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2021年への橋渡し日記 1227-0102

1227

やっと長いインタビューをまとめることができた。

とりあえず第一稿なので、今後さらに書き足していただく箇所もあり、充実させつつ削るようになるかもしれない。

将来おそらく誰かによって書かれる誰かの評伝が正史だとするなら「外伝」のようなものだと感じる。

 

 

1228

年末ムード漂う中、04号に原稿を書いてくれる方とのメールのやり取りが進む。期待が高まる。

「細野晴臣と彼らの時代」を買った。

 

 

1229

講談社選書メチエ「自由意志の向こう側」と光文社新書の蓮實重彦「見るレッスン」を探すが蔦屋書店にはなくて、その近くの書店アカデミアにはあったので購入。

前々から、広いスペースを持っている蔦屋書店の品揃えが悪いのであまり足が向かなくなってきた。

 

 

1230

年末年始は「自由意志の向こう側」「見るレッスン」「細野晴臣と彼らの時代」、他に中沢新一、スピノザ、石川淳、チャンドラーなどを読む予定。

 

 

1231

本の整理をしていると、良い本がたくさん出てくるので読む。30冊ほど不要な本をブックオフに持って行く。2,3日前に持って行ったのが1000円、今日はビジネス関係の本ばかりで1600円になった。

 

「今年は何々でした、来年は何々をします」式の挨拶を考えると、音楽についてはまとめにくい。何か目標や目的の似合わないジャンルというか。音楽は予定を立てて取り組むものではない。教訓や効用を意識しないで味わったり楽しんだりするものだ。せいぜい「来年も自分にとってのよい音楽を多く聴きたいです」くらいしか言えない。

 

 

0101

今年は「ベレー帽とカメラと引用」の04号を出して、できれば05号も出したい。これが新年の抱負で、それ以外は特になし。

 

過去のQJを何冊か読んでみると、20~30年ほどの時差があるだけ味わい深い。つい二三日前に、はてなでも話題になっていた「関西人の典型的な描かれ方」の歴史があり読みふける。どの記事も連載も諸行無常を感じさせる中で、戸川昌士の日記を読むとホッとする。雑誌の巻末の方でひっそりと、力の抜けた日記があるのは風情があっていい。

 

戸川昌士は自分と同じくらいの年かなと思ってウィキペディアを見ると、20歳くらい離れていた。「ペンネームは戸川昌子に由来する」 とあった。こういう一文字違いのペンネームや有名人のもじり的な名前の多くは原典不明になりつつある。

 


「中森明夫」や「宅八郎」だって最初は何のもじりか誰でもわかったものだが、今ではかなり怪しい。ちなみに翻訳家の浅倉久志はアーサー・C・クラークのもじり。半村良とイーデス・ハンソンは偶然似ているだけである。

 

 

0102

予定の他にDVD「このスプーンは結構うるさい」を見たり、2017年の「レコード・コレクターズ」の松本隆の特集を読み直したりする。



語彙の面から考えていると小沢健二と佐野元春、ユーミンの歌詞を比べてみたくなる。こちらを脅かすような、はっとさせるような単語の使い方が小沢健二や佐野元春にはある。

 

ユーミンは「星空の誘惑」における、これを思いついた。

 

オレンジのトンネルの中は

横顔がネガのようだわ

 

「昨日と今日」のこの部分と比べてみると、

 

壁や窓を覆う赤い影ぼうし

夕暮れに男がひとり部屋を出る

 

構図や形は異なるものの、言葉によって描かれる「地がオレンジ色で、その上に影によって形が作られる図」としてはよく似ている。

 

N4書房に新年初の注文が来た。まさか一月二日に来るとは予想外。しかもお名前を見ると、かなり有名な方ではないかとドギマギする。

 


 

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