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【推し短歌】日本語「ご縁」編「すべての物事には「運・時・縁」が関わっている」

同じ発想で、同じ視点で見ていても、見えるものは変わらないですよね(^^;

今まで見えていなかったものが見えるように、変えていけるところは変えて行く。

自分の考え方と気持ちが変われば、自然と見えるものも変わってきます(^^)

「比較言語学入門」(岩波文庫)高津春繁(著)

さて、比較言語学では、さまざまな言語を、起源が同じ言語をひとまとめにした語族というおおまかなグループに振り分けます。

例えば、古代インドから派生して中東や欧州に広まったインド・ヨーロッパ語族という語族があります。

面白いのは、インドのヒンディー語やイランのペルシャ語、英語やドイツ語は、インド・ヨーロッパ語族という同じくくりに分類されています。

英語は、インド・ヨーロッパ語族という大グループの中のゲルマン語派という中グループの中の西ゲルマン語群という小グループに属しています。

それでは、日本語は何語族に分類されるのでしょうか。

実は、日本語の起源は分かっていないようです。

敢えて、琉球方言とまとめて日本語族として扱うこともあるそうです。

もちろん、漢字、ひらがな、カタカナ等の文字は、中国の漢字が起源になっています。

確かに、日本語古来の文法や単語は、他の言語と比較しても共通点がなく、系統を探ることができないため、起源をたどれないこのような言語を孤立した言語と言います。

他には、フランスとスペインの国境地帯で使われているバスク語などがあります。

バスク語も日本語も、世界的に見て学習するのが一番難しい言語だといわれています。

他の言語と違いすぎて、文法を学ぶのに参考になる言語がないためです。

日本語では、

「私は、ご飯を食べた。」

「ご飯を食べた、私。」

「食べた、ご飯を、私。」

このように、語順を入れ替えてもなんとなく意味が通じてしまう日本語。

むしろ簡単なのではないかとさえ思ってしまいませんか?

しかしながら、英語では「I ate rice.」としか表現できませんよね。

「私/ご飯/食べた」「ご飯/食べた/私」「食べた/ご飯/私」の語順に関わらず、意味が日本人なら、ある程度分かるという理屈が、他言語の話者には理解できないようです。

この「わかる」という概念が自然に想起される根底にあるのは、個人的な解釈だけど、物事は、すべて繋がって成り立っているという考え方(言語学における意味論の肯定派の方々。因みに、チョムスキーの理論は、変遷はあるものの首尾一貫した意味論排除の基本的観点から成り立っていましたね。)ではないかと思っています。

だから、前述の通り、どこから始まろうと、日本人であれば、ご縁に含まれるその不可思議な働きに依り、意味を理解しうるのではないでしょうか。

これは、仏教でいう縁起の教えです。

縁起とは、因縁生起の略です。

物事には因(原因)があり、それに縁が作用して生起(物事/結果が起こること)すると読み解きます。

そこで、この縁起を英語で考えてみると。

縁起のことを「Dependent Co-Arising」と言います。

「Dependent」とは、依存するという意味です。

「Co」とは、同時にを指しています。

「Arising」は、起こる(生起する)の意味です。

つまり、(物事は)同時に生じること(の作用)に依存して成り立っているという意味となります。

この様に、英語の視点で振り返ってみると、より確かな視点が得られて、出会い一つにしても、数えきれない無数の事象が関係し合って成り立っているんですよね(^^)

別の言い方をすると、無数の事象が一つでも欠けていれば、その出会いは、また、違ったものになります。

極端な言い方をすれば、その出会い自体が存在していなかったかもしれません(^^;

実は、今、直面している私たちのそれぞれの現状は、無限に広がる生起の重なり合いによって成り立っていますので、もう、とても、とても不可思議としか言いようがありませんよね(@@)

これが、ご縁という言葉の中身になり、そして、出会えたことに、まず感謝したいです(^^)

そうそう、前述の通り、ご縁という言葉は、縁起に由来しています。

そうであれば、本来ならば「縁」だけで充分な筈です。

しかし、わざわざ縁の前に「ご」が付くのはなぜか考えたことはあるでしょうか?

