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【22話】人生の賭け:フリーランスになる

従業員として最後の仕事となる Bタウン雑誌の最終号は特別丹念に作った。特別カラーページを作り全てSFグルメ特集にして、広告記事として作った。この号はページレイアウトも良く好評だった。なのに、もう次号はない。

5年半ひたすら働いてきた日々に幕が降りた。もう客からも電話がかかってこないと思うど、フヌケになった。リズムがいっぺんに変わって私の体も戸惑っている。何日か寝れない夜が続いた。かと言って、主婦をやっているわけでも、子育てをしてるわけでもない。無力感が漂う。「私ってなんの為に生きてるの」?

普通なら、家事をしたり、部屋の模様替えをしたり色々やる事があるはず。前にも説明したように、この家には「何もさせてくれない」主人がいる。私は相変わらず毎日オフィスに通い、特に紙面に載るわけでもないのに、雑誌を作っていた時と同じように、リサーチをしたり、記事を書いたりしていた。これって、失業なの? 

都合よく世間では、「フリーランス」という便利な言葉もある。忙しかろうが、仕事が無かろうが、一応「フリーランス」という肩書きが使える。ちょうどウェブサイトが流行り始めていた頃。ある日、「この膨大な情報と写真、プリント雑誌でなく、ウェブサイトに移行できるんじゃないかな」という案が浮かんできた。そう考えるとワクワク感が蘇ってきた。

収入がゼロになれば、生活費を夫に頼るしかない。アメリカの夫婦はほとんどが共稼ぎ。日本の主婦のように旦那からお小遣いをもらうなんていうのはほぼ無い。まして彼に限っては、絶対お小遣いをせびりたくない相手なのだ。やっぱり男を頼っていきたくない。たとえ夫でも。

そのうち蓄えもなく小遣いもなくなった。時間はほとんどウェブサイトの立ち上げに使った。写真と文章を集めて編集していた。

お金がなくなると好きな服や靴も買えないし友達との外食もできなくなった。 オフィスを借りていた一階にはダンススタジオがあった。息抜きに時々下に降りていき、タンゴや昔懐かしいジャズダンスのクラスを受けたりした。充実した忙しい日々が懐かしい。

仕事をしないと夜が長すぎる。しかもこの夫婦は夜を一緒に食べない変な夫婦。早く家にも帰りたくないし私は1人でダンスに行ったりヨガに行って(時間を稼いで)いつも通り家には夜11時くらいに帰宅した。

ハッピーじゃなかった。これから仕事を探すと言っても履歴書と言えば、「編集」しかない。私のような英語も不完全な移民者が日系以外で編集者として働く事は100%不可能。だとすると、次の仕事はやはり日系の雑誌に頼るしかないのか。模索しても考えても「次に何をしたら良いのか」頭に浮かばず、結局Webサイトのコンテンツを書き続けた。

ある時閃きが来た。そういえば、1年前、「地球の歩き方」から連絡をもらった。私が代表をしている雑誌の情報が欲しいという事だったが、もっと話せば、彼らは毎年サンフランシスコまで取材に来ているという。「だったら私がご案内しましょうか」?その一言で採用された。

それから「地球の歩き方」サンフランシスコ・シリコンバレーシリーズでは15年間、関わる事になった。でも仕事はわずか2週間で終わってしまうものだった。でも取材したものはページに掲載される。フリーランス編集者としての小さな一歩を踏み出した。結局このガイドブックでの経験をきっかけに最終的には7冊のガイドブックを書いていた。

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