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時よ、とまれ。もしも魔法が使えるのなら。


裕福ではない家庭で、贅沢ではないクリスマスディナーを、僕は一生忘れることが出来ないだろう。

止められるなら、その時で時間を止めたい。
もしも、僕が、魔法を使えるのなら。

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いつだって僕らは臆病だ。

どこかの君。君が成功を天に祈っているなら、感情が高まっているその時にすればいいじゃないか。
映画館で感動の涙を流しているエンドロール終了後に席を立ち隣の恋人にプロポーズすればいい。
会場のお客さんたちだって幸せな気分になっている。もちろん祝福の嵐だ。映画のハッピーエンドとプロポーズの感動が重なって、想いが伝わりその愛は実るだろう。たぶんね。

しかし、そんな大それた真似は大抵の人間には出来そうにない。
…失敗したらどうするんだ?
…お客さんに笑われたらどうするんだ?
そんな恐れに潰されて出来ないはずだ。
でも心配しないで。もちろんそれが常識人だから。
いきなりいきり立って大声出すなんて尋常じゃない。そういうハッピーサプライズは台本と段取りがしっかりされているものなんだから。

でも時にはね、思い切りも大事なんだ。
世紀のハッピーサプライズを決行したのならば…返事が返ってくるまではまるで時が止まったようだろう。
ただし、おそらく君は次の一歩がもう怖くないはず。

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クリスマスの夜に見た映画が終わりを迎えたころ、ぼんやりと妄想にふけていた時にふと思い出した。
僕がはっきりと覚えているあの日のディナー。

けして裕福ではなかったけど豊かな暮らしをさせてくれていた母と2人で近くのファミリーレストランへ。ステーキがおすすめでちょっと高めの値段設定。年に一度来るその日だけは好きなものを好きなだけ食べなさいと、母が僕にクリスマスディナーをプレゼントしてくれる。
いつもは、調理師免許を取得したことのある母が作る手料理で安定した食生活だったけど、歳をとってから生んでくれたこともあるせいか、古風な料理が多かった。小学生の僕にはなんとも言い難い料理が多かった。だからこそ僕の気持ちを分かっている母は、いつも食べない贅沢な分厚い牛肉を専門店で食べさせたかったのだろう。母なりに気を使ってくれていたのが今ではすごくよくわかる。

4歳になる頃に父が他界し、それでも強く生きれるようにと厳しく育てられた姉はその反発で非行を繰り返すようになった。その反省からなのか、母は僕にはとても優しかった。遊びに行ったまま帰ってこない姉を置いて2人でクリスマスを満喫したことが何年か続いた。
僕には優しかったけど少し怖い雰囲気の姉が、そこにいない。なんだか、幸せな食事を独り占めしていることがとても嬉しく誇らしくもあり、いい子にしている自分へのご褒美だと、その日はめいいっぱいはしゃいでみせた。

大人になってもまだあるそのステーキファミリーレストラン。今行けばけして贅沢なランクではないとわかるが、子供の頃の思い出が蘇り、少し凛とせざるを得ない心持ちにさせられる。

あの頃、いろんなことがあったけど、止められるならあの頃で時間を止めたい。大人の事情がわからない僕には、とても幸せな時間だったから。こんなに大きなお肉を好きなだけ食べていいなんて、お母さんすげーなー!って、何も知らない子供のあのワクワクした感情のまま、時を止めたい。
でも、年に一度の贅沢の為に、ひとり親の母はそれはそれは相当な努力をしてくれてたんだろうな。
今では永眠してしまった母と姉。
どんなに大変な時だっただろうと大人になってもその大変さは計り知れないし、その時の姉の気持ちはもう知ることも出来ないが、生きているならあの日で時を止めたい。

時よ、とまれ。

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いつだって僕は臆病だ。

2021年2月、僕は結婚した。
こんな不安定な時代に、フリーランスとして先の見えない環境に、恐れないで共に歩みだした妻は素晴らしい人だと思う。
できるだけ喜んでもらえるように、サプライズに近い事をしたいタイプではあるが、僕は映画館のハッピーサプライズはやっていない。むしろまともなことは何もできなかった。それでも共に歩んでくれると言う。
「独身より、結婚したほうが世の中は何かとお得なのよ」
少し不安げに申し訳無さそうな表情の僕を、いたずらに笑いながらジョークで僕を和ませた。いつか僕が自信を持ってジョークを、と強く想った。

妻はパンを焼くのが得意だ。毎週、様々な種類のパンを焼く。
僕の好きなものを探りながら、自家製酵母だって何種類も育てている。
とても優しいパン。ソフトもセミハードも、バゲットのようなフランスパンでも、どれも優しい。人が現れるようだ。
僕が作るスパイスカレーと妻のパン、2人で研究した自家焙煎珈琲。
一秒、一秒と、止められない「今」に想う。

時よ、とまれ。

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夫婦二人、メス猫3匹の生活。
幸せで穏やかな生活だ。もっと丁寧に、もっと優しく、常に意識をしながら、この家族を守り抜きたい。

今もステーキは高価なものと感じているし、今は高価なものよりずっと価値の高い手作りのパンがある。僕にとってはどちらも幸せの象徴でかけがえのないものだ。
丁寧な暮らしを心がけるようになった、妻と猫の存在。
その日暮らしで先のことなど関係なかった僕が率先して管理しているベランダの野菜たちを見る限り、成長を楽しんでいる僕は少し大人になっているようで、母が作っていた古風な食事さえも好む歳になっている。

僕を取り囲む唯一の存在である家族という存在に再度出会え、僕は人生の重なる瞬間に立ち会った気がした。
昔の自分とこれからの自分、その境界線にある、この文章を打っているたった今。その刹那。ふたつの色を足した世界。とてもモノクロームだ。
そのふたつの色で彩られる現実世界は、きっとどんな七色よりもビビッドに輝いている。

10年先も20年先も、そのときはいつも「時よ、とまれ」と思えたら嬉しい。
過ぎていく時を惜しむだろう。過ぎた時を懐かしむだろう。
それでも、アレをしよう、コレをしようと、その先の未来を夢見ながら日々を楽しんでいることだろう。

いつかの少年たちが皆使えた魔法を使いたい。実際には存在しない不思議なパワーを解き放つ子供心は何よりもクリエイティブだった。
そういつまでも、かなわない夢をいたずらに笑いあえる、そんな家族になっていて欲しい。ハッピーサプライズが出来なかった僕だとしても、幸せになれる魔法の言葉。

「時よ、とまれ」

いつか来る未来、そう思えているならば僕らは幸せに違いない。



止まらないからこそ大切に想う、今日という日に感謝を。

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