった。

彼の愛車はMazda のスポーツカー。運転が大好き。でも問題は煽りの常習犯だった事だ。夫は運転をすればたちまち人格が変わり、前を走るノロノロ車をいつも煽っていた。「ただ追い越せば良い」と私は思うのだが、彼はご丁寧にもそのノロノロを追い抜き、その車の前で急ブレーキをかけたり、窓を開けてシャウトしたりするのだ。

まだ1人でやるなら良いが、奥さんを助手席に乗せて煽り危険にさらすとは、(守るべき奥さんへの)愛情もなにもあったもんじゃない。

そんな事をやられると助手席の私はたまったもんじゃない。いつもヒヤヒヤした。他のドライバーからの怒りを買って幅寄せされた事も何度もあったし、命の危険さえ感じた。それを彼はいつも「運転がうまい」「シャープな運転」などと自慢していた。

ある日とうとうその事故は起こった。いつもの家への慣れた帰り道。前に立ち塞がるノロノロ運転にいつものようにキレた彼はその時、一方通行の「ランドアバウト」(円形状になった交差点で一台づつが曲がりたい角を曲がる)で前の車を右から追い抜きにかかった。 「え、まさか!!」 ここは一台一方通行は誰もが知っている。追い越すなんてありえない。しかし彼はやってしまった。

案の定、前の車と追い越し側に接触し、車はスピンして路肩にぶつかり止まった。前を運転していた人は、ありえない彼の行為に激怒して、夫を罵った。夫は私の顔も見ずに、気遣いもせず車、すぐ車から降りて、事故を起こした相手と口喧嘩をした。その間、私は車に置いてきぼりだった。

私は事故自体、相当怖かったのに、事故後も「Are you okay」?という言葉さえなかった。事故は瞬間的に起きるので人も咄嗟の判断を強いられる。そういう時に人間性が出るもの。彼は相手の運転手に対する怒りを爆発させ、私への思いやりの言葉もなかった。

私はこの事故の唯一の目撃者で被害者でもある。特に大きな怪我は無かったが、やはり事故に遭うのはショックだ。私は妻なので、夫側に立ち、真実は見ない事にしていた。結局夫は「あの車は止まっていた」とか言って、保健会社を説得し自分の車の修理代を相手側の保険から捻出しようとしていた。そしてそうなった。でもそのすぐ後に事故の相手側から訴えられて、最終的に夫は加害者となった。

「運転は人柄を表す」って本当だったんだ。温厚な見かけとは真逆に彼の運転は自己中のかたまりだった。元々他人と同じ道路を共有できない、「オレ様」人格なのだ。なんでも自分が正しいと思い込み相手を責める彼の本性が暴かれた事故だった。

そういえば、彼は何年も私の車には乗った事がなかった。言い換えれば私に運転をさせなかった。私はどちらかと言えば安全運転だし、煽りももしない。なのに、なぜ? 要するに「コントロール」は自分でしないと気が済まない人。人の運転で自分の思い通りにならないのは許せないのだ。

この人は「コントロールフリーク」なんだと気づき始めた。


【第29話】 「OCD」(強迫性障害)ーー夫の仮面が剥がれていく


あの事故から、私の心はどんどん夫から離れていった。夫婦生活を立て直そうとしても、次から次へと打ちのめされるような暴力的な「言葉」だったり「行為」があった。

かといって毎日が暗いわけではない。週末は彼が大好きなワイナリーに行ったり、高級レストランや週末はお決まりのカフェで朝ごはんを食べたり、ウォーキングをしたり、生活上は普通に見える。ただこれは週一回だけのこと。行き先はいつも彼が決めるし、旅行の計画も全て彼が決めて従うだけで良いので、楽と言えば楽だった。一方で、私が「したい事」や「行きたい場所」は彼が認めない限り実現しなかった。結婚前からずっと「やる、やる」詐欺になっていた家のリモデリングもその1つだった。

結婚する前に友達から、「ちゃんと契約書を作った方が良いよ」と言われた事がある。「夫婦なのに契約書?」その時の私はまだ結婚に幸せな未来像を描いていたし、彼の事も信頼していた。いや、信頼したいという気持ちが強かった。 でもある時、「どうして自分の意見は通らず、思いが伝わらないんだろう」と思いが込み上げていった。生活は彼に支配されていた。

結婚前、親しい友達からもう一つ忠告された事があった。「彼はOCDだよ。気をつけた方が良い」と。その言葉が今頃になって蘇ってきた。OCDとは、Obcessive Conposive Disorder の略。日本語で言う、「強迫性障害」だ。簡単に言えば神経質、細かい、ケチ、自分勝手など色々あるが、度を超えた思い込みで相手に言葉や暴力によって傷つけたりする病気だ。

ーーそれってまさに私の夫!? いつも自分の言う事がいつも絶対で、それに従わないものはたとえ家族でも罵倒を浴びせられる。「彼と離れたい」と思った一番の原因は、毎日、何マイル走ったか、お金をいくら何に使ったか、誰と会ったかなど逐一報告するこを義務付けられていた事が耐えられなかった。「一体何のためにいちいちそんなに細かい事を聞くの」?と質問すると、「全てタックスの為だよ!!」と怒りのこもった答えが返ってきた。

