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HSS型HSPはスタンド使い??

タイトルからいきなり何だと思うでしょう笑

スタンド?なんだそれって。


漫画好きなら分かるかもしれませんが、荒木飛呂彦先生の        『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズ第3部から登場してきます。

私にとって第3部は人生の哲学書です。

では、スタンドとは何かというと、                 各々が持っている架空の超能力を目に見える形で表現したもの。

wikiから引用させてもらうと、

「スタンド」とは「パワーを持った像(ヴィジョン)」であり、持ち主の傍に出現してさまざまな超常的能力を発揮し、他人を攻撃したり持ち主を守ったりする守護霊のような存在である。その姿は人間に似たものから動物や怪物のようなもの、果ては無機物まで千差万別である。

私は基本HSPの性質が強く、一人でいる事のほうが気が楽で、休日は家で音楽聞きながらのんびりと過ごしたり、近場の公園や海辺に行き、自然の中で本を読んだりしたりしています。

その一方で、ある程度の刺激は必要不可欠であり、日々の生活に変化がないと退屈して気が滅入ってしまうので、外出する日を決めて何か楽しそうな事はないかと街中を散策します。

その刺激の一つとして、なるべく人と会って話す機会を作っています。

仕事とプライベートはなるべく分けたいので、休日は仕事外の人と。

私は人からの影響を受けやすいタイプなので、その人の話し方や考えた方、行動や仕草などを無意識に模倣してしまっています。

ですので、人に合わせて口癖や方言が知らないうちに出ています。

理由はその人と過ごす時間をを楽しい時間にしたいから。相手にがっかりさせたくないし、自分と会話する事を喜んで欲しいから。

上記のように喜んでほしいとか言うと無理しているんじゃないの?って思われるかもしれませんが、本人は無理もしていないし気にしていません。

人と話すのは好きですし、長時間だったり同じ内容の話ばっかりだと流石に疲れますが、沢山の人と話すことで斬新なアイデアや違った角度からの思考が生まれる事に期待もしています。盲目的な思考を一旦脱却する為にも。

喜ぶとか楽しめてるかどうか感じるのは、自分が決めるわけでなく、結局は相手次第なのですが、空気を読んで上手に会話出来ていると思っています。

ふと最近感じたのは、なぜ人によって己の人格を変えれるのかなあと。

真の部分までは変えれませんが、人と関わるときは普段の内向的な部分を覆い隠し、その人に合わせて勝手に人格を作っているように思えたのでした。

その分、家に帰った時の疲れが半端ないのですが、これは昔からなので。

全く的外れな表現かもしれませんが、もしかして人と接する時は自我ではなく、スタンドのようなものが対応している?と感じたのです。      (スタンドの細かいところは突っ込まないでください(笑))


「HSPが好きそうな場所にはHSPが自然と集まる。」


というように、漫画内でもスタンド使い同士は「互いに引かれ合う」と定義されています。


先日、仕事の打ち合わせである人に会いました。

何となくですが、話しているうちにこの人はHSPの性質を持っているのではないかと思い、思い切って尋ねてみました。

相手は驚いた表情で、「え?分かりますか?実はそうなんですよ。。」

その瞬間から気を遣っていた部分が消え去り、互いの本音を言い合える空気になりました。

「実は先月までフィリピンに英語習いに行ってまして。」

「えー??本当ですか??」

一見控えめで大人しそうな風貌なのだから全く想像できない。

そうか、自分もこういう風に見られているんだなと。今まで周りからイメージと全く違うと言われてたのが分かった気がしました。

もしかして相手もスタンドが出ていたのではないか。ってね。

スタンドはあくまで本体の精神から生み出されるものであるため、スタンド能力やその性質は本体の性格や願望が色濃く反映される傾向がある。

HSS型HSPは新奇で複雑な性質を持っている上、生きづらいと感じる人が多いという。

正直、私も生きづらいと感じている。其の為、マイノリティながらも他者と現社会を生きていかねばならぬといった葛藤を抱えつつ、上手く生きていきたいという願望がスタンドという形で別人格を引きずり出し、世の中に合わせているのではと勝手に思いました。

最後に、悪党であるDIOとそのDIOにスタンドの存在と能力の発現の方法を教えたエンヤ婆の会話で。

『ジョジョの奇妙な冒険』14巻から参照
DIO 「エンヤ婆… ひとつ尋ねるが、「生きる」とは何だ?」
婆   「……「 欲するものを手に入れること」ひとことで言うなら人が                      生きるということは...「ただそれだけ」じゃ。金が欲しい、名誉が欲              しい、食べ物がほしい、愛がほしい、恋人がほしい……ヒヒ……」
DIO 「しかし欲する物を手に入れるとき必ず戦いが起きるなエンヤ婆?」
婆   「たしかに………ヒヒ」
DIO 「戦いに敗れ欲するものが手に入らなかった場合、挫折感と敗北感を味わい傷つき…そして次なる戦いのとき「恐怖」を感じるようになる。……おれは「恐怖」を克服する事が「生きる」事だと思う。 世界の頂点に立つ者は!ほんのちっぽけな恐怖をも持たぬものッ! 分かるかエンヤ婆?」

不安からくる恐怖もある。不安を感じているうちは、目を背けずに立ち向かい、少しずつでも克服していこう。悩みは人それぞれです。一緒に生きていきましょう。

おしまい。


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