ただ生きてください。Please just live.

最初に断っておきますが、この記事では明るい話は、ほとんどありません。「そんな記事など読みたくない」と言う方は、私の別の記事をお読みいただけると幸いです。この記事では「鬱病」について書きます(読むのを止めるなら今のうちです)。

私は鬱病です。今は症状が隠れていますが、根治したとは思っていません。そもそも、そういう病ではないと思います。折れた骨が治るとか、風邪が治るというレベルではありません。「鬱病は心の風邪」と言う表現もありますが、当事者から言わせてもらえば「鬱病は誰でも罹る病」という意味では間違っていませんが、やはり違和感はあります。私という一人の患者が、当事者の目線と立場で鬱病を語ります。私の記事の内容が、医学的に正しいのかどうか、そして他の人にとって、たとえば今読んでくれているあなたにとって、有益なのかどうか、無責任ですが、私にはわかりません。一切責任も持てません。しかし書かずにいられないので、私はこの記事を書きます。問答形式ですが、答えは全て「私の場合は…」ということです(念のため)。

問い。どんな人が鬱病になるのか? 答え。私のような人。思いつくままにできるだけ客観的に、私のことを書き出せば、こんな感じです。自己肯定感が低い(評価されたいが、見合うだけの、能力も実績もない)。現状に満足しにくい(こんなはずじゃなかった、と思いがちなのに、大きな変化を好まない)。責任感がやや強い(仕事はきっちりこなしたい。約束は守りたいので、なるべく約束はしない)。能力以上の仕事を求められがち(論理的な思考が出過ぎると、仕事ができると思われて、ハードルが上がる。結果を出せれば、次への期待が、重圧に繋がる。結果が出せなければ、評価が下がり、自己嫌悪に陥る)。不正は憎むが戦わない(そういう状況から、距離を置くようにする。不正に加担するぐらいなら、逃げて貧乏を選ぶ。正義感が強いわけでは決してない)。いつも逃げ腰で転職しがち(上司からの新たな提案に応えられない。降格、異動、単身赴任、昇進でさえ、とても困る。変化を好まない頑固なくせに、何かが嫌になると、何となく辞めたくなる)。常にワーキングプア(贅沢や浪費の経験は、ほぼなし。欲がないので稼がないのか。稼がないから欲が生まれないのか。現状、猫を飼っていることが、唯一の贅沢。吝嗇ではないと思う)。以上のことは、ごく一部ですし、相互での矛盾も多々あります。仮に、全て当てはまった人でも、鬱病にならない人も、もちろんいます。

問い。鬱病は遺伝するのか? 答え。父親から遺伝している、かもしれません。すでに亡くなった私の父親は、高校の数学の教師でした。あなたが想像する通りの、嫌われやすい教師です(頑固で融通の利かない冷たい感じ。容赦なく赤点をつけて、生徒を落第させるタイプ)。家でも、そのままの教師的な人でした。想像してください。夕方、あなたは学校から家に帰ってきます。「ただいま」「おかえり」。カレーライスかしら? 夕ご飯の良い匂いが漂ってくきます。そして茶の間をのぞきます。するとそこに「高校の数学の教師」が寛いでいます(ぞっとします。いつものように)。しかも私と父親は41歳も年が離れています(母親は父親より16歳年下)。第二次世界大戦に行って帰ってきた大正生まれの男と、昭和生まれの戦後民主主義教育で育った私では、楽しい会話が成り立つわけがありません。父親は、当たり前のように、よく母親を殴りました(そして母親は頻繁に実家に帰りました)。もちろん私も。どこに地雷があるのかわかりませんでしたから。論理的なくせに気分屋で、饒舌になったり無口になったり。付き合い難い人でした。教師として優秀だったのかどうかわかりませんが、定年退職まで、ただの教えるだけの肩書無しの教師でした(根回しもできず、空気も読めず、そのうえ年下の校長の下では、大きなストレスがあったことでしょう)。当時は鬱病という言葉はなく「ノイローゼ」が一般的でした。私たち家族は父親を、そう認識していました。公正を期すために付け加えておくべきは「教育には金を惜しまない人だった」ということ。息子を国立の教育大学の付属小中に越境までさせて通わせたのに、落ちこぼれていく姿を見ているのは、父親としては悪夢だったはずです。「何者かにならなければ、生きている意味はない」ということを言われながら、常々プレッシャーをかけられ続けた息子にとっても、それは当然、悪夢でしたが(私の「自己肯定感の低さ」の遠因は、きっとここにあります)。私が地方の名も知らぬ私立大学(数学から遠く離れた文学部)に一浪の末、やっと入学できたとき、国立一期校(工学部)卒を自慢する父親は、憮然としていましたが、入学の手続きに必要な費用は出してくれました。

