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6年間いじめを受け続けた私の人生とその先に見える未来

これから綴られる文章は人生のどん底を味わい生きることをあきらめかけた人間がなんとか乗り越え過去を振り返れるまでになった決してお金では買うことができない紛れもない実体験だ。

長い文章は苦手だという方はこちらを読んで頂けると嬉しいです。


前置きはここら辺にして私の過去から今に至るまでをここに記していくことにする。


1.小学生時代

放課後は公園で友達と遊び、休日は何かしらスポーツをやって欲しいという親の願いから始めた野球に没頭するどこにでもいるような少年だった。

まさか野球が原因で6年という果てしないいじめの時間が始まるなど当時9歳の私は思いもしなかっただろう。

ことの発端は一緒に野球をやっていた同い年の子(Aくん)が急にやめたことからだった。

「あーやめちゃったんだ」

当時の私はこの程度にしか思っていなかった。別に小学生が習い事をやめるなど珍しいことではないからだ。

変化が起き始めたのはAくんがやめてから一週間ほどたった頃だ。いつもどおり放課後に公園で遊んでいたときなぜかみんな私に対し余所余所しい態度をとるようになったのだ。

「私の勘違いか」

その勘違いだと思っていたのが現実だと知るにはそんな時間はかからなかった。外だけではなく、学校でも明らかに私と関わるのをみんなが避けるようになっていった。


ちょっと話を戻すが野球をやめたAくんはクラスの中心人物で人望もあった。後日聞いた話だが、Aくんが野球をやめた理由は私に嫌味を言われたからだと言っていたそうだ。もちろん私には身に覚えもないし、嫌味を言う理由もなかった。

私の憶測だが、特に目立つことのない平凡な人間の私よりも野球が上手くなかったのが気に食わなかったのだろう。カーストの頂点に立っていたAくんのプライドに知らぬうちに傷をつけていたのだろう。今思うとほんとにくだらない理由だ。

そんなことがあり、私の地獄のような6年間が始まったのだ。


最初のうちは私に危害を加えてくるようなことはなかった。遊びに誘われなくなったりする程度だった。

原因もわからず周りに避けられている状況に困惑しながら私は日々を送るしかなかった。

おそらく両親は私が周りに避けられていることに気づいていたと思う。急に外出が減り元気が無くなっていく私の姿を見て時々学校での様子などを聞いてくるようになった。

いじめられているという現実を受け入れたくなかった私は意地でも両親に話さなかった。なんであの時素直に頼らなかったのだろうと今でも後悔している。

もし今いじめに悩んでいる人がいれば素直に周りに頼って欲しい。

今では匿名でいじめに関する相談を受け付けているところだってある。

一つ忠告しておきたいのが、「教員に頼るな」ということだ。

教員は自分と学校の面子を守るのに必死だ。そんな人に相談してもせいぜい注意をする程度だ。その注意するという行動がさらにいじめを悪化させることも知らずに...

時が経ち学年が一つ上がった時には完全にいじめの輪が完成されていた。気づけばクラス中が敵になっていたのだ。

唯一私の支えとなっていたのは週に二日あるの野球という存在だった。

野球をやっている間はいつも私をいじめてくるやつも野球に関しては私には勝てないので黙り込んでいたからだ。

しかし時がたつにつれ野球という存在も私の心を支えきれなくなっていた。

私が10歳になったある日、ひび割れていた私の心は限界を迎えとうとう崩壊してしまったのだ。

誰かが私の横を通るたびに「きもい」「くさい」と言葉をぶつけられていた私の心はとうに限界を超えていた。

学校が終わって家に帰った私は日々のストレスから些細なことで母とけんかをしてしまった。我慢できずに私は「お前にはわかんないだろ」と投げやりに言葉を発してしまったのだ。

そしたら母は何も言わずに私をそっと抱きしめてくれた。

私はいろんな感情こみ上げ訳が分からなくなりひたすら泣いた。

泣きながら今まで私が受けてきたいじめのことをすべて話した。

次の日学校へ行くと教頭先生から呼び出された。内容は私に対するいじめについてのことだった。

「なんで学校側が知っているんだろう」

今まで何一つ知らないそぶりをしていた担任も不安そうな表情でそこに立っていた。

昨日仕事から帰ってきた父が母から話を聞いてすぐに学校へ連絡をし話をしてくれていたのだ。

ずるい父親だ。かっこよすぎるんだよ。

普段私を一切甘やかさないのに...