彼のケチぶりにつくづく嫌になる時もあった。例えばカーテンを新調するのに、少しでも安いところを探すのに何日もかけたり、ガソリンスタンドも1セントでも安い場所を選んだり。その一方でバレエやコンサート、旅行、高級レストラン、ワイナリーなど彼が好きな事にはいくら注ぎ込んでも惜しまない。ただ、私の事となれば一切お金は使いたくないーーそれって自分のためだけに私が付随しているの? 約束した家のリモデルの話もいつの間にか出なくなった。

一般的に「暴力」とは「体に暴力を与える」事と理解していた。でも私が浴びせられていた「言葉の暴力」は、同等に「家庭内暴力」と言うのだそうだ。私が何か失敗して怒られるのもやはり「暴力」らしい。分かりやすく言えば「コントロール」(支配)されている。英語ではそう言う人の事を「コントロールフリーク」とか「マイクロマネージメント」とか言ったりもする。

私が持つ家庭ですでにDVは横行していた。その言葉は前から知っていたが、まさか自分がその渦中にあるとは気づきもしなかった。 

夫の仮面が少しづつ剥がれていく。「一体この人はどんな人なんだろう」私は怪物と結婚したのかもしれない。 


【第30話】セックスレス、言葉の暴力、会話レス、その先は?


「安定した仕事」を持ってなかった私は不覚にも深いジレンマに堕ちていた。パッションを持って仕事をしていたのに、仕事を辞めて彼との結婚生活の安定を選んだのだ。今更前のポジションには戻れない。 

夫がOCDと分かってから「一緒にいてはいけない」という気持ちが強くなった。でも答えはいつも「独り立ちできない」という否定で終わっていた。「お金がなければ独立した生活は出来ないし、夫に支配されるだけ。どこへも行けないと思い込んでいた。

行き場のない気持ちを自分で宥めた。「もっと不幸な人はたくさんいる。私はちゃんと生活はできているのだし、身体的な暴力を振われているわけではない」と自分に言い聞かせ、思いとどまるしかなかった。

実はこのOCDの夫を持つ人は少なく無い。実は後から知った事だが、私の周りにも似た境遇の知人が沢山居たが、やはり私のように「アビューズ」(暴力的に人を蔑む)をされている事に気がついていない人がほとんどだった。彼から「怒られる」のは、習慣になっていた。

たとえば、ちょっとのミスで何かを落としたり、キッチンの使い方や、何か物を無断で移動させたりすると必ず私の人間性を否定するような怒られ方をしていた。それに慣れて気づかなくなる人も多いらしい。

私は元々ネアカ人間で、人にコントロールされるなんて思ってもいなかった。でも日常生活で繰り返されるとにより、それをいつの間にか「普通」に受け入れている私が居た。

最初は2人の生活は始まったばかりだし、良い時もあり喧嘩もする、どこにでもいるカップルだと思い込んでいが、ようやく大きな問題という事に気がついた。

それまでを振り返り納得する出来事ががたくさんある。ひとつは彼の車の運転。どんな人にも妥協できない「自分だけの道路」が彼の中にはいつもあった。それは煽り運転となったり、2人の時は私に運転させる事は一度もなかった。

引っ越しをしてまもなくの頃、台所をスッキリさせようと、カウンターにあったリッカーボトルキャビネットにをしまった時の事。「これはここにあるべきで一ミリたりとも動かすな!」と怒涛された。

キッチンを私が使うと、かならず後から点検が入りダメ出しをしたり、並び替えたりした。だったら全部彼にやらせた方が良いと思いキッチンに入る回数が減った。その習慣はそれからもずっと続いた。

夫がまさかのFワードを使い始めたのもこの頃。他人に対しては時々あっても、家庭でもFワードを使うことは考えられなかった。でも一度使うとあとは惰性になっていくのだろうか。私にだけは使わないで欲しかった。

彼と一緒に居ても寂しいと感じる時間が増えてきた。同時に彼と触れ合う時間はこの頃にはほとんど無かった。セックスも「I love you」という言葉さえ…。


【第31話】夫に支配されていた「生活圏」から脱出する


そんな時通訳アテンドとしての長期出張は私にとって好都合だった。フリーランスになって始めての大きな収入となり、夫に支配されていた箱から自由な気持ちが蘇ってきた。「経済的自立」は私にとって最も必要なものだった。

私の仕事は「タービントップ」と呼ばれる、パワープラント(発電所)の要のタービンを取り付ける日本からの監督でエンジニアの付き添いだ。日本の大企業から派遣されるエンジニア達はほとんど英語が皆無で、アメリカで生活を送るのに通訳サポートが必要だった。だからと言って、私は工業的な専門英語は全くわからない。通訳派遣会社の人は「それでも良い」と言ってくれたので、とりあえず「逃避行」のつもりで現地へ行った。

その小さな町にはわずか人口が400人だけ。ホテル住まいと言ってもまともなホテルは4軒しかない。それも全て二つ星程度だ。さらにレストランはたった4軒。私はキッチン付きの簡易ホテルに長期滞在する事になる。

私は、アメリカのど田舎で初めて建設現場で働き始めた。私が住むサンフランシスコやシリコンバレーを含む「ベイエリア」というエリアにはIT企業やスタートアップ、投資家’などホワイトカラーがうじゃうじゃいてドットコム、ITバブルのミリオネラーはそこらじゅうに居たが、「ブルーカラー」と呼ばれる人たちとの仕事は初めてだった。

全く畑違いの現場に最初は戸惑った。シリコンバレーのビジネスはアイデアやストックオプションで一晩に50億稼ぐ人も少なく無いのに対して、この建設現場で働く人たちは、ほとんどが時給。なのでここで働く人たちは裏と表が全くない。 人との付き合いはビジネスにつながるというベイエリアに対して、この人たちの仕事は、本物の人間同士の付き合いになる。 