問い。鬱病になるとどうなるのか? 答え。思考が同じところをグルグル回り、生きるための出口が見えなくなります。自殺願望が募り、実際に、ビルの屋上や橋の上に行ったことも、一度や二度ではありません。私は日常的バイクに乗るので、バイク事故に見せかければ保険金が下りると、本気で思ったこともあるくらいです。それから夜は眠れなくなり、一日中何も食べる気がしません(酒や煙草の量は増えます。アル中や肺癌を期待するように。そして時々、過食して吐き出します)。家庭に限れば、無口になるため、妻との普通の会話が成立しません。遣る瀬無い諸々の感情が爆発して、大声で鳴き叫んだり、家具をぶち壊したり、妻に対して暴言を吐くこともあります(言葉のDVと言ってもいいくらいです。なぜか妻は、私が鬱病で最悪の時でも、私を捨てて実家に帰ったり、離婚したりもしませんでした。今となっては感謝しかありません)。私は、ただの一度も、妻に暴力は振るいませんでしたが、それ以外は、まさに父親とそっくりでした(そう気づいたときに、遺伝を疑ったのです)。私は妻を愛しています。なのにその妻に迷惑をかけています。そういう自覚は十分にありますから、なおさら自己嫌悪に陥ります。それがまた引き金になり、鬱が悪化します。自己を肯定なんてできません。職場では、私は何とか(辞めるまで)人格破綻をせずに耐えました。職場で時々奇声を発する人もいましたが、その奔放さが単純に羨ましかったです。私にとって、会社での仕事の重圧や人間関係などのストレスが、鬱病の主な原因でしたから、遅かれ早かれ会社を辞めることになります(大手企業なら辞めずに治療は可能でしょうが)。これまでの経験から、長くて、持って5年くらいです。そのまま勤めていては、冗談じゃなくて本当に「自死」を選ぶことになります(鬱病を経験したことがない人に、私が強く言いたいことは「本当に死んでしまう」と言うことです)。会社を辞めれば、多少ストレスは軽減されますが、結局、貧困に喘ぐことになり、また仕事を探し、またどこかに勤めて、また同じことが繰り返されるのです。無限地獄です。