父が話した内容は聞かされなかったが、学校側は私を守ってくれると約束してくれた。

とはいっても何かあったら遠慮せず相談してくれといった程度だ。

気持ちは楽になったが取り巻く現状が変わるわけではなかった。

ただ母が私に言ってくれた「無理しない程度に頑張れ」という言葉に救われた。

完全に現状から逃げるのではなく、頑張っても駄目だったら逃げてもいいよといった母の愛情を深く感じる一言だった。

教育を受ける義務はあるがいじめを受ける義務はない。

教育を受けられる環境ではないのに無理して学校に行く必要もない。

もし同じような環境に置かれている子供がいる親御さんに伝えたい。


「逃げ道を作ってあげるのは大人の仕事。逃げ道を使うかは子供自身が判断することだ。」

そしてはっきりと

「生きてくれているだけで充分だ」

と伝えてあげてほしい。


2.中学生時代

なんとか小学校を卒業でき一安心したのもつかの間。

いじめの第二ステージがすぐそこに迫っていた。

私の通っていた中学校は近くの3つの小学校の生徒が集まってくるところだった。

最初の二年間は同じ小学校だった人が同じような感じで私を避けているだけで収まっていた。

部活動の先輩が優しかったことや、同い年の中で私ともう一人だけが一つ上の先輩方と一緒に試合に出ていたことも影響していたと思う。

中学校で初めて縦社会というものを学び、自分より立場が上の人間には何もできなかったのだろう。

私はもちろん野球部に所属していたが同じ小学校の人間が二人だけいた。

そいつらには私が活躍する姿は気に食わないものだっただろう。

一つ上の先輩方が卒業しとうとうそいつらが牙をむき始めたのだ。

同じ練習をしているのに差が開いていき野球ではかなわないと知ったのか、それからは周りに私が小学生だったころのことを言いふらし味方をつけていったのだ。

中学生と言えば思春期真っただ中で自分をかっこよく見せようと必死になるのはよくあることだ。

そんな中私は目立つ気もなく特に周りから良いように思われたいとも思っていなかったので学校では静かに一人で野球の本を読んでいた。

野球という自慢できるものがあるのに目立とうともしなかった私の性格もそいつらのいじめに拍車をかけたのだろう。

そんな中ある事件が起こった。

三年生になった直後に下校しようとした際私の靴が片方だけ無くなっていたのだ。

事情を知った先生が親を呼んでくれてその日はどうすることもせず帰った。

次の日何食わぬ顔で登校したが正直また何かなくなるのではないかと怖くて仕方がなかった。

私の中ではだれが私の靴を捨てたのかあらかたわかっていたので、そいつらに私が傷ついていると思われたくなかったのだ。

意地の強さだけは我ながら感心する。

登校してすぐ教室に先生が入ってきていつもは連絡等を言うのだが、その日は「今から全員体育館に集まれ」といったものだった。

学年全員が体育館に集められ一枚の紙が配られた。

内容は昨日私の靴が捨てられたことについてだった。

防犯カメラで捨てた人間はわかっているから名乗り出ろといったものだった。

次の日私は朝使われていない教室に先生に呼ばれて言ったら同じ野球部の顔が三人揃っていた。

まぁ想像はついていたので驚きはしなかった。

そこで三人から謝罪の意を受けこの話はかき消された。

今思えば謝罪の言葉一つで許してしまった私も馬鹿だった。

しかし長い間いじめを受けていると全てがどうでもよくなってくるのだ。

どうせ謝らせたって何も変わらないのを私は知っていたから。

これも後で聞いた話だが、普段温厚な父がこの時ばかりは仕事を切り上げ鬼の形相で学校へ乗り込んだらしい。

父には本当に頭が上がらない。

ついでに言うと、その後私の靴を捨てた三人の親が新しい靴を持って私の家に謝罪しに来たようだが母は速攻で靴もろとも追い払ったらしい。

ほんと凄い両親だ。

それからというもの、これだけ大々的に取り上げられたことで私へのいじめは多少なりとも落ち着きをみせた。

こうして中学校を卒業すると同時に私の6年間のいじめの日々は終わりと告げた。


3.その後と今

ここまで私の過去を記してきたが、私がこのような生活を耐え抜いてこれたのにも訳がある。

簡単に言うとそいつらに対する感情を捨てたのだ。

「嫌い」「憎しみ」

終わらないいじめの中である時からそいつらのことを考えるのを一切やめたのだ。

どうせ終わらないんだったらこっちだけが一方的に終わらせちゃえばいいんだと思った。

もちろん意図的に避けられたりすることは続いていた。

それさえも「勝手にやっとけ」と思うようになった。


自ら苦しい場所で生きる必要はない。

いじめてくる相手のことを考え苦しむ必要はない。

そして何より伝えたいのは


「自分という存在を否定しないでほしい」


いじめが続けば続くほど自己肯定感が失われていく。

「私は生きていないほうがいいのだろうか」

「私の存在が周りに迷惑をかけているんじゃないか」

間違ってもそんなことはない。

いじめをする人はよく「いじめられる側に原因がある」とよく言うがそれは違う。

仮にいじめられる側に原因があったとしてもそれがいじめていい理由にはならない。

だから自分を否定しないでほしい。

いじめてくる奴らよりもあなたのほうがいろんな悲しみや苦しみを知っている。

あなたのほうがよっぽど価値のある人間なんだ。

生きていてもいいことが起こるとも限らない。

でもこれはどんな人でも同じだ。

未来のことなんて誰も分かりっこない。

もし生きる理由が見つからなければ生きることを目標にすればいい。

最初から自分を変えようなんて無理な話だ。

今まで見てきた世界なんてほんのわずかのちっぽけな世界だ。

わざわざちっぽけな世界に自分を閉じ込める必要なんてない。

苦しくて死にたいと思ったら今いる世界から飛び出してしまえばいい。

私も今やっと新しい世界に一歩足を踏み入れたところだ。

苦しかったら我慢せず逃げだせばいい。

決して逃げることは負けなんかではない。

あなたの居場所はこの広い世界の中にきっとあるはずだ。

焦らずゆっくり探していけばいい。

無理せず頑張っていこう。

END





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