仕事は1日10時間。目覚ましを朝4時半にかけ、5時半に出かける勤務体制は夜人間の私にはとても辛かった。暗いうちに雪の中、職場へ向かうという日々が始まった。職場といってもコンテナ事務所だ。トイレも簡易だし、最初は泣き出したくなるような環境だった。それでもこれは「仕事」、お金を頂くとなれば気合は入るもの。コンテナ事務所は暖かかったが、工事現場はとても寒かった。

2週間目ともなると、日本人のエンジニアの仕事場である「タービントップ」チームと仲良くなり、今回チームのリーダーであるC氏は、この日本人のスペシャリストと常時連携する必要があったので、多くの時間をこのリーダーと一緒に過ごした。C氏は、私と歳が一緒で、ゴージャスなグリーンの瞳を持つなかなかハンサムな男性だった。テキサス出身で工事現場の人なので、ITやファイナンシャルトップ企業に勤めるベイエリアの人とも 夫とも全く違う種類の人だった。複雑怪奇でこだわりの夫と比べると単純で分かりやすい別世界の人という魅力もあった。

私たちタービンチームは時々、仕事が終わって会食をした。ほとんど毎日皆安いビールを飲み肉を食べる。今までの私には無かった単純食の繰り返し。でもその日の仕事をこなした後に飲むビールは格別だそうだ。私も(他に飲むものがないので)ビールを飲むようになった。

仕事が終われば寝るまでパソコンを見る事もない。飲んで肉を食べゆっくり過ごすという工事現場のライフスタイルを初めて味わった。それでも現場の人は皆明るく親切でコンピューターなど無縁の世界。「メールをしない夜」がこんな楽だとは思わなかった。 

サンフランシスコ、ベイエリアでは経験したことがない、ブルーカラーの仕事、ただ1日をこなすだけの毎日。そんな人生を生きてる人が大勢いるんだと知った。普段はビールは飲まないのに、仕事を終えたら皆とビールが飲めるのが楽しみになった。そしてその夕食の席にはからなずチームリーダーのC氏がいた。 次第に田舎暮らしも暖かく居心地が良くなってきた。

その後通訳アテンドの仕事は個人契約に切り替わり、なんと、それから10年以上もX社と関わる事となる。


【第32話】ついに不倫に突入ーーハートが止まらない


私は毎日顔を合わせていたテキサスボーイのC氏を少しづつ意識し始めていた。そして彼からも同じ気持ちを感じとっていた。2人が恋に落ちるのにあまり時間は要さなかった。ある週末、ディナーの後、雰囲気の良い音楽が流れ、私は彼の手をとってチークダンスに誘ってみた。

いままでダンスもした経験がなさそうな足取りで、顔ではなく足ばかりを見ていた。それが可愛かったりもした。私が引き寄せると私の背中にそっと触れた彼の手からビンビンに恋心が伝わってきた。私たちは何も言葉を交わさずこのダンスで互いの愛情を確かめ合った。そして帰り際、「明日の朝、サンフランシスコの美味しいコーヒーを淹れるけど私の部屋に来ない」? と言った。

田舎育ちの彼にとって、コーヒーが美味しいと都会で流行っている「シングルオリジン」とかどうでも良かった。この人たちはお湯のような薄いコーヒーをがぶ飲みするのが習慣のようなのだ。

それでも彼は「美味しいコーヒー」に興味あるフリをして次の朝、私の部屋に来た。(私たちは同じホテルに宿泊していた) 最初はコーヒーと簡単な朝ごはんを提供して、キッチンで普通の話をしていた。そのうち距離が近くなる。ついに2人ははお互いの感情を抑えられなくなってしまっていた事に私も気づいていた。

2杯目のコーヒーを入れていた時、後ろから不意に抱きしめられた。そして振り返った瞬間キスをされた。そのまま、私たちは熱い抱擁を交わしながらベットに移動した。体がアツく燃えている。全てが自然な成り行きだった。

罪の意識を感じなかった。長い間凍結していた自分の中の「女」が爆発したようだった。「そうだ。私はこんな行為を、男に求められる事をずっと抑えていたんだ。でも、何故? 結婚相手との性行為が無いという理由なら、他の男と性行為する事は悪いとは思えなかった。その日から私は夫にしばらく秘密を持つことになる。

彼は職場の上司。しかも都合の良い事に同じホテルに長期滞在している。顔を合わすたびにドキドキしたり、ムズムズしたり、忘れていた恋心が再び蘇った。

私はラッキーにも勤務期間を何度か延長され、結局この小さなネバダの町に3か月滞在した。2週間毎に自宅に戻り、またリフレッシュして勤務に出かけた。仕事に戻るというより、愛人に会うために出かけるように、いつもワクワクしていた。

でも夏の前には勤務はとうとう終わり、自宅に戻った。私にはまとまった収入が入り、2年半ぶりに自分の好きなものを自分のお金で買った。初めて経済的に自由になれた気がした。彼に従っていたのはお金のためだったのか。浮気をしたせいもある。でもその前からすでに彼に対して愛情は残っていなかった。「私はこの家を出なければならない」と考え始めた。

