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不幸の始まり

ずいぶん前の話ですが、ウォールストリートジャーナルに日本人はとても悲観的(glum)という記事が載っていました。

その記事を見てみると、興味深い調査結果が。

世界消費者景況感指数(consumer confidence)を調査した全48ヶ国中、日本は僅差で最下位をまぬがれて47位だった、というもの。

ちなみに最下位はリトアニア。

おまけに、ギャラップ社の「世界幸福度調査」では調査対象155ヶ国中、81位。

イランと同点。

1位はデンマークでしたね。

さらにこの調査で日本人は12%の人が自分が苦しんでいる(suffering)と思っていてアメリカ・イギリスのそれぞれ3%、2%と比べると大きく開きが出ました。

記事は、確かに日本は経済的にベストとはいえないかもしれないけれど、世界で2番目に大きい経済大国の心情がリトアニアとほぼ同じって、どういうことですかね、日本人はなんでそんなにという悲観的なの?というものでした。

記事の詳細に興味のある方はこちら。

http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2010/08/04/hey-japan-why-so-glum

この記事、私たちにハッピー度や、世相感みたいなものを本当に反映しているのでしょうか。

今の経済状況は私たちの気持ちにさえ、それほど大きな影響を与えるもの?

日本人は本当にそんなに悲観的?

あなたは?

もしそうなら、いつからでしょう?

そして、どうしてそんなに悲観的になる理由があるのか考えてみたくなる記事でした。

私たちはどうしても、もっとお金があればハッピーになるのは簡単、と思ってしまいそうになるけれど、この調査の結果を見る限り、経済的豊かさと幸福はそれほど比例しているようではないみたい。

イランはイラクの隣で常に戦争やテロの危機が飛び火してくるかわからないし、確実に日本よりも経済的に豊かとはいえないけれど調査では、現実的に戦争やテロが考えにくい日本人と幸福度が同じ。

Doesn't it tell you something?

ただ、お金を否定するものではありません。

だってお金があれば、お金で買えるものなら確かに手に入るし、そうすれば楽しい・嬉しいという気持ちにつながります。

お金があれば生活に余裕も出るし、そうした安定は私たちにある程度必要です。

ないよりあったほうがいいに決まっているのがお金。

でも、人間はやっぱりそれだけで全部は満たされない。

今年で終戦から77年、日本は長い間戦後の荒廃から経済自立と成長を目標に一途に世界有数の経済大国になるまでに前進して、物質的な豊かさを手に入れました。

日本はもうバブル時代には戻らないし、経済的にも成熟して、人口も減る傾向にあり、戦後の成長一途の構図はもう終わり。

ここからは、私たちにとって精神的な豊かさや幸福を考える時代、と私は見ています。

じゃあ、その精神的な豊かさとか、幸福が何かとはいったい誰が決めて、私たちはいったい何を求めているのでしょう。

この記事をヒントにしてみると、不幸の始まりは、自分で自分を不幸だと思うこと。

自分で不幸だとさえ思わないなら、誰に何をどう思われようが、大事(おおごと)ではありませんよね。

だから、自分で自分を不幸だなんて、たとえ思いつきでもやらないよう、普段から意識を持っていたいものです。

不幸の始まりが自分で自分を不幸だと思うことなら幸福の始まりは、自分で自分はハッピーだと思うことから。

それも、あまり理屈や条件や理由をつけずに、私はハッピー、幸せ、と考えてみることからです。

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