問い。鬱病の薬は効果があるのか? 答え。一時的には効くようですが、継続的に効果があるのか、私にはわかりません。私が鬱病の薬を飲もうと思ったきっかけは「これ以上、妻に迷惑をかけられない」という思いからでした。2009年の夏から、鬱病の薬を飲み始めました。ちょうど新しい会社に転職した時期です。会社を辞めずに仕事をしながら(会社に隠して)鬱病を治せるなら、薬を飲むことも、やむを得ないと考えました。しかし普段風邪薬すら飲まない私ですから、副作用がとても心配でした。当時、鬱病に関する本を読み漁っていた私は、鬱病の薬が脳に作用することを知っていました。だから、何かの副作用で脳に障害が出るのではないかと恐れました。それでも「このままではいけない」という覚悟で薬を飲み始めました。実際に、確かに薬は効きました。鬱病の私は普段から先のことを考えすぎて、その考えは常に悪い方へ傾きます。しかし、薬を飲むと考えすぎなくなります。というよりも、何も考えなくなります。悪いことも、良いことも。想像してください。あなたは、視界が良好の道で、時速100キロで車を走らせています。次の瞬間、急に100メートル先が霧に覆われました。あなたは100メートル先までは走ることができます。でも、今まで通り時速100キロで運転できますか? 怖くてできませんよね。つまり、そういう感じです。100メートル先までなら走れる、ゆっくりなら走れる。その感覚は、薬を飲んでも何とか生きられる、というイメージです。しかし、です。当時私が勤めていた会社は小さな出版社でした。時速100キロで走っても、まだ遅いくらいです。薬のせいで仕事に支障が出るのでは、と私は不安になりました。しかし結果は、なぜか逆でした。いわゆるゾーンに入った感覚で仕事がこなせました。なぜだか脳が活性化したような気分でした。成果もそれなりに出せました。どういう脳の仕組みなのかわかりません。しかし長くは続きません。うまくはいかないものです。私の人格は微妙に変化しました。会社での私は、常に不機嫌でした。論理的と言うより感情的になり、相手に対するきつい言葉が増えて、笑顔が消えました。そのことを「もう少し配慮を」と上司も指摘しますが、私は結果を出していたので強気です。「それが何か?」という感じで一切無視しました。家庭も、薬を飲んで一時的に平和でしたが、すぐに一触即発になります。妻の暮らしは地雷原の中で生活するようなものでした。困ったことに私自身も、私の地雷がどこにあるのか、さっぱりわかりませんでした。妻に優しい言葉をかけようと思っても、その言葉が見つからないのです。口を開けば言葉のDVになりかねないので「飯」「風呂」「寝る」以外、口にできませんでした。そのうえ、薬の副作用なのかどうなのかわかりませんが、睡眠障害や摂食障害、さらに幻聴までも引き起こします(幻聴は、いつも砂嵐のような音の向こうから、囁きかけてきます。「もう死ぬしかないよ」という自分の声で)。このままではいけないと思い、薬の量を増やしたり、種類を変えたり、組み合わせを変えます。その結果は一進一退でした。ある朝、こんなことが起こりました。会社の近くの自動販売機で飲み物を買おうとして(小銭がなくて)千円札を入れてポカリスエットか何かのボタンを押しました。次の瞬間、私は横断歩道を渡ろうとしていました。記憶が飛んでいたのです。ほんの数秒なのか、それとも数十秒なのか。気がついて、自販機の前に慌てて戻ると、ボタンを押したはずのポカリスエットも、出てきたはずの釣銭も、何もかもが消えていました。ショックでした。誰かがポカリスエットと釣銭を盗んだことを、ではありません。自分の記憶が飛んだことを、です。私は酒に酔っても寝ぼけていても、記憶だけは確かでしたから。そして、恐ろしいことに気づきます。「会社の近くの自動販売機で飲み物を買おうとして(小銭がなくて)千円札を入れてポカリスエットか何かのボタンを押しました。」という私の記憶は確かなのか? そんなことは本当に起きたのか? いつから私の記憶が飛んでいるのか? 今の、この瞬間の私の記憶は、大丈夫なのか? 確かめる手段は一つだけあります。シャーロック・ホームズなら「君の財布に、あと何枚千円札があるのか確かめたまえ。簡単な引き算が、事実を教えてくれるさ」と言うでしょう。でも残念がら、もともと自分の財布に何枚千円札があったかなんて、私は全然覚えていません。そのときの何が、私の現実の記憶なのか、私は今でも確認することができないままです。私はそのあと薬を止めました。2013年夏でした。薬は少し残っていましたが、全て処分しました。主治医からは「勝手に服用を止めてはいけない」と釘を刺されていましたが、勝手に服用を止めました。怖くなったからです。主治医の名誉のために付け加えるならば、彼は共に戦ってくれた素晴らしい戦友でした。彼は「もっと専門的な医者を紹介する」と言ってくれましたが、私が辞退したのです。私は戦うには弱すぎたのです。専門医に会う勇気がなかったのです。私にとって、鬱病の薬は効きましたが、同時に効かなかったともいえます。今現在、どんな鬱病の薬があるのか私は知りません。もう薬を飲みたいとも思いません。それよりも、今後、どのようなタイミングで、あの4年分の服用の副作用が出るのか。それとも出ないのか。そのほうが心配です。ちなみに、この時期、私は専門医のカウンセリングを受けていません。認知行動療法などについては多少知識はありますが、私には向かないと思うからです。リフレーミングは確かに有効かもしれませんが、考え方の枠組み、つまりフレームを変えているのだという、その意識を消せるレベルまでいかなければ、効果は期待できないと思うからです(そして、そんなことは催眠術でもしない限り、少なくとも私には無理でしょう。私は催眠術など、されたくありません)。もちろん私の場合は、であり、素人の鬱病患者(以下、鬱者)として、ということですが…。

