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夢と夢の間

おはようございます、河野企画代表
チューバ奏者、指揮者の河野一之です。

今日は”夢と夢の間”という話。

昨晩、海外居住の友人と夫婦揃って3人でZoom飲みを行なってた。

とても楽しい時間はあっという間に過ぎ最高の土曜日の過ごし方の1つだったんだけど、そこで出た話。

彼女は夢、目標を追いかけそれを達成したあと一旦抜け殻のような期間を過ごし、今新たな夢に一歩を踏み出そうと考えていると話した。

これは前にとある方も話してた内容で、夢や目標を達成した後の話に通じる話だった。

抜け殻な時期

僕にも経験がある、僕にとってのBig Challengeだった音大入学、英国留学、帰国後の数々のBig Projectsとかね。その後確かに抜け殻のような感じになる、何か新しいことへの気力なんて生まれないしボヤーっと毎日を過ごすのだ。

でも僕の印象はその抜け殻の期間って自分の成果を堪能する期間だと思う。

だって自分にとってあんなに大切に思っていて真剣にそうなるために頑張ってきたものを手に入れた後だもの。

どうしても僕たち日本人は良い意味でも悪い意味でも

くそまじめだ


どこか型にハマりたくなって、「あんなに夢に向かって頑張っていたのに今は何もないように感じる。これで良いのだろうか」と疑問が湧いてくる。よくわかる、僕もそうだった。

でも気づいた。そんな風にずっと頑張り続けたい人はそれで良いけれど、じゃあいつ僕らは自分が努力して手に入れた成果を堪能する時間を持つのだろうかということ。

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だって例えばラーメンを一から作る、何時間もかけてスープも鶏ガラから出し、麺も打ち、かえしも自家製、焼き豚やトッピングも自家製にして2日かけて作る。

その作ったラーメンを味合わずに完成したら脇に置いてまた次のラーメンを作り出す。そんなの疲れそう、何時そのラーメンを味わうの?

研究作業も良いけど毎度とりあえず完成したら一度椅子に座ってゆっくり味合わなければ良かった点も改善点もわからない。これと同じ。

だから夢と夢の間には必ず何か自分を振り返らせる、その成果を堪能する期間がくるんだと思う。

そのゆっくりとした、何も前に進んでいないように感じる時間は、過去の自分が実は求めていた最高に贅沢で幸せな時間なのだ。

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僕も正直今この瞬間コロナで仕事は激減しているけれども実は絶好調に毎日楽しいし幸せだ。それはコロナで在宅の時間が増え、結婚以来ゆっくり過ごせていなかった妻との時間が増えたし、ずっと毎日の暮らしの中で実はいつでもあった幸せに日々気づけるようになったからだ。

多分この時間は僕がこの先また夢や目標に飛び出す前の堪能する時間なんだと思う。

思い返せば去年2019年は結婚式の準備(入籍は2018年)に自身初の母国でのチューバリサイタルの開催、それに加え様々な記念的演奏会での演奏や指揮。

河野企画として各種イベントも仕掛けたし、その2019年の年度終わりにはコロナ襲来

様々な手続きに追われたりもした。さらにコロナ中もJapan United Brass Projectに全精力を向け大成功した。

そして今このスーパーのんびりタイムである。

のんびりしたい時、のんびりせざるを得ない時。
しっかりちゃんとのんびりする。ここで足掻かない。

そうしていると、僕にもつい最近また夢が生まれた。

時間的自由と健康は手に入れたので経済的自由を手に入れ世界中どこでも好きな時に仕事をし好きな時に好きな場所で好きな事をし生きていくである。

これもすっとぼけて危機感なくのんびり過ごしたおかげである。

その時間のおかげで自分自身、本当は何がしたいのか、何をしたくないのかということを極限まで考えられた。
つまりのんびりすることで自分自身を見つめ直せたのだ。

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まとめ

夢や目標に向かう時間もとても楽しい!Excitingな時間だ。でも夢を手に入れ、目標に到達した時、一度僕らは椅子に座りゆっくりその成果を堪能してもいいんじゃないか

頑張り続けたい人は頑張り続ければいい、休みたければ休めば良い

実際どうなっちゃったって生きていけるこの世界
まして日本人でこの幸せの国、日本で生まれ育ってる時点で本当はチートなのだ。幸せで何も不自由を感じないから問題を作り出したくなってるだけだから。

平和だからって問題を作る必要はない。
その平和に感謝し堪能していればそのうちやりたいことも出てくる。

焦らず、足掻かず、日々の幸せを堪能しよう。
自戒も込めて


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