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考え方を変えると「これで良かったんだ」と思えることが幸せにつながっている

小学生の息子が学校に行ったあと電話が鳴るのは、本当に困っている時。

そんな時の担任の先生の声。
息子本人と話していれば親子の話になってしまうところも
不思議とヒーリング効果があるようで妙に落ち着いて話ができる。

今日は今年最後のプール授業の日。

夏休み明けは
「学校のプールは嫌い。だから入りたくない」と言っていた小2の次男に、
「最後なんだから」とプールバッグを持つよう声をかけていた今朝の登校時。
何をどう話しても「いらない」の一点張り、
そこまで頑なに拒否するんだから、相当な思いなんだろうと察していた。

それなのに、担任の先生からの電話で、
「お友達に誘われたから、プールに入るそうです」とのこと。
天気もいいもんね。ちょうど良かったじゃない。

それならそうと、
どんな顔でその”プールバッグ”を受け取るのか拝見してやろうと
学校まで届けに車を走らせた。

教室まで行くと、
ニヤニヤ、というか、照れ隠しというかなんとも言えない表情で
バッグを受け取るなり顔を隠して引っ込んでいく。
私が要求してようやく
「ありがと!」が言えたぐらい。

中身を確認して「OK!」のサイン。その直後、

あれ?サンダル、ない?

校舎からプールまでは同じ敷地内にあるとはいえ、
グラウンドの脇を100メートルほど歩く距離にプールがある。
濡れた足で、となればサンダルは必須。けれども、
夏休み前に一度家に持ち帰っていたものだった。

先生は「もうズックで行けば?」と言ってくれたのに「嫌だ」って。
一回『嫌だ』になると、本当に頑固。
まぁいいか!という”融通を利かせる”ができないタチで、
形から入るタイプなのか、完璧な状態じゃないとやりたくないんだろうな。
それだから「やっぱりやらない」となってしまいがち。

私?時間はまだある。
次男の頑固に付き合う余裕はまだある。
だけど最初みたいに「どんな顔して受け取るか」はもう見なくていい。
「もう一度家まで取りに行ってきたら、そのまま下駄箱に置いておくからね」
そう言い残して、学校で次男と別れた。

片道5分くらいの道のりの中で、一人になって思う。

”お友達の力はすごい”
”先生の早めの連絡に感謝”
”その場で荷物の確認してくれたから取りに戻れた”
”これで最後のプール、楽しめるかな”
”息子の困ったに対応できて良かった”

それぞれの行き帰りで思うことは違えど、

「ほら、やっぱり言ったじゃない」と思うイライラも、
「なんで何回も往復しなきゃいけないの」と思うモヤモヤも、
”息子のために”と思って”やってあげた感”があったのに、

その出来事ひとつひとつの捉え方や角度を変えたものの見方が、
後からでも冷静にできたのならば、
それはそれで結果的に
「良かったこと」に自分の中で変換されている。

そう思えたら今度は、
そんなふうに思えたこと自体、実は幸せなことなのかもしれない!
とまで思えるほどになっている私。

そう。
ものごとをネガティブに捉えるのも自分次第、
それをポジティブに置き換えるのも自分次第。

ずっとイライラを抱えて眉間にしわよせて怖い顔してるよりは
「そのくらいで済んだ」とホッとしてニンマリしている方が美しい(だろう)。

子どもの自由奔放な言動に、
親子の馴れ合いで瞬時に沸点まで到達してしまう。
勢いそのままに言い合いが始まる。そんなことが多い日常。
それだから一人になる時間があるというのは、
実はすごく貴重なわけで。

そんな時に、少しでも冷静になれたら。
実はそんなにイライラしなくていい案件だったことに気づくのだから面白い。
それすらも”面白い”と捉えられることも大事なポイント。

自分のご機嫌は自分で取る、ってとてもいい言葉。

イライラが溜まるとストレスになる。
ストレスが溜まると体に支障が出る。
毎日不調、のループにどハマりしてしまう。
それは、ストレスを感じたことがある人ならよくわかっていることだろうと思う。
俗に言う”負のスパイラル”ではないか。

イライラが溜まってストレスになる前に、
自分なりの都合のいい解釈にうまい具合に持っていくことで
その出来事の捉え方が変わり、いい考えが浮かんできて
ポジティブに変換、が可能になる。

それだけで、なんと「結果オーライ」って笑えるようになる。

忘れ物をした息子の荷物を持ってドタバタしてる自分を
ドタバタが終わってからその出来事を客観的に見てみる。すると
「これで良かったんだ」と安心して「今日も平和でなんて面白い!」

そう思える私「幸せだなぁ〜」と噛み締めている。


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