問い。鬱者を抱えた家族はどうすべきか? 答え。「何もしなくていいから、あなたには、ただ生きていて欲しい」と伝えてください。これは妻が私に言った言葉です。本当は、鬱者を抱えた家族である私の妻に、あの地獄の中でも見放さなかった私の妻に、記事を書いてほしいくらいですが、それは嫌がるので、私が当時の妻の行動や発言を振り返って書きます。まず、鬱者を鬱病の原因から離してください。できる限り遠くに。原因が仕事なら休ませてください。休んでも駄目なら、すぐ仕事を辞めさせてください。鬱者があなたに暴言を吐いても、あなたは鬱者の味方になって、こう言って宥めてあげてください。「本当のあなたは優しい人なの。私は知っているわ。鬱という病気が、あなたを変えてしまっただけなの。鬱が治れば、あなたは元に戻るから。大丈夫」。これも妻が私に言った言葉です。家族の形は色々なので、すぐに会社を辞めることなど無理かもしれません。でも鬱者は、最終的に、高い確率で自死を選びます。そこを肝に銘じてください。命より重いものは、どこかにあるのでしょうか? 鬱者は、自分を責めて、周りに迷惑をかけたと悔いて、自死という最後のドアを開くのです。そのドアはとてもとても軽いので、弱者となった鬱者にも、簡単に開いてしまいます。鬱者は、思考がグルグルと同じところを回るため、思考の視野はどんどん狭くなります。他にもドアがあることが見えないのです。生きるためのドアが見えないのです。他のドアが、そこに生きるためのドアがあることを、鬱者に優しく教えてあげてください。鬱者にそのドアが見えたら、あなたに、まだお願いがあります。生きるためのドアは、生きる力が弱い鬱者にとって、とてもとても重いドアなので、鬱者は開けることを諦めてしまいます。あなたも、鬱者の手を取って一緒に、生きるためのドアを開けてあげてください。お願いします。「死なないで」と言い続けてください。

追伸

私自身のために、覚書として書きました。私の中に、また鬱の病巣があることを自覚しているからです。私は、時限爆弾というか、不発弾のようなものを抱えながら、恐れながらも、今、鬱と共に生きているような感じです。きっとこれは一生続きます。私は鬱者になったことを後悔しているのか? それ以外の私を知らないので、答えようがありません。少なくとも鬱者である私を否定してしまうと、その瞬間に、私自身が消えてしまいます。

鬱者の家族が鬱者にならないために、家族は、何でも言える、聞いてくれるような、相談者をぜひ確保してください。私の妻は、私が最悪の事態を脱したとき「誰にも相談できなかったことが、あなたが鬱者になったことと同じくらい苦しかった」と、私に言っていました。

それから、子供を持つ保護者の皆さまへお願いがあります。「何者かにならなければ、生きている意味はない」と子供を追い込まないでください。「親が子に期待する、子が親の期待に応える」というのは、ある意味、親子関係の理想かもしれません。しかし、将来、子供が何者かに、なれたとしても、その何者かで、あり続けることは、そんなに簡単ではないでしょう。そして、その先には「死」があるかもしれません(暗い未来予想で謝罪します。何と言っても鬱者なので、お許しください)。「私の子供はあなたのように弱くはない」と言うあなたのご指摘はごもっともです。でも、人はちょっとしたきっかけで、ずいぶん弱くなるものです。それを忘れないでください。

子供には、いや、今を生きる全ての人同士が、こう言い合えないものでしょうか。「何もしなくていいから、あなたには、ただ生きていて欲しい」と。


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