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【過去記事供養】 比較の先に幸せはない

日本では小さい頃から「1番=一番すごい」という評価指標のある義務教育システムにて12年間もある意味洗脳されるので、1番じゃないと負けとか、勝つことこそすべて!!!みたいな感覚が植えついてしまう。(っていう価値観で生きています)

競争意識をもつことはときに必要で、悪ではない。
けれど、全てでもない。目的と手段のようにすり替えちゃいけない
勝つことがゴールじゃなくて、勝ったらどうなる?どうなりたい?
がないと、勝ってもむなしいよ?

人と比べて、自分が優位だから得る幸福感には持続性がないし、本質的に自分が欲していたり、在りたい自分ではないことがあったりする。

それを社会にでても引きずってしまうもんだから、やれあの人が贔屓されているだの、自分はなにをしても評価されないだのと言い出す。しかなくなる。でも社会ってさ、会社文化もあるとはいえ、社会にでたらみんなタメみたいなもので。年齢、性別に関係なく、求められることをジャストでしてくれるひとを探し合い、そこに価値があり、価値や感謝に報酬としての金銭が発生する。

◯◯稼ぎたい!!とか、なんで?を考えたほうがいい、あの人よりいい暮らしがしたい!とか、一般的には〜〜な生活レベルだっていうから、といろんな情報に踊らされていては、このご時世波に揉まれまくって疲弊してしまいます。

疲れるでしょ、ずーーーっと競争してたら、人生にゴールなんて無いし。勝ち負けもない。自分がどういうことがスキで、何をしていると幸せか?それを求めてくれるひとはどこに行けば会えるのか?そんな事を考えながら、らしさをのばし、それを求めてくれる(価値を認めてくれる)場所をみつければ、競争では得られない幸福感と、人生の充実感を得ることができるし、そういう環境下での競争があったとしても、とても健全なものであり、戦った相手とは同志になれたりする。

そしてそういうときにする努力は苦労ではなく、楽しくできる(しんどさみたいなものはすくなからずあるけど、それは成長痛みたいなことだと思う。)

大人たちよ!学校で教えてくれたこと、学校であったことは、一旦わすれて、自分がどうしたいのか、まずは考えること(考えていいんです。考えるのはタダだし、自由。あなたの脳内で自由にスパークさせましょう)

そして決めること。やること、やらないことの両方。自分のことは何だって考えて、決めていい。知らないことは知っている人に聞くか、まずやってみて覚えればいい。ミスとか、恐れないでいい。(命にかかわらなければ)ミスは落第じゃない。そもそもミスじゃない。学んだということ。

自分に忖度かますのはもったいない。
自分がしたいように生きて、自分で自分のごきげん取りましょ




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