相変わらず、昼間は自分のオフィスに出かけた。そして未だに夕食を一緒にしない結婚カップルだった。全てが壊れてきた。こんな生活は続けられない。

浮気相手の彼が恋しくてたまらなかった。夜になると毎日私のオフィスに電話をかけてきてくれる。私達は毎日2時間くらい電話口で何の話題というわけもなくただ愛を語り合っていた。ここは私のオフィスなので、話内容がバレるわけではない。ただ、電話口で彼の声を聞くだけ。でもなぜかそれがセックスをしてるような感覚でもあったし、心地よかった。

そうしているうちに2人ともどうしてもリアルに会いたくなり、ある日彼はネバダ州の現場から8時間もかけて私に会いにきてくれた。私は初めて夫に、いや初めてではなかったかもしれないが、罪深い嘘をついた。「友達と一泊旅行に行ってくる」。もちろんそれは彼との旅行だった。 


【第33話】ハート爆発ーー夢のような不倫旅行


ついに彼が来る! 8時間もかけて私に会いに来てくれた。朝からドキドキしていた。このドキドキを夫に気づかれないようにしなければと抑えようとても、時間が迫るにつれてますます激しくなる。旅行準備は万全。後は家を出るだけ。 この朝、さすがに夫と目を合わせられなかった。

小さな事でも証拠探しに抜かりない、私のプライベートを執拗に追い回すタイプの夫にバレずに果たして不倫旅行はできるのか、、、予約しているのホテルは車で約20分。その後一緒にヨセミテに行く事になっている。

恋焦がれた彼と勤務地以外で2人きりの時間を過ごすのは初めて。本当に予定しているホテルに彼は来ているのか。嬉しすぎてハートは爆発しそうだった。

彼が居た!約2ヶ月ぶりの再会に2人の気持ちは花火のようにぶつかり合い、2度とこの体から離れたくないほど愛し合った。ここはベイエリア。私の居住区で彼と密会。その時点でもう夫から追われる妄想や心配は完全に消えていた。

テキサス人の彼らしいフォードの大きなトラックに乗ってヨセミテに出かけた。初めての2人だけの旅行。何時間かかっても運転をする彼の横に座る幸せを噛み締めながら、終始美しい景色と愛に包まれていた。

彼が大好きなヨセミテ、マリポサグローブにある「ジャイアントセコイア」に到着した時、大勢の観光客の1人が話かけてきた。「南部アクセントだね。テキサス?」 「そうだ。あなたたちは?」お互い南部系の人はアクセントで親近感を感じるらしい。他愛もない簡単な会話だが、私たちがカップルと思われた事をとても嬉しく感じた。 

ジャイアントセコイアの樹齢は約3000年と言われている、ヨセミテのレッドウッドツリー群の中のスーパースター。木が持つ妖精のような優しさとウォリアーのようなエネルギーを体全体で吸い取って、彼との時間を感謝した。

私、また恋をしてる。この日の天気も風邪も空の色も最高だった。彼の眩しいほどの美しいグリーンアイ(緑の瞳)とジャイアントセコイアのディープな赤茶の光景が今でも走馬灯のように蘇る時がある。

夢のような時間はあっという間に終わってしまった。彼と一緒に過ごした一分一秒がまるで長い長い時間を凝縮したような濃く愛情に満ちた日々だった。

明日からまた家に帰ると思うと気持ちが暗くなった。彼について行きたかった。出来るなら、このまま何もかも捨てて彼と一緒に居たかった。そのまま連れ去って欲しいーー逃亡欲に駆られた。恋をする危ない女になっている。


【第34話】浮気があっさりバレる


あの不倫旅行から少し時間が経った。私はまだC氏と電話で遠距離恋愛をしていた。

ある朝、夫が暗い顔をして近寄ってきた。「話がある」。何のことかすぐわかった。彼は私のオフィスの電話請求書を差し出し、「月に2000分も誰と喋ってるんだ。しかもかかってくる電話番号は全て同じ。写真を隠し持っていたのも知っている」。

「。。。。」私はしばらく無言で俯いていたが、隠し切れるわけも無かった。「ごめんなさい。別れる」と言った。

それっきり、しばらく夫との会話は無かった。そして彼に「夫にバレたからもう電話はできなくなった」と言った。今ならスマホを使い分けたり巧みにテクノロジーを利用できるんだろうけど、その頃まだ不倫するのは難しい時代。メールの内容をチェックされないだけでもまだマシだった。E mailだけまだ繋がってる。
他に良いアイディアは浮かばなかった。それ以上夫が私を責めれば確実に離婚になる事を私たちは知っていた。私も今すぐ夫と別れてまで彼の方に飛び込む大胆な考えをまだ持てなかった。もし浮気相手が寛容さを持ち合わせていたとしたら、別の展開になっていたかもしれない。

彼と電話ができなく寂しい日々が過ぎていった。でもまだ別れたわけでない。Yogaに行く旅に彼とのセックスを考えていた。

一方で私のエイジニアの出張通訳サポートは個人契約に切り替わり、新規多くの依頼が入って来た。建設現場はほとんどが何もない田舎だったが、たまに高級リゾートの現場もあった。ネブラスカ州、イリノイ州、アイオワ州、カンサス、テキサス州などから、フロリダの高級リゾート地まで、日本からのエンジニアをサポートしながら何週間もホテルに滞在した。

出張依頼がある度、彼と会えるチャンスを探っていた。2人がその気なら逢い引きは米国のどこかでできる。

私にとってこの仕事は最高だった。夫と離れる理由が正当化され、自由なホテル暮らしをしながら収入が確実に入ってくる。派遣エンジニアは皆良い人で真面目な人ばかりだった。次第に建設現場の仕事にも慣れ、ワーカー達との付き合いも楽しくなっていた。