普段、私たちは、当然のように人と会い、ご飯を食べ、生活しています。

実は、どれ一つとっても不可思議なことであり、当たり前ではないんだよね(^^;

たぶん、無意識にも、二度と巡り遇うことができないという感覚がはたらいて。

有り難い(めったにない)という感謝の気持ちが起こり。

出会えた縁を尊ぶ(結ぶ)ために、「ご」という敬語を付けて「ご縁」というのでしょうね(^^)

この言葉を空っぽにしないためにも。

事象の背景にあるものに目を向けて、自分を包んでくれている「ご縁」に感謝することを忘れないようにしたいと思っています。

そういう意味でも推しの言葉かな「ご縁」は(^^)

その事を踏まえた上で、視点を拡げてみると、【参考文献】で指摘されている通り、人類が抱えている世界的な問題が人の行動の問題である以上、その問題は、衝動的行動と自己制御の選択の問題と言えます。

そうであれば、行動の制御とは、いかにして人が自分たちの衝動的な行動を抑制して、代わりに自己制御を促進するかという制御と言えるだろうと考えられます。

そこで重要な点として、学ぶべき事柄は、仏教的な視点に立って、衝動的行動を抑制して、自己制御を促進させるための教育の実践であると言えるではないでしょうか。

【参考図書】
「自由と尊厳を超えて」B・F・スキナー(著)山形浩生(訳)

【参考文献】

そこで大事なこと。

言語は、基本的に話者の意図を聴者に伝達することです。

そのためにこそ的確に意味が表現されなければなりません。

だからこそ、文法の成立する根拠も意味表現の約束ごとを作ることです。

そして意味とは、「何が(What)どのよう(How)にあるか」(WHAT・HOW構造)。

つまり、縁起という教えから生まれた「ご縁」を媒介にした会話を心がけて、言葉の意味を大切にできるかどうかにかかっていると思いませんか?

【推し短歌】日本語「ご縁」編:

「君なごむまあるいものはなんですかまあるい顔のように笑ってみる」

「食べかけのパンはんぶんを渡す君だまって受けてぱくぱく食べた」

「こぼさずに心の中で受けた縁と言う名の糸をくるりと結ぶ」

出会った人の数だけ、結び方が違うんだろうね。

そして、「会う」を、次の「逢う」につなげていきたいものです。

その出会いの中で、誰かにとっての「また逢いたい」人になれたら、もっと素敵ですよね(^^♪

そして、物事が成就するのは、自分の力だけではなく、様々な働きによって助けられるからなんですね。

自分と人との出会いも因縁、仕事も因縁と、受け止められるかどうかで、人は、まったく相違する生活をおくることになると思います。

例えば、二、三片の花びらがベランダに落ちていたとします。

それは、なにかしら縁があって、ここに舞い落ちたのだと思えるかどうかで、その後の心の様相が変わってきます。

それを見て、なんだか捨てられない気持ちになって、ガラスの器に水を入れて、花びらを浮かしてみると。

なにやら心がほのぼのとして、一日中、心豊かになることがあれば、それは、縁を大切にしている証拠かもしれません。

この様な心境に至り、様々な出会いをいつも因縁という真理で受け止められたら、私たちの日々の生活もさぞかし、ほのぼのとしたものになるだろうと感じます。

ともすると、私たちは、自分の損得や好き嫌いの感情のみで、出会いを受け止めがちです。

それに対して、あらゆる出会いを因縁と感応する心こそ、本当の知恵ではないでしょうか。

本当の知恵は、自分に厳しく、ふれ合うものには、温かいのだと思います。

まだまだ、修行が足りませんが^^;

自分とまわりの人たちを、つないでくれたご縁に感謝しながら、ご縁を深めていけるように日々、精進ですね(^^)

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