教員になるまでの道のり
今までの思い出はぜーーーーんぶ捨てました。教材も何もかも。
ただ、唯一残ってたのがこれ。
まだ、開けてみると中も何本かあってびっくり。
ここぞという会議に本当にお世話になりました・・・・。
さて、さて、私がなぜ教員になったのかをダラダラ書きましょうかね。
なぜ教員を目指したのか
小学校時代ふと思ったことがあります。
「みんなは将来の夢があるのに私にはない。」
そんな時、見つけたのがこの本
もしかするとご存知の方もいるかもしれませんが、こちらは灰谷健次郎先生が書いた本「きみはダックス先生がきらいか」
実はこれゴスペラーズの村上てつやさんも人生の指針となった本の一つだとか↓
とてものんびりでなんだか頼りないダックス先生。しかし、先生はいざという時は子どもたちの味方となり、そして危険な時は助けにいく。
僕は、ふと小さいながらに思ったのです。
「あぁ、こんな人になりたいな」「誰かに頼られるって良いかも」
そういえば、僕は小学校高学年になった時から母が平日はずっと仕事でいないので留守番続きだった時いつも友達が家に遊びに来てくれていました。
悩み事を聞いたり、恋バナを聞いたり・・・ふと思うと聞く側が多かったな。それとあんまり成績良くないけど、まあまあ勉強出来てたから友人の宿題教えるなどしてたような。。。。
そういう意味では自分教員になるのありだなって思ってました。
その意思は中学・高校と変わらず・・・・。
ただ下記にもあったようにこんな状態だったので根っこは教員になりたい気持ちはあったのですが・・・。まぁ・・・若気至りっすね。
↓(これはちゃんと反映されなかった・・・なぜだ・・・)
https://note.com/be062893/n/nd35b00f11979
大学も変わらない意思で入りましたがこの記事で書いた通りボランティアに出たので揺らぎ始めました。↓
まぁ、なんでかは小学校の頃に出会った本がきっかけってことです。
ここからは、別タイトルで色々ダラダラと書こうと思います。
私は
結論から言うと念願は叶えて特別支援学校の教員として5年働きました。
ただ、本当は中学の社会科の教員になって吹奏楽部の指導者になりたかったのです。
なぜ、その道を諦めたか。
理由
①ボランティア活動の影響
実は頭はあんまし良くなかったのですが、社会科の成績だけは偏差値70という感じでした。
特に地理分野は得意で毎回90点取るほどの勢いでした。
そして、塾でバイトしていたときは、社会科のエキスパートとして社会のコマばかり担当を受け持つ機会が多かったです。
それくらい、社会が好きだった。しかし、それは地に落ちたのです。
それが2年間のボランティア活動
僕は毎日勉強することで常に知識をアップデートしていくことができた。
しかしそれができない環境だった。
そのせいで帰ってきてから中々ブランクの知識を戻すのが大変だった・・・
なので諦めました・・・。
それに器楽も2年間まともにやっていないので挫折。。。。
夢は絶たれたのです。
②結婚相手の関係で。
実は、在学中に結婚を前提に付き合っていた人がいました。
その人が教員で同じ自分が通っている教会の人でした。
その人が出してきた条件としては
「日曜日教会に通えること」
うげ・・・。って思いましたがここも若気の至り・・。恋の盲目になっていた私は進路変更&生活の安定のために学校種を変えることにしました。
そこで私が目指したのは「特別支援学校の教員」
土日も休めるし、いざとなれば定時で帰れるからです。
正直それしか目的なかったので教育実習は辛かったです。
採用試験は現役でなんとかなりましたが、ぶっちゃけここからはかなり辛い状況と化していくのでした。
終わりに
さて、ここからは地獄だった教員生活の話
ご不快に思われる話も多くあるかもしれません。
しかし、私は私
私はまず自分の今までを吐き出してから本来の目的へ向かいたいのです。
ご辛抱くださいませ。
いつも忍耐してご覧になっていただき誠にありがとうございます。
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