元々目指していたメディアの仕事からは程遠いが、収入が定期的に入ると「自分は独立できるのではないか」(離婚)という希望が湧いてきた。

そして、ついに私の通訳担当現場が彼の住む同じ州にあてがわれた。絶好のチャンスだと思いすぐに連絡した。彼も嬉しそうに「すぐ会いに行く」と即返事があった。また久しぶりの再会に胸をときめかせた。私が滞在するホテルの部屋に彼を誘った。もちろん泊まりで。

作戦は成功した。2人とも勤務がない週末を選んで出張先のホテルで逢引きをした。まるで恋人同士のように映画を観たり、ディナーを食べたりデートを楽しんだ。人に憚る事なく2日間の週末を2人きりで過ごした。

でもこの再会以来、私は彼に会っていない。あれだけ燃え上がったのに、この時、私の中で潮が引いていくのを感じた。テキサスの田舎育ちの彼と都会育ちでサンフランシスコで暮らす私とは生活習慣や価値観があまりにも違いすぎた。

例えば、食べ物と言えば肉、毎日6パックの「バドライト」ビールを飲み干す彼に対して、オーガニックで質の良い食事やカクテルを愛する食生活の違いだったり、食事マナーや生活習慣などあらゆる面で住む世界が違うと感じた。

そういえば、彼がベイエリアに来た時もシーフードが美味しいレストランに案内したところ、メニューには地元のクラフトビールばかりでがっかりされたり、肉といってもステーキではなく皿にアレンジしてある肉の量の少なさに苛立ったり、些細な事だけど価値観の違いは鮮明だった。

潮が引いた後、「あの時、燃え上がっていた感情のまま、この人に飛び込まなくて良かった」と思った。その後彼から何度かメールをもらったが返事をしなかった。中途半端な対応をして彼を傷つける事は避けたかった。 こうして私の不倫騒動は終焉を迎えた。


【第35話】離婚への道「リスクを恐れず家を出よう」


一時は浮気相手の元へ走る思いもあったが、ゆっくり静かに火照りは冷めてきた。かと言って、この時点で夫と再び仲良しになり、人生を一緒に歩む自信もなかった。

昼間は間借りしているオフィスが唯一私の自由な居場所。そこは生活拠点ではないが、家に戻れば彼の支配圏となる。忙しいわけでもないのにオフィスに居る時間は長くなり、夕食も一人で机に向かってスナックを食べる毎日。ゴミ箱にはスナックの袋がいつも満杯になっていた。
だから帰るのはいつも夜中前。

夫からは毎日のように、マイルやガソリンの諸経費、どこに行ったか、誰と食事をしたか、内容なども細かいことを聞かれ(Taxの為と夫は言うが)、それが嫌でたまらなかった。何もかもが中途半端な生活。そしてついに心の叫びは行動へと向かった。

「家をでよう。たとえリスクを負っても」たとえ小さな部屋でもいい、自分の居場所を探そう。夫がいない落ち着く場所を。


フリーランスというグレーな職業は収入がある時とない時の差が激しい。今月稼いでも来月はゼロということもありえる。いままで生活基盤を維持する為に、私もまた夫に依存していた。だからこんなダラダラ生活を続けいつまでも動けずにいた。

「ゼロに戻ってまた1人から始めたらきっと何かが変わる。元々私はアメリカに1人でトランク一つで来たんじゃないの。強いはず」と自分に言い聞かせた。

ベイエリアで独り身の住む場所といえば、本来高収入でない限り誰かとアパートや家をシェアするのが一般的。でもどこでも良いわけでないのがネックだった。私はビジネスを自分で持っているので、私が移動するところは同時にオフィスにもなる。せめて机が置ける場所を探さなくてはいけない。せめて今仕事があるうちに移動しなきゃ。

もし良い部屋が見つかったらすぐ引越しをしなくてはならない。その体制準備も整えなければ。まずは今借りているバークレーのオフィスの退去。しかも夫に勘繰られないように。決まったらすぐ行動をとるーー覚悟を決めた。不倫事件とは全く関係ない。これは私自身の再出発なのだ。

着実に準備を進め始めた。「オフィスメイトが退去することになったので、私も退去する」。また夫に嘘をついた。退去するということは、すなわちオフィスにある全ての荷物を2人が住む狭い家に移動させなくてはいけない。これが大変な作業だった。

もう6年も間借りしている部屋には(他のスモールビジネスと部屋をシェアしている)電子機器、書類やモノがびっしり積み上がっていた。この時点から約6ヶ月間、私はずっと家で夫と同じ部屋で仕事をすることになる。

その間、幸運にも発電所への出張も多くあったので息抜きができたのはせめてもの救いだった。
家にいる時は度々物件を見に行った。その頃ベイエリアの家賃は高騰していた事もあり、予算ないで理想の部屋は中々見つからなかった。でも確実にX dayが近づく足音は聞こえていた。


【第36話】部屋が見つかる「この眺めから再出発しよう」

その日は突然やってきた。サンマテオのシェアアパート(他人と同居するアパート)を見に行った時の事。私の少ない予算内では当然ながら部屋は狭く机を置くスペースが無かったので、いつものようにお断りした。今までずっとこういうパターンが続いていた。

