わからんもんやな人間って。I knew that people would change.

あなたには人生の師がいますか? 私には少なくとも3人います。星野さんと遠藤さんと坂中さんです。星野さんについては、別の記事で書いていますので、そちらをお読みいただけると幸いです。今回は遠藤さんについて書きたいと思います。他の機会に、坂中さんのことも書くつもりです。

私は別の記事でマクドナルドを舞台にした掌編小説を書きました。そのころ勤めていた広告プロダクションの上司が遠藤さんでした。背が高い、天然パーマで、口ひげを生やしています。派手な辛子色のジャケットを着ていたこともあり、クライアントからは「遠藤くん、君、吉本に転職か?」とか言われていました。遠藤さんは上司と言うよりも先輩というイメージです。実際に私と同じ大学の同じ学部を卒業していました。私より2歳年上で、当時結婚をしていて(ちなみに奥さんも私と同じ大学で学部は違いましたが同じ学年でした)、2歳くらいの息子さんがいたはずです。年齢差を考えると、私はキャンパスで遠藤さんや遠藤さんの奥さんとすれ違っていたかもしれません。「ほら、空手部が新歓コンパで1年を殺した事件あっただろ?」「ありました。急性アル中でしたか?」「あのとき俺もいた」「ん?」「俺は空手部じゃないけど、ツレがいたから」。そんなふう大学時代の話をした記憶があります。雑学に詳しくて、読書家で、ジャズも好きで、ピアノやギターも弾けたようです。遠藤さんもコピーライターでしたが、私のコピーにダメ出しをすることは、ほとんどなかったと思います。私が優秀だったというよりも、いい意味でいい加減で、自由にさせてもらっていたのでしょう。お金が余っていて、みんなが余裕があった、そういう時代でした。

こんなことがありました。遠藤さんのお父さんが亡くなり、会社のみんなでお葬式に行きました。遠藤さんという人は、何となく得体の知れない人で、そこが魅力なのですが、参列者に挨拶する姿は知らない人のように見えました。それから遠藤さんのお母さんと思われる人が見当たらないのも不思議でした(存命のはずなのに)。それから数日後、遠藤さんといろいろ話をしました。それが、移動中の車の中なのか、雀荘で卓を囲んでいるときなのか、カウンターでロックを飲んでいるときなのか、どんなシチュエーションだったのか、どうしても思い出せません。でも遠藤さんの言葉は覚えています。

「その場にお袋がおれへんかったんは当たり前や。俺は妾の子やで。いちおう、ま、認知だけは、されとったんやけどな。ほら、あんとき、なんか金持ち風の、おっさんやおばはんが並んでたやろ。あいつらぜえんぶ、腹違い。お前な、ずうっとまえに俺に訊いたこと、あったやろ。『遠藤さんは、飄々として自然体で、まだ若いのに、どうやって身に付けはったんですか?』って。あんとき、お前にどう答えたか忘れたけど。え、俺、なんも答えてないん? それは、えらい、わるうおましたなあ(笑)。今、答えたるから、よおう聞いとき。俺はな、子供んときから腹違いのあいつらを、いつかぶち殺したる、それだけで生きてきた。俺とお袋だけが苦労すんのは間違っとる。ずうっとそれだけで、夢も希望も未来も、なんも、なかったわ。それがな、幸か不幸か、嫁はんもろうて子供こさえて。そうなるとな、わからんもんやな人間って。自分でも不思議やけど、昔のこととか自分のこととか、もう、どうでもようなってん。詰まらん答えで悪いけど。人生、ま、そんなもんやで。でもな、嫁はんも子供もおらんかったら、そおいう俺やったらな、あの夜、血の雨、降らせてたやろな。知らんけど(笑)」

追伸

ちなみに、私はnoteで二人の師を見つけました。ウオールデン さまと小野信也 さまです。もちろん、お二人をフォローしています。お二人は、その記事から、人生の経験と生きる智慧にあふれた方々だと推察します。ありがたいことに、お二人から私はフォローしていただいています。お二人が読むかもしれないと思うと、私はnoteに記事を書き飛ばすようなことはできません。お二人に読まれて恥ずかしくない記事を、これからも書きたいと思っています。ウオールデン さまと小野信也 さまの記事を、まだ読んでいない方は、ぜひご一読ください。お二人の記事は、あなたの心を揺さぶります。あなたを成長させてくれる、気づきにあふれています。一読の価値あり、です。


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