若き書店員の疑問 Young bookstores wondered that.

 40年前、私は大学時代に町の書店でアルバイトをしていました。その書店が、通っている大学の近くにあり、住んでいるアパートの部屋(4階)の真下(1階)だったこともあり、書店員募集の求人広告の貼り紙を見て、すぐに応募しました。時給は400円くらいだったと思います。ちなみに、文庫本は1冊200円くらいの時代です。
 私は大して熱心な書店員ではなかったと記憶しています。立ち読みを叱るでもなく、万引きされてもわからないくらい、売物の本を熱心に読んでいたからです。その代わり、年末年始もお盆も土日も休みなく働きました。最終的には店長代理にまでなりました(なぜだろう?)。
 ここからが、この記事の本題です。書店でアルバイトしていると、出版社からの色々な販促物や予約出版用のチラシなどが送られてきます。一般のお客様より前に、書店員が読めるものです。特に私は販売促進用の、予約チラシを見るのが好きでした。ある日、ある出版社から、文学全集のチラシが送られてきました。「昭和文学全集」というようなタイトルの予約注文のためのチラシだったと記憶しています。
 そのチラシをぼんやり眺めながら、私はバイト仲間の大学の友人と話し合いました(彼とは2020年の今でも仲の良い友人です)。
「これは、あまり売れないね」「そう思う。売れないよ」「だって、村上春樹が、ないもの」「どこにもないね」「ないよね」「どうしてだろう?」
 私も友人も村上春樹さんのファンです。なのに「昭和文学全集」のチラシには「村上龍」の名前はあっても「村上春樹」の名前がありませんでした。作家・村上春樹のデビューは昭和54年(1979年)です。なぜ「昭和文学全集」に、その名前がないのか?
 その理由を知ったのは1997年、『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(村上春樹著・安西水丸絵・朝日新聞社刊)でした。この中にある「文学全集っていったい何なんだろう」というタイトルのエッセイで、その顛末が記されています。最初はチラシ(エッセイではパンフレット)に「村上春樹」の名前があったということです。それは作家村上春樹が認めたわけではない、いわゆる事後承諾であったとか。全集に載せてやる的な、もうパンフを刷っているからとか。それについて「長距離鉄道貨物みたいな扱い方はされたくない」村上さんは、全集から作品を外してもらうことを要求します。
 私は編集者の経験があるので、出版社の気持ちはわかりますが、事後承諾は作家を馬鹿にしていると思います。編集者は作家を支配する立場ではなくて、ともに走り続ける存在であるべきだからです。
 顛末を記したエッセイには、村上さんを「ここはひとつ折れてはもらえまいか」と説得するために、別の出版社の編集者や作家の吉行淳之介(村上さんのデビュー時の審査員)まで登場します。閉鎖的で、政治的で、当時の出版社と編集者と作家の勢力図が見えてきそうで、冗談抜きで恐ろしくなります。
 もちろん村上さんは説得には応じません。その結果、私の見たチラシには「村上春樹」の名前はありませんでしたし、実際の全集にも作品は掲載されていません。大抵の作家は、そこまで説得されたら、きっと折れるでしょう。その方が、その後の自分を取り巻く状況がスムーズに運びそうですし、出版社に貸しを作るという意味でも有益かもしれません。
しかし、作家はサラリーマンではありません。作品で勝負です。読者が全てです。その後の作家村上春樹を成長と進化を知る限り、全集への掲載を断ったことは正解であったと思います。少なくとも、作家自身の覚悟の度合いを高めただろうということは想像に難くないです。

追伸

 村上さんは、このエッセイの中で、全集企画担当者の自死に触れて「似た事態がもう一度起ったら、やはり僕はまた同じことをするだろう。」「その責は僕がきっちりと両肩に負って生きて行くしかない。」と記しています。村上さんの覚悟を知るとともに、読者である私も覚悟して読まないと、と思いました。

 ここまで書いてきて、私の心に不安がよぎります。ここに書かれていることは、40年ほど前の私の記憶に基づく事実ですが、私が書店でバイトしていた時期と、全集予約の時期とが、微妙にズレているようにも思います。しかし、友人との会話の記憶もあります。村上さんのエッセイからの引用も事実です。でも、村上さんが記している全集と、私の読んだチラシが同じ全集なのかどうか。ひょっとしたら時期がズレているかもしれない、という曖昧さは拭えません。なので、この記事は、エッセイであり、コラムではありますが、(掌編)小説のマガジンに入れます。悪しからずご了承ください。

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