でも数日後、その物件を案内してくれたアジア系女性から突然電話がかかってきた。「私の友達が住む一軒家で、女性のルームメイト人を探しているの。あなたの事を話たら、是非会いたいって。興味ある?」 場所はサンフランシスコ空港に近い高級住宅街。 「え、もしかしてお屋敷?」 期待が高まる。

早速連絡をしてみると、すでにその家の一室を間借りしている感じの良い女性が家の説明をしてくれた。彼女からの招待もあり3日後、その家に出かけた。

尋ねた家は、ヒールスボーローという森に囲まれた閑静な住宅街。もらった住所に行き着くと、古いスパニッシュスタイルの大きなお屋敷で3台収容できるガラージも付いている。胸がときめいた。

オーナーのサンディは70歳くらいの人で、もう1人は50代くらいのテナント(部屋を借りている)が住んでいた。その将来のルームメイトになるかもしれないTさんとサンディが私を暖かく私を迎えてくれた。その日はTさん主催の友達の夕食パーティーでもあり、私もその中に入れてくれた。

サンディは、早速私が借りるかもしれない部屋を見せてくれた。とても狭いのだけど、2部屋あり(うち一部屋は3畳分くらい)机がギリギリ置ける広さ。そこからの眺めが最高だった。

隣のプール付きお屋敷の向こうに空港とサンフランシスコ湾が見える。ちょうど黄昏の時間。空をピンクと水色が溶け合うようにアートを描き、飛行機が5機くらいぷかぷかと浮かんでる。こんな美しい空を最近見てなかった。私の直感が動く。「この景色から再スタートしよう」。

私は机を窓際に置いて、この美しい景色を見ながら仕事をする姿をすでに想像していた。

少人数のパーティーでは食事もご馳走になり楽しい会話をした。私はこの2人にすっかり気に入られたようだ。私もこの女性達のおもてなしに心が暖かくなるのを感じた。離婚計画でずっとストレスを抱えて荒んだ心が時解される時間だった。「この人達とならきっとうまくいく」。

次の日に引越しをする意向を大家さんとTさんに伝えた。部屋が決まって大きな肩の荷が降りた一方で、大仕事が待っている。いつ夫に重大決心を告白するか、いつ引越しをするのか、Xday を決めなければいけない。

丁度その頃、私はまだ発電所の建設現場の通訳を続けていて、とても忙しい時期だった。引っ越しするには、「引っ越しの日」を決めて、準備しなければいけない。出張の日程を掻い潜ってその日を選ぶまでに2ヶ月もかかった。その1週間前に夫に伝えようと計画した。

「さあ、夫になんて言おう。どういう風に伝えよう」。


【第37話】夫に全てを打ち明ける日「家を出て行きます」

ついに夫に全てを打ち明ける日がきた。その朝、私はとても緊張していた。セリフを頭の中に描いて何度もシュミレーションをしたが、果たしてうまく喋れるだろうか。。。どんな反応がくるのかドキドキしていた。でもやるしか無い。

思い切って口火を切った。「話がある」。英語で「I need to talk」というのは大概別れ話か、なにかシリアスな出来事の時に使う言葉。 もちろんその言葉だけで彼はすでに勘づいていた。

時間は10時頃だった。朝の柔らかい日差しが、ダイニングテーブルを挟んで向き合った私たちの頬を照らしている。少し高揚しながらも私は緊張している。少し間を置いて話始めた。

「わ、私、、、先日新しいオフィスを見つけたので、契約した。ペニンシュラ(地区)だけど、ベットルームもあるのでそこに住んだりもできるんだ」。 わ、わ、わ、、、私、何を言ってるんだ、、、「別居する」「離婚したい」の言葉が出てこない。 
「どういう意味? オフィスを借りて、それで?そこに住めるって何?」

「ビジネスがしやすい便利なロケーションだし、良いオフィスになるから、ここから通うか、遠いから忙しい時は時々泊まれる」。 また変な口調になってしまった。 私の慌てぶりに混乱した夫だったがすかさず、冷静に私の言葉を正しく言い換えた。

「なんだよ、オフィスに通うとか、住むとか。要するにこの家を出るって事じゃないのか?」 図星だった。益々焦って呂律が回らなくなった。「あ、、、、うん、基本的にオフィスに寝泊まりしたい」。「だから家を出て行くってことだろう?」 「そ、そうだね。そう言う事」。やっと本質に辿り着いた。

彼も私も下を向いてしばらく向いていたが、夫は会話の意味を正確に解釈している。そういう頭の良さはいつも尊敬するところだった。 そして、「So you wanna leave me….」「 You don’t love me anymore」と悲しげに言った。私は全く返す言葉が無く下をむいたまま黙ってた。しばらく二人は言葉を発しなかった。 私は我慢していたが、やっぱり涙が出てきた。

あんなに色々な事があって、やっと一緒になったのに、何も2人で添い遂げられなかった。
今、別れを告げたんだよね、私?なんだか変なやりとりだったけど、これって、別れようと伝わってるよね。自問自答をした。緊張をしすぎたせいか力が抜けてきた。その後私は家の外に出てしばらく帰ってこなかった。

その日から2週間、2人は一緒に住みながらも目を合わす事もなく何も喋らず、私は淡々と引っ越しの準備を始めた。人生で最も辛い期間だった。


【第38話】元カノに夫を奪還されたーーでも私は負け犬ではない


夫の元カノは虎視眈々とこの時を待っていた。私たちの生活圏内にわざわざヨーロッパから移住するまでの気合いの入れようは圧巻だ。ずっと影から私達の生活をのぞいていた。 もしかしたら私が出張に出かけている間に夫に会っていた可能性もある。

共犯者のP氏のアドバイスを受けて私たちの近くに住みタイミングを見計らって、ハウススワップの話を持ちかけたのだ。家にカメラでも設置していたのかもしれない。私達の生活を即時に把握するなんてぞっとする。今となってはわからないし、そんな事はもうどうでも良い。あの思い悩んた日々は過去になろうとしているのだから。


元カノが夫を取り返す為に長期リベンジ計画を図ったように、私も夫から離れる計画を水面下で粛々と進めていた。

きっと軍配は彼女の方に上がったのかもしれない。でも私は負け犬ではない。お互いに自分が幸せになるために、好きな人を取り返す、好きでない人と別れるという、よく考えたら道理が敵っている。

私はこの結婚で家庭の幸せを感じた事は無かった。結婚の前に約束した家のリモデルも一ミリも進ままなかった。後悔や悲しみやいろんな感情が溢れ出した。彼を責めると同時に私も責められるべきなんだろう。

あんなに好きだったのに、信じた「愛」はイリュージョンだった。彼に出会ってからのこの10年、私は彼に依存をしていたのかもしれない。もう好きでないのに愛情は残っていたし離れ辛かった。でも私は決めたんだーー自立すると。

私たちはアメリカでよくある財産がある方が離婚時に財産の一部を配偶者に渡さない契約「プレナップ」をしていなかった。彼が一番恐れていたのは、私が弁護士を通して、離婚時の財産の分配や配偶者への手当て、要するにお金を取られるのではないかという恐怖だったと思う。

でも私は、「I’m not gonna take a money from you」。と彼に言った。世間から見れば彼はどれだけラッキーだったかと思う。お金が欲しくなかったわけじゃない。お金に細かい彼と一切お金の交渉をしたくなかった。言ってみれば、彼とお金の話を毎日のようにしたくないから別れると言っても過言じゃない。

離婚時にそんな寛容な条件を出す妻は多分、カリフォルニア中探しても私1人だと思う。周りの友達から弁護士の話などを持ち掛けれれても、私はその嫌な時間に莫大な時間とお金をかけるより、ゼロからムーブオン(前に進む)したかった。


【第39話】引越しの日ーー今日から自分の意思で生きる


引越しの日が来た。通訳の仕事が忙しく、引っ越しを決めて2ヶ月も経過したが、ルームメイト達は待っていてくれた。その日、運転した事もない大きな2トントラックを借りた。「私1人で運転できるのだろうか」とても不安だった。が、今日からは1人。やるしかない。覚悟を決めた。

朝8時、夫のM氏がホームセンターまで(手伝う人を探しに)運転してくれた。
ホームセンターに到着すると、引っ越し専門のトラックを見るや否や、100人くらいのイリーガル(訃報滞在)の日雇い労働者達が一斉にトラックに集まってきて、「オレ、オレ、オレを雇ってくれ!オレの乗せろ!」と群がった。 ほとんどがメキシコからの不法移民。1人1人仕事が欲しくて必死でアピールしている。20代くらいから60代くらいまでその年齢幅もすごかった。その中からキラッと光った若い男を1人トラックにのせた。 

自宅に戻り、この若い男性と私の2人で積み込み作業をし移動する。この男性は慣れているようで手際がよく、黙々と仕事をし、英語も喋るので(ほとんどはスペイン語しか喋らない)やり易かった。
積み込みは終わり、夫に別れを告げ、いよいよ私1人の旅立ちだ。問題は私が運転したこともない、こんな大きなトラックを運転できるかということだった。心臓はバクバクしている。でもやるしかない。ここから先は頼れる人はいないのだから。

決死の覚悟で運転を始めた。フリーウェイは楽だけど降りたら新しい家まで細い路地が続き緊張の連続だった。最後の狭いターンを過ぎ、無事に引っ越し先に到着した。

これから新しい家になる玄関に着くと、オーナー、新しいルームメイト、そして3人の友達が笑顔で待て迎えてくれた。「手伝いに来たよ。引っ越しおめでとう」! 嬉しくておもわず涙が出た。孤独で凍りついた心が溶ける一瞬だった。


友達が帰ってから、手伝いの男性とトラックを返す為、再び大型トラックを運転してバークレーまで戻ってきた。昨日からの緊張もあり、慣れないトラックの運転、別居の為の引越し。本当にいままで味わった事のない長い長い1日だった。

新居に戻ったその夜、部屋で1人になった途端どっと涙が溢れ出た。自由になった嬉しさと6年間一緒に居た夫から離れた不安が重なり合う。「これから1人でやっていけるかな」。

夫からは一切お金をもらってないし、所持金も限られてるけど、全て私が決めた事。これから1人で生活をしていくんだ。大きなイベントをやり遂げた虚脱感と不安とが入り混じる。山積みになったダンボールそのまま、初日が終わろうとしている。疲れているのに中々寝付けなかった。

初めて自分1人のベットでこれまでの事を考えていた。夫とは常に肝心な話ができなかった。頭ごなしに怒られていた日々、コントロールされていた。ネガティブな理由はありすぎるほどある。一方で私にも非がある。私の仕事の会計処理は彼がやっていたんだし、経済的に依存していた。でも今日からは自分の意思で生きるんだ。


【第40話】カリフォルニア州でありえない弁護士も入れない簡素離婚

さあ、これから離婚の手続が始まる。すでに多くの友達から「良い弁護士紹介するよ」「2人の財産は半分取りなさい」など色々アドバイスを受けた。カリフォルニア州で離婚といえば、大概女性が得するように法律で定められている。

夫婦共有財産は家も含めて全て半分ずつ、女性が主婦で働いていない場合、あるいはパートとかで収入が少ない場合は、その後何十年も収入の40%を奥さんに支払わなければいけない。まして子供がいれば、成人するまで養育費を支払う必要がある。

カリフォルニア州の離婚は、通常は壮絶な戦いが展開される。お互いに(財産を分配しないため、あるいは多くの財産をもらう為)良い弁護士を探し、何年もかかるのが通例。

しかし、この何10万ドルももらえる可能性大の離婚イベント、私は全部スルーした。理由は一つ。夫は私が今まであった人の中で最もケチな人で、金銭に細かくきっとあれこれ財産を私に渡さないように全力投入するのは目に見えていた。

お金の話を一ミリでもしようものなら、手段を選ばず「自分の金」を守り抜くような人だった。別れた最大の理由も「この人と2度とお金の話をしたくない」と思ったから。まして戦ってもその期間ずっと私は傷つけられるのも分かっていた。こんな時、英語ネイティブとは戦えない。

たとえば弁護士を雇って、例えば2年かかって争っても、せいぜい取れて4000万円くらい。*結婚する前から彼が持つ住宅は当てはまらないので、アセット(現金)の分配金や彼のビジネスなどもその中に入ってくる。お金をもらわない手はないというのが一般の考え方。でもそのために費やす私の時間は? 私の精神力は? そもそもお金の話が最初からできる人なら私は別れてなかったと思う。

私が出した唯一の条件は、(彼の家へ)引っ越しする前に捨ててきた家具や生活に必要なものを出し欲しい、とそれだけ。 引っ越し先には何も無かったので IKEAに行ってベットから家具など全て買った。それでもたかが50万円くらい。

そのくらい何も聞かずにさっと出してくれれば良いのに、領収書の全ての項目をくまなくチェックし、これは良い、これはダメとコメントしてきた。その詳細を見るのも悍ましかった。最後の最後まで私をがっかりさせてくれる。それでなくても離婚で財産請求をしないだけでも、彼はどれだけラッキーなのか計り知れない。

もし膨大な時間と弁護士代に何百万もかけて何年も争えば、私の心が疲弊して、自由に青空を飛べない鳥になってしまう。ーーそう思った。

人はお金が絡むと変わるというけど、争わなくても「働けば良い」というのが私の考え方。私は争って相手を(から)一生恨むより、「ムーブオン」した。

結局カリフォルニア州であり得ない、弁護士も入れない簡単すぎる離婚はあっさり終焉した。

「それで良い」。それから何年経っても私は自分の選んだ道を後悔していない。何故なら、限りある時間を次のステップに繋げたのだから。



【第41話】シングルアゲインーー新しい自由な生活

引越の日から少し経過し荷物も片付き、心も徐々に落ち着ついてきた。泣く回数も次第に減って、「前に進まなきゃ」という思いが加速し始めてた。依存症とは恐ろしいもので、あんなに「ダメ」と思った夫でも夜になるとキュンと寂しさが襲ってきた。それまでの生活を変えるのは、精神的にも時間がかかる。でもここから進むしかない。

一方、心は晴れやかだった。すごく重いものを、ずっと背負ってた重いものを、全て脱ぎ捨てたような感覚を覚えた。もう彼に怒られたり、気を遣ったり、寂しい思いをする事はないんだ。今崩れてバラバラになった「愛」のカタチを全部掃除機で吸い取って、「私」という本来あった土台のみが見えてきた。

新しく借りた部屋の東側に机を置いた。朝は朝日が慰めてくれ、夕方になると薄いピンクと水色に塗られた黄昏時の空が目の前に遭わ心を癒してくれた。心から「美しい」と思えた。好きな音楽を聴く、そして想いに耽った。

シングルアゲインーーこんなボロボロに傷ついた羽根でもまた飛べるだろうか。あの黄昏の美しい空にに向かって叫んだ。「大丈夫。私、やっていける」

相手と長く一緒にいると気づかなかった、自分が受けていた言葉の暴力に「いつか仕返ししてやる」とずっと思ってた。でも、だんだん時が経つにつれ「争う事はやめよう」と思うようになった。なぜって、そのネガティブなエネルギーを使う時間がもったいないと思ったからだ

私が離婚の話をすると、周りに同じ境遇の人が居る事がわかった。私と同じように、言葉の暴力を受けている女性は少なくないのだ。

振り返ると、この結婚は悪い事ばかりではなかった。彼が居たから今のアメリカでの生活があるのも事実。彼は私のおかげで憧れの「日本」にも家族として歓迎してもらえたわけで、良く考えればお互いの条件を満たしていた。

無条件の愛ってあるんだろうか? 当時は悩んでいたが、幸か不幸か2人に子供ができなかったおかげでムーブオンできた。エゴと理想で造り上げた虚像は今崩れ去った。「愛」は尊い。 信じてたトゥルーラブ、「愛」という名の「イリュージョン」に翻弄された長い年月に幕を閉じた。

これからは私が「私らしく生きる」人生を、そして私を私のまま受け止めてくれる誰かを探したい。まだ45歳。きっとトゥルーラブはどこかに潜んでいる。

それから何年か経過した後、私の離婚と離婚の仕方は間違ってなかったと証明できる出来事が起こった。 運命の神様は私に世界で一番素晴らしい人を与えてくれたのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?